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最新刊のご案内



山田孝雄 著 山田国語学入門選書(4)『敬語法の研究』を刊行いたします。(2010年2月)


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山田国語学入門選書(4)『敬語法の研究』刊行にあたって(書肆心水)


近代日本語学に屹立する不滅の巨人、山田孝雄(よしお)の学問世界を紹介する「山田国語学入門選書」の第4巻をお届けいたします。本選書の既刊は(1)『日本文法学要論』(2)『国語学史要』(3)『日本文字の歴史』です。選書刊行時のご挨拶はこちらに記してございます(ここをクリックして下さい)

この第4巻は、日本語の一大特徴である「敬語使用」を、「山田文法学」のシステムに位置づける仕事で、題して「敬語法の研究」です。山田文法の最終版『日本文法学要論』(山田国語学入門選書1)において体系化されている三大論点(語論・位格論・句論)を縦糸に、敬語の種別を横糸に織り上げられた敬語法の構造が示されます。「語論・位格論・句論」がそれぞれ「単語・連語・句の組織」という節構成として立てられて、そこに「敬称・謙称」という敬語の二種別が交叉するという形式で論が構成されているといってよいでしょう。

山田のとなえる「敬語の法則」とは何であるかは本書がその全体をもって縷々叙述することですのでそれはさておいて、ここでは「敬語の法則」を探究する本書成立のモチーフとなっている二つの話をご紹介いたします。この二つの話に感ずるところおありの方ならば、本書の繙読は意義あるものとなろうかと存じます。

第一。日本語で主語が省かれがちなことは広く知られています。「ごもっともです。」という言葉は、「あなたはごもっともです。」とか「あなたのご意見はごもっともです。」といった意味を表わす標準的な言い方として昔も今も通用しています。山田は「敬語の法則」を探究するにあたってこの点にまず注目しています。

第二。山田は本書の冒頭において、敬語は尊崇の意をあらわすために限らず、親愛の意をあらわすためにも、また言語に品格あらしめるためにも用いると述べて、次のような実例を紹介しています。森鴎外が自身の訳書『ノラ』(大正2年・警醒社書店刊)の訳文について述べた意見です(『敬語法の研究』よりの引用)

博士森林太郎氏がその訳せるイプセンのノラの中にノラの夫がクログスタツトに謂ふ詞として「わたしは君にお帰なさいと云はなくてはならぬ」といへるに対して或る評者が「お帰なさい」は丁寧にすぐるによつて「帰れ」といふべしといへるに対して次の如くいへることあり。――「併(しか)し私の『お帰なさい』と書いたのはノラの夫がクログスタツトを尊敬してゐていふ敬語でない。ノラの夫が自ら尊敬して言ふ敬語である。日本語には自家の紳士的地位のために賤しむべきものに対しても使ふ敬語がある。どうもノルヱイ語に通じてゐる評者には日本語に対する理解が乏しいやうに思はれてならない。」





アッ = タバータバーイー著 『現代イスラーム哲学――ヒクマ存在論とは何か』(黒田壽郎訳・解説)を刊行いたします。(2010年1月)


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『現代イスラーム哲学』刊行にあたって(書肆心水)


20世紀最高水準のイスラーム哲学を、アラビア語原典からの翻訳でお届けいたします。

「我々は、そして万物は、全てが差異的であり、全てが等位にあり、全てが関係的である」――このイスラームの根本的な思想を存在論的・哲学的にきわめてゆく学問分野は「ヒクマ(叡智の学)」と呼ばれてきました。本書は、長い歴史を持つイスラーム哲学の到達点である現代の成果を簡潔に纏めるかたちで、最も核心的な主題を扱ったものです。イスラーム世界では極めて高い評価を得ており、ヒクマを学ぶ入門書と位置づけられています。英訳版は2003年にThe Elements of Islamic Metaphysicsという書名で刊行されました。

著者のムハンマド・アッ=タバータバーイーは20世紀最高位のイスラーム哲学者と評価され、シーア派教学の総本山(イランのゴムの神学校)において研究と教育活動に従事しました(1892生〜1981歿)。主著は厖大なクルァーン解釈書『秤の書』です。モッラー・サドラーの浩瀚な主著『四つの旅』の校訂・注釈の仕事もあります。

本書の論議の基本となっているのは、モッラー・サドラー(16世紀後半のイラン哲学者)が提唱した《存在の優先性》論です。その要点は井筒俊彦訳・解説の『存在認識の道』として1978年には邦訳出版がなされていますので、イスラーム思想に親しまれている読書人の中にはお読みになられた方も多いことでしょう。(岩波書店イスラーム古典叢書、のち中央公論社版井筒俊彦著作集第10巻)

モッラー・サドラーの《存在の優先性》論、そしてそれを解説するアンリ・コルバンや井筒俊彦の論は、イスラーム哲学として当然のことながら、《大文字の存在》つまり唯一の絶対者を主とする観点からのものでした。それに対してこのタバータバーイーの著作の注目すべき点は、モッラー・サドラーが切り開いたヒクマの探究がすでに三世紀あまりを経た現在、その問いの立場を、「絶対者・創造者の観点」ではなく、「被造物の観点」に切り替えているところにあります。つまり、《私》を含めこの世に存在するものは、「誰か、あるいは何か」というかたちで、たとえ卑小ではあってもまぎれもない実在のリアリティーを担っていますが、その《個別的な存在者》の側からの観点による問いの立場がとられているということです。

本文の論議は一読了解という類のものではありませんが、イスラーム文明を総体として最深部から探究し続ける訳者・黒田壽郎氏が、詳細な解説篇と適宜の註釈を附して道案内をいたします。(黒田壽郎氏の研究歴を紹介するインタビュー記事を掲載してあります。●ここをクリックして御覧下さい

イスラーム関係の新刊がごく稀であった20年前に比べますと、現在は次々とイスラーム関係書が刊行され、ずいぶん豊かな読書環境となりました。しかしイスラームの哲学的思想の側面について見れば、20年前とあまりかわっていないようです。大文明をその深みから理解するためには、哲学的思想からのアプローチも重要でしょう。ギリシャ思想・キリスト教を淵源とするヨーロッパ文明のみならず、インド仏教文明、中国儒教文明のことを思ってみてもそれは明らかではないでしょうか。大文明イスラームについてもこのような角度からの探究が欠かせないだろうと考え、本書がそうした探究に寄与する一冊としてお読みいただけることを願っております。





大川周明 訳・註釈 『文語訳 古 蘭(コーラン)』(上・下)を刊行いたします。(2009年12月)


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『文語訳 古 蘭(コーラン)』刊行にあたって(書肆心水)


宗教学者にして精神主義の論客・大川周明ならではの、リズム・風格・力強さある文語訳、そして充実した註釈で味わうコーランです。聖書では根強い人気のある文語訳ですが、コーランでも文語訳を楽しめる唯一の日本語版として世におくります。

ムーサーは「モーゼ」、イーサーは「イエス」、マルヤムは「マリア」、シャイターンは「サタン」……というように聖書でお馴染みの表記がされており、イスラームに親しみのない読者にも違和感なく読めるかと存じます。

大川の訳文のスタイルを現在代表的なふたつの翻訳と比較してみましょう。(2章208節)

●大川周明訳・『古蘭』
「汝等信者よ、徹底してイスラームに入れ。サタンの足跡を追ふ勿れ。げに彼等は汝等の公敵なり。」

●三田了一訳・『日亜対訳・注解 聖クルアーン』・日本ムスリム協会版
「あなたがた信仰する者よ、心を込めてイスラーム(平安の境)に入れ。悪魔の歩みを追ってはならない。本当にかれは、あなたがたにとって公然の敵である。」

●井筒俊彦訳・『コーラン』・岩波文庫版
「これ汝ら、信徒の者、みんな揃って平安〔訳註:回教の信仰を指す〕に入れよ。決してシャイターン〔訳註:サタン〕の足跡を追うでないぞ。彼こそは汝らの公然の敵であるぞ。」


大川の翻訳には豊富な註釈が本文の各段落末に挟み込まれており、上記の部分に対応しては次の註釈が施されています。――
「(1) 『徹底してイスラームに入れ』といふは、猶太教的色彩を払拭せよとの意味と思はる。同教神学者は猶太人にして回教に帰依せる者が、尚ほモーゼの律法の一部を守る者ありしによつて此の啓示ありと言ひ、ロッドウエルはメヂナの信者中に猶太人の律法の一部を守らんと欲する者ありしためならんとせり。いづれにもせよ此の一段は猶太人又は猶太教の影響に対して信者に警告せるものとすべし。但しベルは『徹底して』又は『完全に』を『全体挙りて』の意味に解し、信者に対して一致和合を求めたるものとなせり。」

本の詳細紹介ページのほうに大川の訳者序文を掲載しておきました。あわせて御覧いただければと存じます。(この記事冒頭の書影をクリックしてページを開いて下さい)





野上豊一郎 著 『野上豊一郎批評集成/能とは何か』(上・下)を刊行いたします。(2009年10月)


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『能とは何か』刊行にあたって(書肆心水)


今はもう新刊書店の棚では売られていないようですが、『能の話』(岩波新書・1940年初版)というよい入門書があります。ごく基本的な知識をバランスよく総合的に提供するという、かつて新書に求められた役割をよく果たした名著であると思います。著者は野上豊一郎。漱石門下生の英文学者で、野上弥生子の夫です。英文学の方面よりも能の研究で多くの仕事をのこしました。岩波文庫『風姿花伝』の校閲者でもあります。

下記の引用文は『能の話』の序文の最後のあたりから抜き出したものですが、この著者が批評精神に富んだ人物であることをお感じいただけるだろうと思います。(新漢字・現代仮名遣いに変えて引用します)

《……私はそういった問題をも考慮に入れながら、これから能の話をしようと思うのであるが、その前に、私は誰を相手に話そうとしてるかについてことわって置かねばならぬ。

私は能を日本の文化の産んだ最も卓越した物の一つとして考えている。その卓越の程度は、日本の文化を十分に世界的になし得るほどのものであると確信する。だから、私の話は日本文化史の展開に役立った民族的特質を抽出することを目的として、しばしば世界文化史との対照をも問題とするであろう。それ故に、私の話しかけたい相手の人は、そういった問題に関心を持つ人であってほしい。

しかし、能はいかに卓越した芸術表現であっても要するに過去の産物であるから、それを真にわれわれの今日の生活の中に価値あるように生かすためには、何とかしなければならないであろう。それをばどうすればよいかということに考慮を費して見たいと思うような熱情の所有者に私は話しかけたいと思っている。

だから、私の話しかけようとしている人は知識人でなければならない。ところが今日の実状から見て、そういった知識人には能をあまりよく知らない人がある。中には全然知らない人さえある。能は通人たちの賞翫に独占されていると思って、たとえば骨董いじりをする人間たちに対する反感の如きものを持って、それを見ようともしない人が少なくない。また、能は今でも貴族や金持の慰み物に過ぎないかの如き思いちがいをして、恐れをなして近づこうともしない人がある。(……中略……)能は古いものではあるけれども、新しい所もある。古いといえば世の中に古くないものは一つもない。古いとか新しいとかいうことは相対的のことで、問題は良いか悪いかである。能が良い芸術であるならば、新しい良いものを心ざす人は、古い良いものをも知って置かねばならない筈である。

だから、そういった反感や偏見や躊躇をば振り捨てて、われわれは、われわれの先祖の作った此のすぐれた芸術について見て行きたいと思う。それには上に述べたような無準備の障碍もあると思われるから、私は能をまだ知らない人を相手に予想して話を進めようと思う。能をよく知っている人には迷惑であろうが、しばらく我慢していただきたい。通人に至っては、私は初めから問題にしていない。》


この野上豊一郎は、能に関する多くの著書・編著をのこしましたが、その中で主著三部作と目されているのが、『能――研究と発見』『能の再生』『能の幽玄と花』の三冊です。このたび当社が刊行いたします『野上豊一郎批評集成/能とは何か』は、この三部作収録の全論文を入門篇/専門篇に再構成し、各巻においてさらにテーマで分類(役者論・奥義論・構成論・様式論・面論・謡曲論)したものです。現在の読者に親しみやすいように表記は新漢字・新仮名遣いとし、曲名索引を付加しました。曲名索引の項目数は290にのぼりますので、一般に「能二百四十番」といわれることに照らして考えるに、野上の研究が歴史の深みにもよく分け入っていることが分かります。

本書の目次・著者紹介などは、本の紹介ページのほうをご覧下さい。論調を感じていただけるように、いくつか引用もご用意してあります。






夢野久作 著 『夢野久作の能世界――批評・戯文・小説』を刊行いたします。(2009年9月)


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『夢野久作の能世界』刊行にあたって(書肆心水)


夢野久作の熱心なファン以外には余り知られていないようですが、夢野久作は能に親しみが深く、喜多流謡曲教授でもありました。本書は夢野久作がのこした能に関する著作群から、特に優れたものを、ジャンルを問わず精選した、「夢野久作一流の能案内」です。第一部・「能とは何か」、第二部・「喜多流とともに」、第三部・「能と人びと」、第四部・「小説」の構成となっております。

ちょっと怪しげな魅力あふれる能のいい話の数々です。能のことをよく知らなくても「あのノロノロした舞台劇」というイメージがあるだけで充分面白く読めるユニークな能入門でもありますし、夢野久作ならではの文化・文明・芸術批評ともなっています。玄人のかたにもめずらしい面白みを感じていただけるのではないかと思います。例えば次のような話。

▼私の師匠である喜多六平太氏〔十四世〕は、筆者にコンナ話をした事がある。「熊(漢音ゆう)の一種で能(のう)という獣が居るそうです。この獣はソックリ熊の形でありながら、四ツの手足が無い。だから能の字の下に列火が無いのであるが、その癖に物の真似がトテモ上手で世界中に有りとあらゆるものの真似をすると云うのです。『能』というものは人間が形にあらわしてする物真似の無調法さや見っともなさを出来るだけ避けて、その心のキレイさと品よさで、すべてを現わそうとするもので、その能という獣の行き方と、おんなじ行き方だというので能と名付けたと云います。成る程、考えてみると手や足で動作の真似をしたり、眼や口の表情で感情をあらわしたり、背景で場面を見せたりするのは、技巧としては末の末ですからね。

ついでにもう一つ。

▼弓を弾く人は知って居られるであろう。弓を構えて、矢を打ちつがえて、引き絞って、的にあたった音を聞いてから、静かに息を抜くまでの刹那刹那に、云い知れぬ崇高な精神の緊張が、全身に均衡を取って充実して、正しい、美しい、且つ無限の高速度をもった霊的リズムのうちに、変化し推移して行く事を、自分自身に感ずるであろう。能を演ずる者の気持ちよさはそこに根柢を置いている。能の気品はそうした立脚点から生れて来るのである。

こうした「能」のあらわれは、格風を崩さぬ物の師匠の挙動、正しいコーチと場数を踏んだスポーツマンのフォームやスタイルの到るところにも発見される。……否、その様な特殊の人々のみに限らず、広く一般の人々にも、能的境界に入り、又は能的表現をする人々が多々あるので、そうした実例は十字街頭の到る処に発見される。

千軍万馬を往来した将軍の風格、狂瀾怒濤に慣れた老船頭の態度等に現わるる、犯すべからざる姿態の均整と威厳は見る人々に云い知れぬ美感と崇高感を与える。その他一芸一能に達した者、又は、或る単純な操作を繰り返す商人もしくは職人等のそうした動作の中には多少ともに能的分子を含んでいないものは無い。

筆者をして云わしむれば人間の身体のこなしと、心理状態の中から一切のイヤ味を抜いたものが「能」である。そのイヤ味は、或る事を繰返し鍛錬することによって抜き得るので、前に掲げた各例は明かにこれを裏書している。

ひっきょう「能」は吾人の日常生活のエッセンスである。すべての生きた芸術、技術、修養の行き止まりである。洗練された生命の表現そのものである。そうして、その洗練された生命の表現によって、仮面と装束とを舞わせる舞台芸術を吾人は「能」と名付けて、鑑賞しているのである。



●余談● 夢野久作の作品世界、精神世界を深層からとらえるうえで、たぶん彼の父親・杉山茂丸の存在を避けて通ることはできないでしょう。小社では杉山茂丸の主要著作を刊行しております。ついでにご覧いただければ幸いです。

●『百魔(正続完本)』の紹介ページ
●『俗戦国策』の紹介ページ
●『其日庵の世界(其日庵叢書合本)』の紹介ページ






吉田東伍 著 『地理的日本史読本』を刊行いたします。(2009年8月)


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『地理的日本史読本』刊行にあたって(書肆心水)


本書の著者吉田東伍は、いまなお高く評価され続ける不朽の業績、未曾有の大辞典『大日本地名辞書』を独力で編纂し、「地名の巨人」と讃えられる歴史地理学者です。本書は、その吉田が、おのおの読みきりの 61 話で日本通史を試みたユニークな日本史読本です。

「時代」「人間」「場所」が揃って初めて歴史はリアルになるという立場から、場所すなわち地理的事情が人の思惑と歴史の流れる方向を規定する様を語った、日本歴史地理学の開拓者ならではの仕事であり、地理的イメージで日本史の大きな流れをつかむことができるように構成されています。歴史理解において「時」と「人」が抜け落ちることはまずないでしょうが、「場所」は、抜け落ちるとまでは行かずとも、その具体性が軽んじられて、抽象的な歴史観に陥ってしまうことはままありがちです。それは、「いつ誰それと会う」という約束ごとがあって、「何処で会う」のかが抜けているようなものと言えましょう。

これらのことについて、著者は序文に次のように記しています。

▼歴史を学ぶ者は、絶えず年月、場所、人物についての観察を怠ってはならぬ。すべて歴史事実は、この三要素から成り立つものであるからして、これが研究は最も必要とするところである。例えば、何年何月に起った事件であって、関係した人々は何某であるという事が分っても、その場所が分らなくては事実は完全に判明しない。(……)
▼日本史の全体をこの筆法で説き試みようという事はなかなか困難な事業であるし、とうてい小冊子にまとめ難いのである。よって史上の重要な事件を選定して、これを地理学を土台にして観察することにした。内容は重複を避けて、論題の範囲を広く求めた。政治、軍事、経済、文学とあらゆるものを取って、これが解釈を試みたのである。(……)
▼歴史事実の連絡という事には重きを置かず、一章一章の読み物としたのであるが、いやしくも日本史を一度読んだものが見れば、おのずからその連絡は取れるのである。もししからずとも、この書を一読すれば一貫した歴史地理の思想は得られることと思う。






『真善美――西田幾多郎論文選』を刊行いたします。(2009年7月)


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『真善美――西田幾多郎論文選』刊行にあたって(書肆心水)


人みな誰もの問い「真善美」。西田哲学はどう考えたか。
――真・善・美を論題とする西田幾多郎の論文選集を刊行いたします。

「絶対矛盾的自己同一」「行為的直観」「場所的論理」等々、にわかには親しみにくい論題が多い西田哲学ですが、本書は、誰もが日々考えている問い「真」「善」「美」をテーマにした論文で構成した、もうひとつの西田哲学入門です。

本文中のキーワードを枠外下段に大量に抽出して索引化することによって、本文 → 下段見出し → 索引 → 別の箇所の同じ/あるいは類似する文脈の本文へ、という参照関係を活字化して、書物をハイパーテキストとして活用するための便宜をはかりました。

小社の西田幾多郎論文集、第6弾です。
西田幾多郎の小社既刊書には次のものがございます。

◎ エッセンシャル・ニシダ 即の巻 西田幾多郎キーワード論集 *BEST OF NISHIDA ―― 有名著作を一冊に
◎ エッセンシャル・ニシダ 命の巻 西田幾多郎生命論集 *西田哲学全体をつらぬく根源的モチーフ、生命
◎ エッセンシャル・ニシダ 国の巻 西田幾多郎日本論集 *問われる西田、あるいは近代日本のパッション
◎ 種々の哲学に対する私の立場 西田幾多郎論文選 *哲学史のなかの西田哲学
◎ 実践哲学について 西田幾多郎論文選 *注目されてこなかった西田哲学の一論点
◎ 師弟問答 西田哲学 (三木清共著) *響きあう言葉、師を思う言葉。ひとつの西田哲学入門







加藤咄堂 著 『味読精読 十七条憲法』を刊行いたします。(2009年6月)


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『味読精読 十七条憲法』刊行にあたって(書肆心水)


本書の著者、加藤咄堂(熊一郎)は、20世紀前半に仏教・儒教・道教などの東洋思想を土台とした道徳・宗教思想の啓蒙家として活躍した人物です。出版書籍は200点以上にのぼり、最盛期には年間200回以上の講演を行ない、難解な思想や古典を平易に説き示して人気を博したと伝えられています。十七条憲法を解説する本書もその仕事のうちの一つです。

いま現在、「十七条憲法」「憲法十七条」の文言を書名に掲げてその解説を主とする単行本は、十七条憲法の知名度の高さ、そして聖徳太子論の出版点数の多さに比べると意外なほどに少なく、新刊書店で入手できるものは、花山信勝著『聖徳太子と憲法十七条』(1982年発行、大蔵出版刊)、岡野守也著『聖徳太子『十七条憲法』を読む――日本の理想』(2003年発行、大法輪閣刊)くらいのようです。

加藤咄堂によるこの「十七条憲法解説」の特色は、儒仏道の三教に詳しい加藤が、憲法中の語句の典拠となったと考えられている中国古典の文章などを引用紹介しながら、憲法中の字句の意義を解説し、おのおのの条文の意味するところを分かりやすく示している点にあります。したがって本書は、著者が十七条憲法を論じながら著者自身の思想を語るといった趣旨のものではなく、漢文で記された憲法条文の文意を精解し、それにまつわる事情を紹介するという趣旨の著作です。仏教を軸としつつも、儒教をはじめとする中国諸思想の影響も色濃い十七条憲法の解説に、加藤の素養がよく生かされています。

十七条憲法を聖徳太子の作とすることへの疑問は江戸時代からすでに生じており、現代の古代史研究の進展によってもその疑問は解決していませんが、日本書紀に記されている十七条憲法という文書が、統一王権国家構築期の朝廷において主体的に記された、日本最古の理論的政治思想文書として存在している事実はゆらぎません。

十七条憲法は、統一王権国家としての日本の出発点における指導的な政治思想・道徳論が整理されて示された、当時の他の文書に類を見ない稀少な史料であり、特定の歴史段階に属する専制君主制の官僚倫理論であるとともに、時代と政体をこえて評価され続ける超政治的宗教哲学の相をも持った文書といえるでしょう。換言すれば、それが書かれた時代状況を証言する文書であるにとどまらず、その後現在にいたるまでその思想が命脈を保ち続けている、日本思想史の個性的な重要文献です。

本書は1940年に発表された文章であるため、その口調と論調にやや古めかしい感じを受ける憾みはあるものの、十七条憲法の入門的解説書としての本質的価値は古びていないと考えてこのたび復刻いたしました。






中江兆民 著 『楽読原文 三酔人経綸問答』(併録『中江兆民奇行談』)を刊行いたします。(2009年5月)


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『楽読原文 三酔人経綸問答』刊行にあたって(書肆心水)


中江兆民の著作『三酔人経綸問答』(1887=明治20年、集成社書店刊)は、近代日本がその出発点において抱え込んだ葛藤をうまく表現した名作として広く知られていますが、その原文は下に掲げる画像のようなもので、いま現在の我々にとっては実に読みにくいものとなってしまいました。その近づきにくさを憂えた桑原武夫・島田虔次の両氏によって現代語訳が1965年に岩波文庫本で出版され、以後、『三酔人経綸問答』がどんな作品であるのかを知りたい人の大多数は、この両碩学による現代語訳を読むこととなりました。

ところで、翻訳というものは、それがいかに読みやすく、また文意を正確に伝えるものであっても、原文の味わいを伝えることは難しいものです。その文章が理論的な著述であるにとどまらない場合は、特にそう言えるでしょう。また、時代や作家の個性が文章表現に色濃く反映している、あるいはそれを読み取るべき作品の場合はなおさらです。

本書は、『三酔人経綸問答』をできれば原文で読みたい、ただ、あまり苦労してまで原文で読みたいとは思わない、という読者のための「楽読原文」版です。「楽読原文」とは、楽に読める原文というほどのつもりの造語ですが、文字づかいや句読点の表記を変えることなどにより、「原文」と呼べる範囲内でなるべく読みやすくしようと試みたものです。ひと言でいえば、「声に出して読んだら原文と同じ」だが、表記が違うということです。原文とどう違うのかが気になる読者のために付録資料として原文も収録しました。「楽読原文」の組体裁見本は、本の詳細紹介の別ページに掲載してあります(上掲の書影画像クリックで別ページへ移動します)。

併録の『中江兆民奇行談』(岩崎徂堂著)は逸話集ですが、わが陰嚢を引き伸ばして杯となし、芸者に一杯のませたという戯れ事から、真剣な政治的諷刺としての奇行までが記されており、伝記的史料のきわめて少ない兆民の人物像を察するうえで貴重な文献です。









山田孝雄 著 山田国語学入門選書(3)『日本文字の歴史』を刊行いたします。(2009年4月)


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山田国語学入門選書(3)『日本文字の歴史』刊行にあたって(書肆心水)


山田国語学入門選書の第3巻です。山田国語学入門選書および著者山田孝雄については、この下の記事(前回の記事)に紹介してあります。

この巻は、(1)日本人の心性と不可分の書記システムがもつ歴史性、(2)文法論や文章論からでは分からない文字づかいから見える日本語の特異相、(3)漢字導入に伴って構築・自覚された日本語、そしてそこから生れた万葉仮名というものが持つ革命性を検証するものです。「漢字+かな」表記はなぜ生れたのか、なぜ我々はそれを使い続けるのか、この問いへの答えと、その答えに至るための道すじが示されています。

狭義の日本語研究分野のみならず、日本のグラマトロジーとでも称すべき批評分野、また書道学にも役に立つユニークな一書と存じます。





山田孝雄 著
山田国語学入門選書(1)(2)

(1)『日本文法学要論』 (2)『国語学史要』 を刊行いたします。(2009年3月)


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山田国語学入門選書(1)『日本文法学要論』(2)『国語学史要』刊行にあたって(書肆心水)


山田孝雄(よしお、と読みます。1875生〜1958歿)の業績は、日本三大文法(ないし四大文法)の一つ「山田文法」として著名なもので、日本語文法論に関心の高い方にはよく知られるところですが、一般の方にとっては、時代の隔たりもあって、名前はきいたことがあるかどうかといったところではないでしょうか。山田孝雄は文法学を第一の仕事としましたが、その仕事の範囲は文法学にとどまらず、時代としては古代から現在まで、領域としては広く文芸・文章表現全般にわたっており、その学問の広さと深さはぬきんでたものと言ってよいでしょう。広義の《国語学者/日本語学者》の名に相応しい数少ない人物のうちの一人です。全著書の量は二万余ページにのぼると言われ、文法学上の主著二冊はそれぞれ千ページをこえるもので、また浩瀚な三巻本の『万葉集講義』の仕事もあり、谷崎訳源氏物語の校閲を依頼され担当したという話からも分かるように、まさに本格派の国語学者でした。

現在では日本語文法論もまた他の学問同様、大いに進化し、精密化していますが、そのいっぽうで山田のような大学者がもっていた「一人においての総合性」とでもいった包括的な豊かさこそがもたらす根源的な思想性からは離れていく傾向が否めないようです。このたび刊行を始めました「山田国語学入門選書」は、文法学、日本語学の専門家ではないけれども日本語に関心があり、とくに日本思想史の一面としての言語論に関心が強く、「日本語の成り立ちについて、確かな人の著述によってひと通りのことを、そして要点についてはしっかり理解したい」と考えるような読者を想定して出版するものです。最初の二冊は、山田文法の「要」と、日本語学の歴史の「要」を示した著作です。ともに「要論」ながら、碩学ならではの総合性と有機的議論に魅力があり、ポイントがつぎはぎしてあるだけのような入門書とは趣きが違います。

各巻の内容紹介、書誌、組見本などは別途設置のページに記してあります。上掲の書影をクリックしてご覧下さい。

山田が仕事をした時代は、日本が近代化に邁進した時代であり、西欧の学問の輸入と適用が盛んであった時代ですが、語学もまたその流れのなかにありました。日本語のどの部分が普遍的な理法でとらえうるものであり、どの部分は固有の理法でなければとらえられないかを考え始めた時代といえるでしょう。言い換えれば、「国語学」の時代から「日本語学」の時代へと変わっていく過渡期の、少し前ということになるでしょうか。「主語・述語」式の理解が日本語にとって本質的なものであるのかどうかという問題も山田文法学の一つの大きな論点になりました。昨今、「主語を抹殺した男」として再評価の高い三上章の仕事の要点も、山田を先駆者として、その延長線上にあるものと見られています。

文法論における山田の代表的成果は、「《は》が主格の助詞である」とする説を克服して、《は》という語の本質を、本居宣長が説く「かかり」の本質を読み破ることからつかみ、そこから日本語における表現の本源的な力(陳述の力)を見出したことに見ることができるといってもいいでしょう。山田自身が『日本文法学要論』において、「……日本文法の研究に殆ど半生を捧げたのであるが、その動機は『普通国語学』という書〔教科書〕に「は」を主格の助詞としてあったことにあり、その「は」が主格を示すものか否か、係ということは如何なるものかということに自分の研究の出発点があり、その係ということが確認せられた所に自分の研究の到着点があったのである」と記しています。この点、具体的にはどういうことかを、断片的ですが、『日本文法学要論』より引用して紹介いたします。(なるべく読みやすいように表記を多少現代化してあります)

*  *  *

●「は」という助詞は、いわゆる係詞 (かかりことば) である。「かかり」というは本居宣長の唱えた術語で、私がそれに基づいて係助詞という名目を立てたのである。その係りということの意義は本居も明言しては居ない(……)

鳥が飛ぶ。  (イ)
鳥は飛ぶ。  (ロ)

鳥が飛ぶ時  (ハ)
飛ぶ時  (ニ)

●(ハ)(ニ)の場合に「が」と「は」とは同じ作用を呈して見ゆるか否か。(ハ)の場合には多少物足らぬと思わるるが、それはこれから下にあるべき説明の語が未だあらわれないからであることは勿論だが、しかし、「が」の助詞の作用として見た場合にはそのままで十分なので、不満足の感は決して無い。これは如何なる理由によるかというに、この場合には「が」の勢力は「飛ぶ」という語に及ぶだけに止まって、時という語以下には決して及ばないからである。即ち「が」は主格を示すものであるから、その主格たる「鳥」の相手たる「飛ぶ」に関係を結べば、それでその役目が果されたので、その外には無関係であるからである。(主格の本質、随って主格の相手が何であるかということも従来の説明では不十分である。次項に説くから、ここでは立ち入っていわぬ。)即ちその関係は(ハ)の場合では既に十分に果されているからである。それ故に「鳥が飛ぶ時に空気が動く」「鳥が飛ぶ時にその姿勢を見給え」などと云っても「鳥が」と「飛ぶ」との結合はいつも同様でかわらないのである。然るに、(ニ)の場合には「鳥は」といういい方に対して「飛ぶ時」というだけでは収まりがつかない。即ち、ここには「飛ぶ時」ということをふみこえて、「飛ぶ時」にどうするかとか、どうなるかというような問いを発せねばならぬ勢いを呈している。即ちここには「飛ぶ時」といういい方で収まりがつかないので、「は」に対して或る陳述、或る説明を要求することは明らかである。即ちこの場合に、それに対する説明が無いならば、それは未だいわないのか、若しくは省略していわないのか、そうでなければ片言であるといわねばならぬ。(……)

●主格につくということは本質的のことでは無く、「は」が上にあるときにはいつも下に陳述が来なければ、収まりがつかぬということが考えらるる。かように考えて来てはじめて「は」という助詞は主格を示すということを本質としているものでは無くて、その本質は一定の陳述を要求する点にあるということが明白になるのである。本居が「係り」と云ったのは実にこの意味であり、「結び」と云ったのはそれに対する一定の陳述を云ったのである。(……)

●今日でもまだ、「係り」というのは結びの活用形を変形さする事柄をさすのであると考えているような人も往々見ゆるようであるが、さような人は「ぞ」「こそ」に対して口語では普通の終止を用いるから係りなどいうものは既に亡びたなどと思っているようである。しかしながら、さような人は外形しかわからぬ人であるといわねばならぬ。





『リオタール哲学の地平』を刊行いたします。(2009年2月)


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本間邦雄著『リオタール哲学の地平』刊行にあたって(書肆心水)


初の本格的なリオタール論が本になりました。著者の本間邦雄氏は、パリ第八大学でリオタールに学び、リオタールの著作数点を翻訳出版しています。「ポストモダン」の哲学者として知られるリオタールが1998年に亡くなってからもう十年にもなり、かつての「ポストモダン・ブーム」といった流行現象も昔の話となった感がありますが、リオタールの哲学は、そうしたジャーナリスティックな際物思潮と共に忘れてしまうのに相応しくありません。

絶対的判断基準なく、それぞれがそれぞれの正当性をもって対立する《抗争》の時代。――既成のシステムを反復するのでもなく、不毛な対決を繰り返すのでもなく、《文》を連ね延ばし転成させていくことで新たな地平をひらく道を模索したリオタールの哲学が、本書の著者へと連接し、さらに新たな地平がここにひらかれています。

現象学、マルクス主義から視覚芸術、精神分析までを論じ、ドゥルーズ、デリダらの哲学との対話のなかで同時代の世界情勢に応答しつつ展開されたリオタールの哲学。本書は、前期リオタールの《リビドー的身体》と後期リオタールの《情動-文》をキーワードとしてリオタール哲学の多様な論点を横断する、リオタール哲学と著者との対話の書です。著者の論調は穏やかで堅実なものですので、「いわゆる現代思想論には関心もあるし重要なものとは思うが、煽るような気取ったスタイルのものはどうも苦手だ」というような方にもお読みいただけるものと存じます。

目次、各章の内容梗概は、本の紹介ページのほうに記してあります。序にご覧いただければ幸いです。





『生田長江批評選集 超近代とは何か 1・2』を刊行いたします。(2009年1月)


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『超近代とは何か』刊行にあたって(書肆心水)


◎第1巻 新と旧……新事物崇拝イデオロギー批判
◎第2巻 信と善……宗教性・解放主義・性差別論の審問

日本初のニーチェ全集を個人完訳で果たした生田長江(1882-1936)の「本業」は文芸批評、社会批評でした。本書『超近代とは何か』は、生田の「超近代」をめぐる批評文を集めたものです。「超近代」「近代の超克」というテーマは大きな広がりをもった、長期に持続している問題設定ですが、生田の立場の特徴は、日本において最も早い時期にこのテーマで社会・文芸批評を書き連ねたところにあり、《国家主義に堕する前の初期「超克派」》ということができるでしょう。「超近代」「超克派」については、反動的な逆行に過ぎないと見る向きが少なくないようですが、実際のところそうした「悪」や「愚劣」に還元されるべきものなのかどうか?――本書はその点に早くから自覚的であった、元祖超克派からの回答です。

生田の批評文の書きぶりは、今現在から見れば「大雑把」な感じは否めないものの、それだけに却って根本的な論点は何であるかが明瞭に示されてあり、また、個人の思想として確かに生き抜かれたものであるために、個々の論点がバラバラではなく相互に結び合うものとして見えるというメリットがあります。

収録文章のタイトルは本の紹介ページのほうに記してあります。



なお、ご関心ある向きのために、同時代の哲学者三木清が生田長江を評した言葉を引用しておきます。

《私は遂に生田長江氏と面識を得る機会をもたなかった。氏の文章は当時一介の文学青年であった私の中学時代からずいぶん愛読したものであり、後に私が哲学をやるようになった原因にも氏のニイチェ紹介の影響などが含まれている。近年は氏の思想の跡に近く接して行くことはできなかったが、いま氏の死によって種々の思い出が甦って来る。

生田氏の仕事は甚だ多方面に亘っている。氏は評論家として最も知られているようであるが、評論のほか氏は詩も作り、劇も作り、小説も書いた。またそのニイチェ全集の翻訳は日本文化史上に、永く記念さるべき業績である。氏は文学者にして思想家であった。これは我が国では類稀なることである。真の文学者はつねに同時に思想家であるとすれば、生田氏はまことに文学者らしい文学者であった。氏の評論は文明批評家的眼光をもって貫かれ、終始人生の根本に相渉るという厳粛な態度を持している。

氏は文壇というものから離れて存在し、文壇というものに対して寧ろ意識的に反抗的であった。これは氏のあの宿命的な病気にもよるであろうが、また自ら恃むこと極めて厚い氏の性格にも基くであろう。第一流の人は手心なく痛烈に、第二流の人々は努めて同情をもって批評するというレッシングの態度が批評家の心掛でなければならぬと氏は後進に向って教訓した、と佐藤春夫氏は書いている。氏は氏のいわゆる「文壇家」を嫌悪した。文壇的でないということにおいて、生田氏はその私淑していた鴎外、漱石などと軌を一にしている。ところが文学者の仕事として永続的価値を有するものはそのような文壇的でない人々の仕事に意外に多いのである。これはこの頃の文壇的なあまりに文壇的な文芸家たちにとって、また思想家などにとっても考えてみるべきことであろうと思う。文学者にせよ、思想家にせよ、先ず必要なことは自己に忠実であるということである。

けれどもこのことは決して彼等が社会と没交渉であることを意味しない。評論家や哲学者の偉大さの資格は、何か大きな問題を提げて立つということである。生田長江氏の場合にしても、氏の最も華々しい活動が展開されたのは、ちょうど日本の文壇や思想界が自然主義から人道主義へ移って行った時代であり、氏の活動もまたこれに相応している。生田氏は単に自然主義者でなかった、氏のうちには遥かに強い人道主義的要求があった。しかし純粋に理想主義的な人道主義者となるにしては氏には自然主義的要素が多かった。我が国の人道主義はやがて或る人々において著しく社会的関心を示して来たが、その頃の生田氏の批評的関心も文芸から社会にまで拡大された。『徹底人道主義』『ブルジョアは幸福であるか』等は当時の氏を記念する評論集である。氏は堺利彦、大杉栄両氏などに接近し、友愛会主催の社会問題講演会において演説したこともあった。しかし日本の社会思想がやがて明瞭にマルクス主義へ移って行くに従って、生田氏は次第にアナーキスチックな、ニヒリスチックな傾向を濃厚にして来た。それと共に氏は我が国の文芸及び思想における従来の指導的地位から退くに至った。(後略)》

三木清著「生田長江氏」より抜粋(新漢字新仮名遣いに変更)






ニイチェ著『文語訳 ツァラトゥストラかく語りき』(生田長江訳)を刊行いたします。(2008年11月)


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『文語訳 ツァラトゥストラかく語りき』刊行にあたって(書肆心水)


世界中で広く愛される近代古典中の古典、ニーチェの『ツァラトゥストラ(Also sprach Zarathustra)』が日本で初めて完訳出版されたのは1911年、森鴎外の序文を附した生田長江(いくた・ちょうこう/1882-1936)の訳書でした。同書はまた、ニーチェの和訳単行本の嚆矢でもありました。生田長江はその後、個人完訳で、日本初のニーチェ全集を刊行します。1916年から1929年にかけて全10巻の新潮社版が、そして新訳決定版というかたちで全12巻の日本評論社版が1935年から翌年にかけて出版されました。

生田は『ツァラトゥストラ』の最初の翻訳を二度改訳しましたが、一度目の改訳版の序文においてこのように述べています。――「『ツァラトゥストラ』の私の最初の訳本は、1909年の初夏に起稿され、凡そ二十箇月近くに亘る文字通り専心の努力を経て、1910年の暮に脱稿されたのであった。それから十年を過ぎた今年の三、四月頃になって、私は別に誰からも強いられない、のみならず、勧められさえもしない『ツァラトゥストラ』の改訳を、寂しい心持の中にひとりでこつこつとやり出した。そして殆んど以前のより以上のとさえ云いたいほどの苦心に苦心を重ねて来て、丁度今、この改訳本の最後の頁を書き上げたところである。」

そしてその序文の結びに、「……それを訳出する上に口語なる現代語の一体が、ただに上乗の物でないのみならず、むしろ甚だ不便なるものであるということだけは、私の敢て断言するに躊躇しないところのものである。」と記されているように、生田長江はこの『ツァラトゥストラ』という作品の翻訳においては、文語調を選択的に採用したのでした。

生田個人完訳のニーチェ全集は、いまでは歴史的存在としての意味しか持ち得ないものとなったでしょうが、生田訳『ツァラトゥストラ』だけは例外的に、その文語調という訳文のスタイルの故に、いまなお、否、今後長く特異な意義を持ち続ける文化遺産であると言えましょう。

「かく語りき」の文言がいかにも相応しいこの『文語訳ツァラトゥストラ』。作中の言葉である「血と箴言とをもて書くところの人は、読まるるをねがわずして諳(そらん)ぜらるるをねがう」という思想によくマッチする文語の調べ。――こうしたセンスに趣味を覚える好事家に向けて本書を世におくります。





モーリス・ブランショ著『アミナダブ』(清水徹訳)を刊行いたします。(2008年10月)


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『アミナダブ』刊行にあたって(書肆心水)


清水徹氏の全面改訳による、ブランショの長篇小説代表作『アミナダブ』を、単行本版として刊行いたします。(清水氏訳の『アミナダブ』は初め集英社版『世界文学全集』にジュリアン・グラック著『シルトの岸辺』と合冊というかたちで刊行され、のちに『筑摩世界文学大系 ベケット/ブランショ』にも収録されました)。

文筆家ブランショの仕事のうち「批評作品」は早くからたいへん高い評価を受け大いに論じられてきていますが、小説ないしフィクション作品(作家自身によりロマン/レシと区別されている両者)については今なお深く公に論じられることが稀であるようです。著名人による代表的言及としては、ミシェル・フーコーの「外の思考」やレヴィナスの『モーリス・ブランショ』所収論考がありますが、相当の紙数を費やしてブランショのフィクション作品を深く考察している著名人は今のところジャック・デリダただ一人と言っても差し支えないでしょう(デリダによるブランショ論の大作 Parages は若森栄樹訳『境域』として小社にて出版準備中です)。

ブランショにおける小説作品の位置づけについてはジョルジュ・バタイユの興味深い言葉が残されていますので、以下に引用して紹介いたします。このバタイユの言葉は、ブランショの代表作とされる第三評論集『文学空間』(1955)が出る前の時期のものと推定されていますから、その後いっそうの深まりと広がりと独自性を見せるようになるブランショの全批評活動を踏まえたものではないということになりますが、それでもそこに指摘されていることは、一つの本質的問題提起であると言えましょう。(1954年頃執筆と推測されている、遺稿からの発見文書。Gramma(1976)3/4 初出。訳文は『現代詩手帖』1978年ブランショ特集版、清水徹氏訳より。)

《モーリス・ブランショを、もっとも読まれているフランス作家のひとりに数えることはできない。彼の名声について語られるべきことといえば、文学の現況に通じている多くの人びとが、彼のうちに、現に活動中の批評家のうちでもっとも注目すべき存在を認めている、という以上を出ない。批評活動のほうは認められているとしても、彼の小説は読者の反感を買ったし、とくに、批評の側面と小説の側面とからなる彼の文学活動の全体的意味は、これまであらゆる人びとから理解されなかったとまで言える。」(……中略……)「彼の書く批評は、ときに唖然として言葉も出ぬほどの深まりを示す分析ぶりにどのような関心が注がれようと、彼の作品活動の二次的な、より接近しやすい側面にすぎない。》(ジョルジュ・バタイユ)





『中村屋のボースが語る インド神話ラーマーヤナ』
『シンフォニア・パトグラフィカ――現代音楽の病跡学』を刊行いたします。(2008年9月)


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『中村屋のボースが語る インド神話ラーマーヤナ』
『シンフォニア・パトグラフィカ』刊行にあたって(書肆心水)



ラス・ビハリ・ボースは、近年、中島岳志氏による評伝『中村屋のボース』によって一躍著名になりましたが、生前10冊ほどの著書を出版しています。1)インドの独立闘争をめぐる事情を紹介するものと、2)インド文化を紹介するものに大別されるそれら著書群のなかで、後者を代表する著作が本書です。来日したタゴールに励まされ、インド文化の紹介を志しての出版事業であったようです。ボースは、「一言にていえば、もしインドを知りたいと思われる方は、まず第一にラーマーヤナとその他の二、三の古典をお学びになるのがよい」と本書の緒言で述べています。

ラーマーヤナは、マハーバーラタと共に歴史の教科書に重要文化事項として記載されるインド古代文芸の代表作でありながら、今なお日本語全訳のない浩瀚な大叙事詩です。本書は、ボースが自身の思想も交えながらラーマーヤナを解説し、そしてその全編のあらすじをダイジェスト風に紹介する著作です。インドとの交流が進む今、知っておきたいインドの代表的古典ラーマーヤナの道案内として、インド人でありまた正義の闘士であったボースは最も相応しい人物の一人と言えるでしょう。(ボースの簡単な略歴は本書詳細ページに記してあります)

* * *


『シンフォニア・パトグラフィカ』は、クラシック音楽フリークである精神科医の小林聡幸氏(自治医科大学精神医学)が、病跡学(パトグラフィー)の立場から、現代音楽の作曲家たちを論じる著作です。病跡学あるいはパトグラフィーとは、芸術家などの創造性について精神医学やその周辺領域の知を使ってなにがしかの解明をなそうとする学問で、日本では宮本忠雄氏らによってその道がひらかれてきました。本書は現代音楽の創造者たちを病跡学の立場からまとめて扱った初めての本です。

20世紀クラシック音楽の作曲界を病跡学的に広く見渡したイントロダクションと、8人の作曲家を個別詳細に論じる8つの章の構成で、各章には音盤紹介も附されています。クラシック音楽愛好家によく知られた作曲家から、よほどの好事家でないと知らないような作曲家までを論じます。論じられるのは、ヤナーチェク、ロット、バルトーク、ランゴー、ペッテション、ナンカロウ、ツィンマーマン(B.A.)、シュニトケの8人です。

作曲家の「診断」ではなく、音楽作品からその創造者である作曲家の心、あるいは精神構造体としての作曲家の姿をたどること、そして精神医学に関心ある読者はもとより音楽を愛好する読者、音楽の「現代性」を通して20世紀という時代について考えてみたい読者に開かれたものであること――本書はそうした立場でまとめられています。





『日本哲学の黎明期』 『近世日本哲学史』 を刊行いたします。(2008年7月)


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『日本哲学の黎明期』 『近世日本哲学史』 刊行にあたって(書肆心水)


「開国」とともに始まった日本における「哲学」導入の風景を再現する二冊を刊行いたします。まだ150年ほどでしかない日本人と哲学のつきあいですが、その始まりはどんな様子で、どんな動機によるものであったのか?――いま現在の「哲学」イメージからは大きく隔たる当時の日本の「哲学」がもった日本思想史上の一大転機としての意義を理解させてくれる、二人の先人が遺した貴重な証言と研究成果です。

1)桑木厳翼著『日本哲学の黎明期――西周の『百一新論』と明治の哲学界』

本書は、桑木厳翼(1874-1946)の論文集ですが、著者生前にこの本自体が発行されたのではなく、著者生前の二つの出版著書『西周の百一新論』と『明治の哲学界』を底本として、その中から選んだ論文類を一書としたものです。選んだ文章は、本書の副書名に表現したように、1)「哲学」という訳語を考案した西周(にし・あまね)の業績と人物を紹介した文章、2)明治の哲学界の様子を紹介した文章、3)そしてこの二点に属する問題や話題を論じた文章です。著者自身が底本二冊のはしがき、あとがきで説明するように、底本の二冊にはそれぞれの本が主題とするところからやや離れた文章も少なからず収録されています。よって本書は、底本二冊それぞれが主題とするところの肝腎の文章を選び出し、新たに「日本哲学の黎明期――西周の『百一新論』と明治の哲学界」の書名を以てそれらを括ったという次第です。なお、本書の主題とした時代には括りえませんが、その後の展開の一風景でもあり、また著者の日本哲学界における位置を知らしめる貴重な記録でもあるものとして、著者が参加した国際哲学会議の報告類を附録しました。

著者桑木厳翼は帝国大学(後の東京帝国大学、現東京大学)でケーベル、井上哲次郎に学んだ哲学者であり、京都帝大教授、独・仏・英留学を経て東京帝大教授となり、日本のアカデミズム哲学の基礎を築いた人物です。カント研究の先駆者で、その認識論的合理主義の立場は西田幾多郎らの「京都学派」とは異なる「東京学派」とでも称すべき学風を持っていると言われています。

2)麻生義輝『近世日本哲学史――幕末から明治維新の啓蒙思想』

麻生義輝は若くして亡くなったこともあって(1901-38)、今ではほとんど知る人もない研究者だと思われますが、『西周哲学著作集』の編纂者でもあり、このテーマについては最も深く踏み込んだ研究者といっても過言ではないでしょう。丸山眞男が本書について遺した評言、「本書は日本の啓蒙哲学の形成を学問的に取扱った殆ど唯一のモノグラフィーとして永く学界に銘記さるべき労作である」、この言葉がそのことを明かしていると言えましょう。この名著を、活字を新たにし(新漢字・新仮名遣い)全文収録したものが本書です。副題の「幕末から明治維新の啓蒙思想」は本版の発行に際して説明的に付加しました。

この機に各研究室、図書室の蔵書として、貴重な遺産を次代に継承して下されば幸いです。





『地図から消えた国、アカディの記憶』を刊行いたします。(2008年6月)


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『地図から消えた国、アカディの記憶』(大矢タカヤス/ロングフェロー著) 刊行にあたって(書肆心水)


本書は、カナダ東海岸、ケベックとアメリカのはざまで英仏植民地争奪戦たけなわの18世紀に起きた大規模な「追放事件」に端を発し、今現在もその「記憶」が生き続けている「アカディ」という場所をめぐる問題に光をあてるものです。そのフランス系開拓民の強制追放はイギリス軍によって1755年から数年間続けられ、その結果、六千から七千人のフランス系開拓民、いわゆるアカディアンが、北米のイギリス植民地を初めとしてフランスやイギリス本国にまで追放されたと言われています。

アカディ、そんな国はどこにもありません。しかし自分がアカディアンである、その子孫であるという人は、一説では世界に300万人もいるのです。どのような経緯でそれらの人々が今や名前しか存在しない土地を故郷と思い定め、共通の絆で結び合っているのでしょうか。それに答えるためにはカナダ史の、日本ではあまり知られていない1ページを開いてみる必要があります。18世紀の半ばアカディと呼ばれていた土地からイギリス軍によって強制移住させられたフランス系開拓民たちの悲しい思い出が、一世紀のちにアメリカの詩人ロングフェローによって謳われ、この長篇詩『エヴァンジェリンヌ』が、カナダはもとよりアメリカ、ヨーロッパ各地に散りぢりになっていた子孫たちの心を強く打ったのです。

本書はロングフェローの作品『エヴァンジェリンヌ』を第一部とし、この『エヴァンジェリンヌ』に触発されてアカディの歴史を調査し、また現地取材も続けてきた大矢タカヤスによる「アカディの歴史」を第二部とする構成をとっています。

いまなお癒えていない植民地主義時代の傷、文学が歴史を動かしていく力、多言語主義と少数派言語権問題など、複合的な様相を示す「アカディ問題」にご興味をお持ちいただければ幸いです。なお、「アカディ」はフランス語で、英語では「アカディア」ということになります。





大川周明の二冊を刊行いたします。(2008年5月)


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大川周明道徳哲学講話集 道』 『特許植民会社制度研究』 刊行にあたって(書肆心水)


松本健一氏をはじめとして最近の佐藤優氏、中島岳志氏にいたるまで、時々の評論家に評価され、論じられ続ける大川周明は、アジア主義者、日本主義者、宗教学者などの多様な論点を設定しうる人物で、「国家としての近代日本」という問題設定において、避けて通り難い人物です。

これまでも大いに論じられてきた大川ですが、今回小社から復刻する二冊は、これまであまり大きくはとりあげられてきていない大川の2つの側面にアプローチするための基本文献です。1つは客観的な歴史研究者としての姿を示す『特許植民会社制度研究』で、もう1つは大川の思想の根柢にある人格的な倫理思想を述べた『大川周明道徳哲学講話集 道』です。(『大川周明道徳哲学講話集 道』は、『人格的生活の原則』と『中庸新註』とを合本にして、新しい書名で括ったものです。)

『特許植民会社制度研究』は、吉野作造らを審査員とする法学博士号取得論文(大川40歳の時)ですが、その序文に次のようにあります。
「本論文の目的は、植民地統治の一形式たる、特許会社制度の意義及び価値を、植民史的事実に基きて明かにするに在り。しかしてこれがために、前後両期に於ける諸特許会社の重要なるものについて、その成立並〔ならび〕に事業を研究し、その各自の意義及び価値を検討したる後、全体としてのかくの如き制度に対して、植民政策的批判を与えたり。」

自身が満鉄東亜経済調査局編集課長であった大川周明が、植民会社というものをどのように考えていたのか? 大川周明についての理解を深めるうえでも、また過去の日本の植民政策を考えるうえでも参照する意味のある著作です。

『大川周明道徳哲学講話集 道』は、儒教的思想論という体裁をとりつつも、儒教に限らずインド哲学、イスラーム、西洋哲学の倫理思想についても知るところの深い大川ならではの「人格的な道徳哲学の原則」が示された著作です。大川は、東京裁判開廷の法廷において、脳梅毒による発狂行動を示したために裁判から除外されましたが、大川自身としては法廷で自身を弁護することを強く望んでいたことからしても、また著作に示された思想からしても、道理の闡明において何かから逃げるような姿勢はとらない人物と評価してよいと思います。

例えば性欲というものは、道徳論議においては曖昧で遠まわしな語られ方がされ、避けられることも多い難しい論点ですが、大川は本書において、性欲というものを自然法則の最も根本的な現象と位置づけたうえで、性欲と「恥」との関係について大いに論じ、「恋愛は、今日の学者がしたり顔に主張する如く、美しき仮面を被れる性欲に非ず、自然的性欲が精神化せられて高き情操となれるものである」というような判断を示しています。大川らの思想は「反科学的な精神主義」と括られて、近代化の文脈において非難されるべき思想と位置づけることがある種「常識」となっているわけですが、その「精神」というものが、実のところ、科学との関係においていかなる位置を占めるものであるかを、本書において感じ取ることができると思います。思想史の作業として「精神主義」の歴史性を定位するうえでも価値あるテキストです。

『大川周明道徳哲学講話集 道』収録の『中庸新註』には『中庸』の原文と読み下し文が併録されています。文庫本の『中庸』の原文には返り点がついていませんが、本書の原文には返り点がついていますので、ひとつの『中庸』読解入門書としてもご活用いただけると思います。





『入門セレクション アジア主義者たちの声』(全三巻)を刊行いたします。(2008年3月)


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『入門セレクション アジア主義者たちの声』刊行にあたって(書肆心水)


3つの世代、3つのテーマ構成でアジア主義の流れと論点を構造的に把握する3巻構成です。ご関心に応じて各巻独立した単行本としてお読みいただけます。

■上■ 玄洋社と黒龍会、あるいは行動的アジア主義の原点
頭山満・犬養毅・杉山茂丸・内田良平 著

■中■ 革命評論社、あるいは中国革命への関与と蹉跌
宮崎滔天・萱野長知・北一輝 著

■下■ 猶存社と行地社、あるいは国家改造への試み
北一輝・大川周明・満川亀太郎 著

頭山満をはじめ、これらの名前は聞いたことがあるし、批評のたぐいは目にしたこともあるが、よくは知らない。自分の理解している日本近代史や東アジア近代史において、彼らは何かしら意味をもつだろうか。――このような関心をもつ読書人に向けて、彼ら自身の言葉によって彼らの思想と行動のアウトラインをつかむ縁となることを願って編集したのが、この選集形式の入門読本です。(入門書を意図しておりますのでこれらの著者の本を既にお持ちの方は収録文章の重複を各巻紹介ページの目次でご確認の上お求め下さい)。

この選集は、1)それぞれの人物のおよその姿、2)これら九人に代表されるような思想的政治的動向が、個別に見れば矛盾や背反を孕みながらも、全体として継世代的なひとつの流れをなしている様子、この二点をつかみとることを意図しています。このひとつの流れは、日本人の「行動的アジア主義」あるいは「在野型アジア主義」として特徴付けることもできるでしょう。「行動的」は「言論的・理念的」に対するものとして、「在野型」は「政府の国家運営」に距離を置くものとしての特徴です。このアジア主義にはさらに、彼ら言うところの「第二維新」という内政の変革が不可分に連動しているという特徴もあります。

収録する文章については主に以下五つの観点から選定することを旨としました。

 各人の人格的思想が読み取れるもの。
 各人の東アジア情勢の時局認識と、アジアないし東アジア復興の理念が表現されているもの。
 各人の行動がどんな方面に特徴的であるかを示すもの(例えば、中国革命援助、藩閥勢力への介入、対朝鮮方面の行動などといった特徴)。
 研究者的傾向もある人物については、どんな方面の研究を志向しているかが分かるもの。
 この選集が扱う人物相互の関係が記されているもの。

上巻 は「玄洋社と黒龍会、あるいは行動的アジア主義の原点」の括りにより、頭山満・犬養毅・杉山茂丸・内田良平の文章を収めました。この選集が扱う「流れ」における第一世代です。所属関係としては玄洋社、黒龍会に属さない人物もいますが、人間関係中心の結社横断的な協働においてなされた仕事を、玄洋社と黒龍会の名称で代表的に括りました。

●頭山満 1855-1944
●犬養毅 1855-1932
●杉山茂丸 1864-1935
●内田良平 1874-1937

中巻 は「革命評論社、あるいは中国革命への関与と蹉跌」の括りにより、宮崎滔天・萱野長知・北一輝の文章を収めました。この選集が扱う「流れ」における第二世代です。革命評論社の活動は短期間でしたが、ここで手を結んだ三人は中国革命に長く関与し、それについて最も意味ある文章を遺した人物であることから、革命評論社の名称を以てこの巻を括りました。

●宮崎滔天 1870-1922
●萱野長知 1873-1947
●北一輝 1883-1937

下巻 は「猶存社と行地社、あるいは国家改造への試み」の括りにより、北一輝・大川周明・満川亀太郎の文章を収めました。この選集が扱う「流れ」における第三世代です。北一輝の行動は中国革命と国家改造の両方に跨るため、巻においても二巻に跨りました。北一輝において「中国革命への関与から自国の改造へ」という、時代状況を踏まえたアジア主義実践課題の論点移動を見ることができます。北・大川・満川は猶存社の三位一体と呼ばれ、北との「決別」後に大川の思想を綱領として結成されたのが行地社です。

●北一輝 1883-1937
●大川周明 1886-1957
●満川亀太郎 1888-1936

この九人のごく主要な関係性を整理したのが下記の図です。最も強い協働関係にあるものが隣り合うように配置したものなので、図では接触していなくても大なり小なり交流や影響関係のある場合がほとんどで、本文の記述により読者において平面図表現の限界を補われるべきものです。





西田幾多郎論文選『種々の哲学に対する私の立場』『実践哲学について』を刊行いたします。(2008年1月)


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西田幾多郎論文選『種々の哲学に対する私の立場』『実践哲学について』刊行にあたって(書肆心水)


小社では昨年秋に西田幾多郎の入門選集を「エッセンシャル・ニシダ」全3巻として刊行致しましたが、今度は、もう少し西田を読み深めてみたいという読者向けに、二つの論文選を刊行いたします。

「誰々論」という形のまとまった書物を遺さず、ひたすら自己の哲学を練り上げることに努めた西田の姿は、「エッセンシャル・ニシダ」収録の有名諸篇によく見ることができますが、一方で西田は、先行する種々の哲学者たちに対して自己の哲学をどのように位置づけているのか? これを明示する、最初期から最晩年までの論文を集めたのが『種々の哲学に対する私の立場』です。
《「デカルト哲学について」に於ては、種々なる哲学に対して私の立場を明らかにした。私の哲学に対して、種々の批評もあるが、異なった立場からの批評は、真の批評とはならないと思うのである》という西田最晩年の言葉に因んで、『種々の哲学に対する私の立場』の書名で括りました。

『実践哲学について』のほうは、従来の西田選集の類では全くとりあげられることのなかった、「実践哲学」関係の論文を集めたものです。実践と認識を二項対立的にとらえるような考え方、自己を世界の外に置く立場から、自己が世界の中にある立場への転換、あるいは観念論と唯物論をともにのりこえる「場所的弁証法」の哲学世界が示されます。西田が好んで口にした「物となって考え、物となって行なう」という謎めいた言葉は何を意味しているのか? 「我と物との矛盾的自己同一」「行為的直観」等、西田独自の概念によってそれを説く、長い論文三篇で構成しました。主体/客体二分法的論理をこえる「論理」を生涯探究し続けた西田哲学こそがなしえた「実践」概念の革新がここに示されています。

*「エッセンシャル・ニシダ」全3巻の紹介文はここをクリックして下さい*





『波多野精一宗教哲学体系』を刊行いたします。(2007年12月)


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『波多野精一宗教哲学体系』刊行にあたって(書肆心水)


波多野精一は、西田幾多郎の同僚として京大の哲学・宗教学講座草創期に活躍した、広い意味での京都学派の一員です。禅仏教系の色合いの濃い京都学派の宗教哲学のなかにあって、キリスト教をベースとした宗教哲学を展開した独自の位置を占めています。

西田幾多郎のように有名ではありませんが、お互いの仕事に対して、自己の仕事の意義を強く意識しあう関係だったようです。「波多野君の今度の本〔『宗教哲学』〕は非常に優れたものだ。しかしもう一歩先へ踏み込んで考えるべきところが残されている」という意味の西田の話し言葉が伝えられていると共に、「西田君のような学問は一夜漬けが出来るが、僕のはそれが出来ないよ」との波多野の話し言葉も伝わっています。今や知る人も少ない偉大な業績を現代に継承すべく、主著「三部作」と呼ばれる『宗教哲学序論』『宗教哲学』『時と永遠』を、「波多野精一宗教哲学体系」の書名で括って刊行いたします。

哲学と宗教がもつ歴史的な深い関係を、哲学史および自己の哲学から体系的に呈示するこの「三部作」は、哲学への関心は深いけれど宗教には違和感ある読者が、哲学との関係における西洋宗教の本質的論点を理解するのにも好適の書と存じます。「時間性と他者性」「象徴性と実在性(シンボルとリアリティ)」が全体としての論点であり、現代思想系哲学の愛読者の関心や疑問にも答える先駆性を持っています。

哲学者であることを自己の公の仕事とした波多野は、個人的な信仰生活については一切公刊していませんが、「宗教哲学は宗教的体験の理論的回顧、それの反省的自己理解でなければならぬ」というのがその揺るがない持論でした。理性を本領とする哲学と、信仰を本領とする宗教の緊張関係に深い自覚を持ち、『宗教哲学』の「序」の末尾には、「本書において著者は、宗教的体験に於て主体の対手をなすものを言表わす為め、便宜上「神」という語を用いた」という一文が記されています。波多野が独文で書いて1904年に東大大学院の卒業論文として提出した『スピノザ研究』は、安倍能成の和訳により1910年公刊されますが、日本における初の本格的スピノザ研究といえる同書をものした波多野の、後年の主著における上記の言葉は、『エチカ』を神の《定義》から始めるスピノザを連想させるとともに、理性(哲学)と信仰それぞれの意義を峻別する立場に立つスピノザの「私の哲学」と、波多野の、「宗教的体験の理論的回顧、それの反省的自己理解」を自己の仕事とする「宗教哲学」との差異を思い合わせれば、哲学と宗教の関係を考える読者には大きな問いが開かれるところでもあろうと愚考いたします。





『イデオロギーとロジック 戸坂潤イデオロギー論集成』『日本的哲学という魔 戸坂潤京都学派批判論集』を刊行いたします。
(2007年11月)


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『イデオロギーとロジック 戸坂潤イデオロギー論集成』『日本的哲学という魔 戸坂潤京都学派批判論集』
刊行にあたって(書肆心水)



戸坂潤(1900〜1945)は、西田幾多郎を原点とする「京都学派」の流れに属する哲学者ですが、京都学派が全体として「日本的」な色合いが強いのに対し、マルクス主義哲学の立場から自分の哲学を練り上げた独特の位置を占めています。哲学者であると同時に批評家でもあり、『日本イデオロギー論』(岩波文庫)を代表とする時局批評にも力を入れました。1930年代に集中的に驚異的な量の著述活動を行ない、終戦を目の前にして獄死した人物です。

マルクス主義は旧来そのままの政治運動としては今や時代錯誤の感が否めませんが、戸坂の著作中の、1)普遍的な哲学的原理論と、2)日本思想史上のユニークな一論点を各々選集としてまとめました。

『イデオロギーとロジック』では、日常語としては単なる悪口として使われるだけの「イデオロギー」を、「論」の対象とした場合の豊かな可能性が示されます。鶴見俊輔氏が、「戸坂は同時代批評に移る前に、批評の方法についての原理的考察に長い時間を費やした。その成果は『イデオロギーの論理学』、『イデオロギー概論』に集められた」と評した仕事群です。鶴見氏は又、戸坂が自分の使う批評の用語を、なになに学ドイツ本店、ソヴィエト本店から借用せずに、自ら定義しつつ著述を進める姿勢をも高く評価しています。戸坂のような基本的で総合的なイデオロギー論の連作は今なお類を見ません。

『日本的哲学という魔』は、西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎、三木清の哲学を批評する論集です。京都学派は、日本に従来存在しなかった「哲学」なるものを日本に導入するという独特の歴史段階に位置しています。その後の、輸入専業型の哲学論者とは違って、輸入と共に自前のものを組み込む、あるいは生み出す努力をした哲学者の学派です。したがって、そこには日本と哲学の関係の、歴史的に根源的な問題が存在し、勢い「日本的」なものが練り込まれてもゆくのですが、ユニヴァーサルな立場の戸坂はこの「日本的」哲学のイデオロギー性を強く批判しました。本書には戸坂の京都学派批判論を全て集め、戸坂批評の真価を呈示いたします。





『エッセンシャル・ニシダ』全3巻(西田幾多郎著)を刊行いたします。(2007年8月〜9月)

『即の巻 西田幾多郎キーワード論集』  『命の巻 西田幾多郎生命論集』  『国の巻 西田幾多郎日本論集』



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『エッセンシャル・ニシダ』刊行にあたって(書肆心水)


日本を代表する哲学者である西田幾多郎(1870-1945)には、その格に相応しい大変立派な岩波書店版全集があり、90年代には燈影舎版「西田哲学選集」も刊行されましたが、どちらも函入の高級品で、庶民は何巻もは私有しにくいものです。安定供給の廉価版として処女作『善の研究』の文庫版がありますが、『善の研究』以後、30年以上をかけて約20冊の単行本に記された西田哲学の進化、到達点を大づかみにするのがこの企画です。西田論の本はずいぶん沢山ある一方、西田自身のテクストを読める手頃な版がなさすぎると考えてのことです。

西田の哲学の単行本は「連作論文集」といった趣で、生涯一つのことをめぐってコツコツ書き連ねた論文を折々本にまとめていったものです。弟子の三木清によれば、「毎日きまって少しずつ書いてゆかれ……長篇作家が小説を書いてゆく仕方に似たところがある」ということです。単行本の書名はある時期から『哲学論文集第〜』というものに統一されます(第一から第七)。したがって西田の「ベスト版」は、特定の単行本を重視するのでなく重要論文をピックアップすることにより、ちょうどミュージシャンの「ベストアルバム」のように構成することができます。この企画はそのように構成しました。

西田の哲学を評して、三木清はこのように述べています。――「先生は多くの論文を書かれながら結局一つの長篇論文を書かれているのである。そしてそれは完結することのないものである。それは多くの小説を書きながら一生の間結局一つの長篇小説を書いているにほかならぬ作家の場合に似ている。先生はいろいろなテーマについて書かれながら、結局一つの根本的なテーマを追求されているのであって、その追求の烈しさと執拗さとはまことに驚嘆のほかない。もちろん、『善の研究』このかた最近の論文に至るまで、先生の哲学には発展があり、その発展に注目することは大切である。しかしそこにまた根本的に連続的なものがある。」

この三木の評言は本物の哲学者の何たるかをよく語っているように思えます。例えばジャック・デリダは、生涯をかけて、「脱構築」の語で括られる一つのことに取り組みましたが、その仕事はただ一つのことをめぐって、差延、散種、代補、メシアニック等々のキーワードを編み出すかたちで進められました。西田の仕事の仕方もこれに似ています。生涯をかけてただ一つのこと、結局は「絶対矛盾的自己同一」と称されることになる実在のありようを探究する過程で、場所的論理、永遠の今の自己限定、弁証法的一般者、行為的直観、自覚等々、西田哲学のキーワードが生み出されました。



『エッセンシャル・ニシダ』各巻の特色は次のようなところです。

即の巻・キーワード論集は、一冊もののベスト版。ページはそうとう増えましたが、収めるべきものを収めました。A5判・512ページで本体2800円です。

命の巻・生命論集は、現代的・一般的なテーマでの一冊。これまで西田にご関心のなかった方にも接していただけるテーマとしてまとめてみました。「生命」のモチーフは西田哲学全体を貫いています。この巻に収録の「論理と生命」「生命」は『即の巻・キーワード論集』に収めてもよい重要作品。A5判・192ページで本体1900円です。

国の巻・日本論集は、西田が最も批判される日本論、国家論、国体論。西田論の中で話題になることは多いが、一般には眼に触れにくいと思われるテクスト群です。「問われる西田」の実際を自分で確かめたい読者のための一冊。日本型「ハイデガー問題」といった関心からも参照すべき論点です。A5判・224ページで本体2500円です。

どの巻にも「西田幾多郎全著書目次=論文名リスト」(年代順表記)を附して、西田の仕事の全過程を見通しながら、この選集に収録するそれぞれの論文が、西田の仕事全体のどこに位置づくものかが分かるようにしました。索引も一工夫して、いわゆる用語だけでなく西田一流のフレーズ、例えば「物となって考える」「自己が自己に於て自己を見る」の類も採用することにより、使える索引となることを目指しました。

絶対矛盾的自己同一の考え方は神秘主義ではない、むしろその逆、徹底的実証主義、絶対的客観主義であるという西田の訴えが読者に伝わる選集となることを願っております。





『タブーと法律』(穂積陳重著)を刊行いたします。(2007年7月)





『タブーと法律――法原としての信仰規範とその諸相』刊行にあたって(書肆心水)


現代の法律のように、「合理化」され、また明示的に「強制」されてはいないものの、社会の「秩序」を保つ上で大きな働きをするタブー。これは「原始人」だけのものではなく、現代社会の日常でも大いに機能しているものであることに異論はないかと思います。

昨今廃れつつあることと思いますが、手紙文で相手などに敬意を表するために改行して次の行の頭に人名を書く風習がありますが、これも「タブー」の一つの転化現象です。そもそもタブーは、身の安全を守るために「距離」をとることにその原点を持っていますが、転じて秩序の維持のために「距離」をとること、権威あるものに「近づかざること」にもなっていく現象です。年配の方はご存知のように、戦前の活字文献にはしばしば「天皇」という文字列の直前に一文字文のアキが組まれていることがありますが、これもその一種です。

さて、このタブーですが、いざ、それがいかなるものか全体的に把握してみたいと思っても、総論的なよい著作がちょっとみあたりません。タブー論の書籍は、ありそうでいて学問的なものはほとんどないのが現状と言って差し支えないのではないでしょうか。書名にタブーをもった有名な著作と言えば、フロイトの『トーテムとタブー』ですが、これは当然、精神分析の文脈にある著作で、また、西洋の著作です。このたび刊行する穂積陳重の著書は、著者がライフワークとした「法律進化論」の一部分にあてられた「タブー論」で、「法律進化論」の立場から、タブーの本質、諸相、「進化」過程などを総合的に検証した、類書なき業績です。また、日本や中国の事例(漢字表記におけるタブー実践など)を豊富に検証しているという意味でもユニークな価値があります。法律書というよりは、法人類学の著作といった趣の本です。



どの国でもそうであるように、近代化への大きなステップは合理的な法律を整備することでしょう。穂積陳重は開国日本に近代的法律を導入する事業の、重鎮中の重鎮でした。穂積に関して残されている有名な話の一つにこんなことがあります。死後故郷で銅像建立の話が持ち上がったが、「老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし」の生前の穂積の言葉により、銅像はやめにして、或る橋が「穂積橋」と命名されることになった、ということです。

この話については「エライ人の美談の類というものは……」という見方もできるでしょうし、また穂積の著述についても「権威ある法学者の場合はその《実証的》言説自体がパフォーマティヴな政治性を帯びているものなのだ」といった見方もあるでしょうが、穂積の書きぶりをみていると、「銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし」ということがそれとなく伝わってくる気がします。個人的な批評精神というものとは別な、「学者たる者の公正さとはこういう手つきのものでもあるか」と感じさせるものです。

古いスタイルの著作で、とっつきにくにところもあるかとは思いますが、ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。





『偶然と驚きの哲学』(九鬼周造著)を刊行いたします。(2007年6月)





『偶然と驚きの哲学――九鬼哲学入門文選』刊行にあたって(書肆心水)


『「いき」の構造』で著名な九鬼周造の哲学主著は『偶然性の問題』ですが、本書は、その主著以後、「偶然性」にさらに「驚き」の論点がリンクした、九鬼周造晩年の到達点を示す講演・論文を、九鬼哲学入門として集めたものです。

主著『偶然性の問題』は今現在、燈影舎版『京都哲学撰書第5巻 偶然性の問題・文芸論』として新本が入手できますが、『九鬼周造随筆集』(岩波文庫)の編者菅野昭正氏も同書で、《『偶然性の問題』を苦労しながら理解しようと努力しても》と述べるように、哲学主著の常で、平易とはいいかねるものです。しかしこれはユニークで魅力ある哲学世界と思います。そこで九鬼哲学への入門のための小選集として本書を製作いたしました。

『「いき」の構造』にその資質が十全に展開されているように、九鬼は「情」の領域に対する鋭い感性をもっていて、上記菅野氏の言葉を借りれば「文人哲学者」という趣、あるいは「論理と情の哲学」です。九鬼の短歌ノートに次のような歌がのこされています。

   「偶然性の問題」を著して――
   わくら葉のものの「はずみ」をかたくなの論理に問ひて一巻をなす
   偶然論ものしおはりて妻にいふいのち死ぬとも悔ひ心なし
   一巻にわが半生はこもれども繙く人の幾たりあらむ

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。





『憂い顔の『星の王子さま』』(加藤晴久著)を刊行いたします。(2007年5月)





『憂い顔の『星の王子さま』――続出誤訳のケーススタディと翻訳者のメチエ』刊行にあたって(書肆心水)


「読みつがれて50年」、『星の王子さま』の著作権保護期間が終わり、2005年6月から2006年11月にかけて、14点もの新訳が続々現われました。ご存知の方も多いと思います。

著作権フリーになったからとはいえ、これだけたくさんの新訳が次から次へと出たのは、『王子さま』が世界的ベストセラーだからというだけではなくて、内藤濯訳『星の王子さま』は問題のある翻訳だという、「噂の」事情があったからです。「どうもそうらしいが、あれはあれでいいのだ」という説に対して、具体例を示し「いや、そうは言えない」と言うのが本書です。また、訳は問題だが日本語としてはいい文章だという立場に対しても「ノー」です。

新訳14点と英訳版3点も比較検証します。また、新訳ラッシュに関するジャーナリズムの報道も批判します。

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。

*本書が論じる「定番」と新訳書一覧*

内藤濯 訳『星の王子さま』、岩波少年文庫 001、岩波書店、初版1953.3.15、新版2000.6.16
小島俊明 訳『星の王子さま』、中央公論新社、2005.6.25
三野博司 訳『星の王子さま』、論創社、2005.6.30
倉橋由美子 訳『新訳 星の王子さま』、宝島社、2005.7.11
山崎庸一郎 訳『小さな王子さま』、みすず書房、2005.8.24
池澤夏樹 訳『星の王子さま』、集英社文庫、集英社、2005.8.31
川上勉・廿樂美登利 訳『プチ・プランス』、グラフ社、2005.10.25
藤田尊潮 訳『小さな王子』、八坂書房、2005.10.25
石井洋二郎 訳『星の王子さま』、ちくま文庫、筑摩書房、2005.12.10
稲垣直樹 訳 『星の王子さま』、平凡社ライブラリー 562、平凡社、2006.1.11
河野万里子 訳『星の王子さま』、新潮文庫、新潮社、2006.4.1
河原泰則 訳『小さな星の王子さま』、春秋社、2006.5.10
谷川かおる 訳『星の王子さま』、ポプラ ポケット文庫、ポプラ社、2006.7
野崎歓 訳『ちいさな王子』、光文社古典新訳文庫、光文社、2006.9.20
三田誠広 訳『星の王子さま』、講談社 青い鳥文庫、講談社、2006.11.15






『真説 レコンキスタ』(芝修身著)を刊行いたします。(2007年5月)





『真説 レコンキスタ――〈イスラームVSキリスト教史観〉をこえて』刊行にあたって(書肆心水)


中世スペインを舞台とする「レコンキスタ(国土回復運動)」は、8世紀、勃興するイスラーム勢力がイベリア半島に侵入し、以降その地を治めたイスラーム勢力をキリスト教国が徐々に駆逐する歴史を指す言葉ですが、これは当時の言葉ではなく19世紀の造語です。初級世界史でも習う事項で、これは従来、「西方十字軍」とも言われ、イスラーム対キリスト教としての観方が主流でした。本書はこの史観を修正する、和書(訳書も含め)では初の成果です。

西欧とイスラームの関係が語られる場合、「宗教」が過剰に前面に出る傾向があります(ブッシュの十字軍のように)。近現代のことは別にして、時間を十分に隔てた歴史の叙述においても長い間そうした偏向があったと言えるでしょう。その代表例としての「レコンキスタ観」を見直すのが本書です。

500年を要したレコンキスタは1492年のグラナダ王国の陥落で完成しますが、この年、コロンブスはスペインを出発します。大航海時代(と世界資本主義の500年)の始まりです。大航海時代の立役者となるスペインとポルトガルの国家成立を準備し、西欧世界とイスラーム世界の境界(今なお変わっていない境界)を画定したのがレコンキスタで、それは宗教的理由によるよりも、主要因から見れば、「力」を蓄えてきた晩期中世西欧世界が領土を求め拡大する、「近代」の胎動だった――本書に拠ればこうした興味深い観方に導かれます。

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。





2007年4月は『奪われたるアジア』(満川亀太郎著)を刊行いたします。





『奪われたるアジア――歴史的地域研究と思想的批評』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、満川亀太郎著『奪われたるアジア』を刊行いたします。(著者紹介は書誌案内の別ページをご覧下さい )。

『奪われたるアジア』(原本1921年=大正10年刊行)は、《日本近代史再考》の流れで小社刊行継続中のアジア主義関連書の1冊です。満川亀太郎は北一輝、大川周明とともに“革新結社”猶存社の「三尊」と称された人物です。北一輝と大川周明の強烈な個性に比べて影が薄いのですが、その穏やかな個性にふさわしい、バランス感覚ある実証的研究や批評を大量に残した重要人物です。

一口にアジア主義者といっても、その個性や思想的なポイントは多様なもので、満川の場合は「反人種差別」が彼の特色ということになるでしょう。例えば、当時はユダヤ人差別についての世の認識は甚だ低かったのですが、満川の場合は「復興アジア」を軸とする彼の課題の中に、ユダヤ人差別問題や黒人差別問題が並行的に組み込まれていて、満川には『ユダヤ禍の迷妄』『黒人問題』という著書もあります。今回解説を寄せてくれたスピルマン教授は、映画『戦場のピアニスト』の主人公のユダヤ人シュピルマンの長男ですが、スピルマン氏が満川研究に従事していることも、満川の個性を間接的に語るところと思います。

戦前日本の「左右」両方を含めた「革新」主義者たちの中で、満川のように「奪われたるアジア」というテーマを、広域的・総合的に、しかも抽象的でなく個別具体的史実を積み上げて検証した人物は稀有な存在です。復興アジアの問題を、目先の東アジアの状況だけにとらわれることなく、大きく世界史の問題に位置づける立場です。

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。





2007年2月は『三木清批評選集 東亜協同体の哲学』と『師弟問答 西田哲学』(西田幾多郎・三木清)を刊行いたします。


           


『東亜協同体の哲学』 『師弟問答 西田哲学』 刊行にあたって(書肆心水)


衆目の一致するところの日本の巨人哲学者と言えば、西田幾多郎に始まり、その後は井筒俊彦、廣松渉といったところで、寂しいことにもうその後は無しなのだろうか、とも思われてしまうのですが、読者諸賢の印象は如何でしょうか。

その廣松渉は、1994年5月に亡くなる直前の3月に、「日中を軸に「東亜」の新体制を」と題した短文を『朝日新聞』に寄稿しましたが、その内容と、遺言めいたタイミングで話題を呼びました。部分引用すれば、「東亜共栄圏の思想はかつては右翼の専売特許であった。日本の帝国主義はそのままにして、欧米との対立のみが強調された。だが、今では歴史の舞台が大きく回転している。日中を軸とした東亜の新体制を! それを前提にした世界の新秩序を! これが今では、日本資本主義そのものの抜本的な問い直しを含むかたちで、反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう。」というものです。

「右翼/左翼」の分類図式が、この記事が話題・問題になった要因だと思われます。巨人哲学者廣松渉の心中は推し量りえぬところながら、「アジア協同」の問題は、世界資本主義(近代世界システム)がもたらした「近代」の当初から埋め込まれているものであり、その陽性の意義が自滅的に失われた過去があるだけに、未解決の課題として新たに問うに値するものと思います。

西田幾多郎の弟子である哲学者三木清は、まさにこの東アジア協同の問題に真剣に取り組んだ、しかも十五年戦争当時(1931-45)の渦中で、ものを書くのが非常に困難な状況の中で、「東亜協同体」の問題を、その「可能性の中心」において模索した稀有な人物です。これまで三木のその側面は、「右/左」「進歩/反動」の視点では微妙な問題になるが故になのでしょうか、あまり十分には論じられてきていませんが、今回出版の選集がA5判480頁になったように、長期にわたって多量の粘り強い思索を積み重ねています。

三木の立場はつづめて言えば、資本主義・自由主義・個人主義といった抽象的な世界主義を克服した、新しい世界主義としての「東亜協同体」というもので、これは対抗的民族主義(ナショナリズム)を止揚した立場であり、自身の哲学テーマ「構想力の論理」の実践的側面です。三木の「東亜協同体の哲学」は今こそ参照すべきユニークな遺産と思います。

*  *  *

『師弟問答 西田哲学』は、三木に根本的な影響を与えた師の西田幾多郎との珠玉の対談と三木の西田論で構成したもので、『善の研究』くらいはいちおう読んだし、西田哲学は気になっているけれども本格的なものにはまだちょっと……、という一般読書界に向けて、「西田自身が語るひとつの西田哲学入門」としておくりたいと考えているものです。

よく理解しあった師弟ならではの絶妙の問いと卒直な答えで、西田の核心的な思想が、自身の硬質な著作には見られないような分かりやすい言葉、かつ含蓄ある言葉で語られています。

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。








2007年1月は『犬養毅の世界』と『頭山満直話集』を刊行いたします。


           


『犬養毅の世界――「官」のアジア共同論者』 『頭山満直話集』 刊行にあたって(書肆心水)


今月は、二人のアジア主義者の本を刊行いたします。

犬養毅は首相経験者なので歴史の教科書にも登場する人ですが、今ではもはや、尾崎行雄と共に「憲政の神様」という賛辞で知られるか、あるいは5.15事件で銃口を向ける軍人に「話せばわかる」と対応したとの話で知られる位のところかもしれません。しかし近代日本とアジア主義の問題を再考するうえでは欠かせない重要人物です。

本書は、犬養が自身の思想を口述し、その速記原稿を校閲した稀少価値あるテキストと、犬養伝の決定版の著者が犬養の横顔・論点を示したテキスト、写真・年表で構成したもので、従来あまり重視されなかった「アジア共同論者」としての側面を浮き彫りにする試みです。

孫文やボースら、アジア解放に苦労する亡命志士をサポートしたのは、日本政府ではなく宮崎滔天や頭山満ら浪人連、つまり「民間」だったわけですが、犬養だけはその例外で、「官」の立場にありながら、アジア復興の国際連携に、口で言うだけでなく実際に何かをした人間です。犬養は書道でも有名な人ですが、東洋趣味・東洋思想に根ざす知見が中国通たらしめ、近代世界システムにおける東アジアの状況について、おおかたの政治家とは一線を画した認識を持っていました。

*  *  *

小社既刊『頭山満言志録』 は、頭山満が西郷隆盛の「西郷遺訓」の解釈などから自身の思想的な核心を示すような本でしたが、今回刊行の『頭山満直話集』のほうは、回顧的な楽しい談話録という趣のもので、頭山の過ごしてきた人生の大枠の流れを知ることができる、「頭山満一代記」というような本です。

頭山にまつわる話というのは、1)頭山を敬愛する人々によるものはその魅力を神格化する傾きがあり、2)反対に黒いイメージで描く向きは「触らぬ神に祟りなし」的な切り捨てで、具体的論点が不在の傾向があります。

戦前には頭山語録の出版物がかなり出ていますが、これらを調べてみると、時代状況や編者の立場と思われるところによって、同一のエピソードがかなり違ったニュアンスで書かれていることがあります。頭山は細かいことにはこだわらない性質だったようで、出版物などは本業とは関係ないのだから勝手にしたまえという姿勢だったようです。この『頭山満直話集』は、それらの中で最も脚色の少ないものを選んだものです。

なお本書には、『中村屋のボース』で有名になったボースの救出事件をめぐるボースと内田良平の直話が併録されています。

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。




△英国政府+日本政府の「お尋ね者」になったインド独立運動の亡命志士ボース。ボースは、危険を冒して保護してくれた恩人たちを招いて、毎年謝恩会を主催していた(昭和七年。中村屋にて)。画面右から、頭山夫人峰尾、犬養、ボース、頭山、内田良平。





2006年12月は『内村鑑三小選集 愛国心をめぐって』を刊行いたします。





『愛国心をめぐって――普遍の愛と個別の愛』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、内村鑑三の小選集『愛国心をめぐって』を刊行いたします。(著者紹介は書誌案内の別ページをご覧下さい )。

愛国心は、近代日本が始まって以来、おりおり問題化されてきたテーマですが、ここにきてまた論議が高まっています。小社ではこの機に、カレントなモードの議論とはまた別に、内村鑑三の思想を手がかりにしてこの問題を考えてみたいと思い、内村の厖大な著述の内のごくわずかな分量ですが、このテーマで小さな選集を編んでみました。

内村鑑三は明治〜大正〜昭和に活躍したクリスチャンの評論家ですが、クリスチャンになってからも武士道の思想を重んじ、愛国者であることを強く自任し、日清戦争時の可戦論者から日露戦争時に非戦論者となった人物です。小社が他ならぬ内村に着目したのは、内村自身が言うように内村が「二つのJ(JesusとJapan)への愛に生きた」人物だったからで、そこには、普遍的な人類愛と個別的な自国愛が両立するロジックと、そのための条件があります。

愛国心問題はきわめて込み入った難しい問題ですが、昨今の状況における大きな論点は、1)政府主導の国家(=法)が個人の良心に働きかけることの是非、2)愛国心が人類愛に反した排他的なものになる傾向、というあたりではないでしょうか?

クリスチャンというありかたで人類愛を生きると同時に、武士道的愛国者であることを強く自任した内村鑑三の思索は、1)個人的良心や道徳と国家の関係性について、2)個別愛と普遍愛の両立のありようについて、時代をこえて、多様な立場から、思索の友とするに値する貴重な遺産であると考える次第です。

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。





2006年11月は『其日庵の世界――其日庵叢書合本』(杉山茂丸著)を刊行いたします。





『其日庵の世界』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、ホラ丸こと其日庵・杉山茂丸の著作『其日庵の世界(其日庵叢書合本)』を刊行いたします。(人物紹介は書誌案内の別ページをご覧下さい )。

杉山茂丸が、自身の思想をもっともあからさまにつづったエッセイ集に『其日庵叢書』というものがあります。第一編から第三編までの構成ですが、第三編は小社既刊の『百魔』に収録済みのため、第一編+第二編の合本を『其日庵の世界』として刊行いたします。杉山流の武士道死生観によって開国近代日本の病理を問うという趣きの思想論や、義太夫(浄瑠璃)と刀剣という杉山の趣味等を語ったエッセー集です。

義太夫について申せば、岩波文庫に杉山の著作『浄瑠璃素人講釈』が入っていますが、これは先般、『週刊新潮』(9.28)の『百魔』書評 で福田和也氏も「『浄瑠璃素人講釈』は斯界の大名著として知られる伝説的な作品です」と紹介されているもので、「素人」とは杉山らしい書名のつけかたながら、関心をもった分野には中途半端でない食い込みを見せる杉山がとりわけ愛好したのが義太夫でした。

本書収録のエッセイも、義太夫を語る文章が一個の文明論になっているところに杉山の考えの深さが感じられます。思想論は、一見ムチャクチャの「暴論」ですが、開国近代日本の病巣を深くえぐっているものでもあり、近代日本の問題化に重要な視点と小社はとらえております。

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。





2006年10月は洪自誠原著・加藤咄堂著
味読精読 菜根譚』前集(処世交際の道)+後集(閑居田園の楽)を刊行いたします。





味読精読 菜根譚』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、東洋伝統思想の結晶『菜根譚』の本格的道案内、『味読精読 菜根譚』を刊行いたします。

『菜根譚』は中国の明の時代に書かれ、江戸期に日本に伝えられて以来、今日まで広く愛されてきた古典ですが、儒教と仏教と道教が渾然一体となったユニークな思想書です。陽明学や武士道的なハードな思想ではなく、平凡な穏やかさを大事にするソフトな思想が人気の理由と思われます。かといって、事なかれ主義の「まあまあ、いいじゃないですか」志向でもなく、自律的な倫理観が、よりよくあろうと考える読者層をひきつけているようです。

日本の近代化も百五十年の歴史を経てだいぶ落ち着きを見せ、国家関係にはまだ実に難しい軋轢がありますが、全体としては欧米流近代化一辺倒の傾向を抜けて、風土を近くする東アジアの一員としての自己を違和感なく見る空気になってきたようです。日常生活としても、例えば夏のネクタイなしが、エネルギー政策が主旨であるにせよ、この蒸し暑い土地柄にはどうにも不具合であることよ、という当たり前の発想を伴って受け入れられているようですが、思想面でも、長期の歴史と実績をもつ東洋思想の「もっともさ」が、個人の生活の中で静かに省みられていくのが時代の流れではないでしょうか。

伝統的に漢字文化圏であった地域には歴史に深く根ざす思想的蓄積が共通のものとして伏在していますので、政教分離の公の学校文化では難しいにしても、個人の思索においては今後おおいに参照され、東アジア地域間連携の深層で、目立ちはしないが大きな意味をもっていくと思います。自己を展開するのに長けた実証的・物質的西洋近代思想と、自己を克服するのに長けた内観的・思索的東洋伝統思想は、同程度の重要性をもって扱われる価値のある、それぞれの利点を持っています。小社では、小規模ながらもできるだけ多様な出版の切り口を立てていきたく、今後のひとつの柱として、東洋伝統思想にも取り組みたいと考えております。

東洋思想という言い方はいかにも大雑把なもので、そんなものはあるのかな?という見方もありそうですが、ソコデいかにも便利なのが『菜根譚』という書物です。儒教と仏教と道教の、俗に言えば、いいとこ取りというような著作であって、体系的にそれらの関係が示されている種類のものではないのですが、通読すればなんとなくその勘所が身に染みてきたように思えるところが、広く愛されるゆえんと思います。

本書は、儒学・禅仏教に造詣の深い加藤咄堂がその素養をいかし、あるいは語義を解説し、あるいは関連する話題を援用しながら『菜根譚』の思想を解説し敷衍する、いま望みうる最も豊かな『菜根譚』読本です。(加藤咄堂については本書紹介の別ページをご参照下さい)

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。





2006年9月は『死生観――史的諸相と武士道の立場』(加藤咄堂著)を刊行いたします。





『死生観』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、「死生観というキーワードはこの書から始まった」と目される死生観史論の古典『死生観』(1906年刊)を刊行いたします。

古代から現代まで、人間にとって、詰まるところの問題は死であると考える人は多いと思います。近代になって公的・学術的論議は科学・実証主義をベースとするものに変わりましたが、そもそも科学・実証主義で覆いきれないこの死生問題は、近現代において、前近代にはなかった種類の難しさを抱え込んだと言えるでしょう。このたび刊行の『死生観』は、思想史上の位置としては「伝統的議論の終着点と近代的議論の出発点の境界」という、稀有な位置にある著作です。

近年、武士道の価値観が注目されているようですが、武士道といえば「武士道とは死ぬことと見つけたり」の句が思い浮かぶように、死生観が思想の核に位置づいています。現代日本の最も大切にされている価値観は、個人の生存をあたう限り優先すること――死を被ることはもちろん、命をかけて(も)自ら何かをなすという考え方はつつしむこと――であるように感じられますが、この生命観からすれば武士道は現代日本の価値観とは相容れないものと思われます。いったい今の時代、武士道の価値観を時代錯誤なく生かせるのか、生かせるとすればどんな意味においてか、そもそも武士道死生観の核心はどんなものか、また武士道死生観は一つなのか多様なのか、他の思想との関係はどうなのか、こうしたことを考えるには、武士道の立場自体をよく知ると同時に比較の視点も必要です。『死生観』は、この点においてユニークな個性をもった著作です。

科学・実証主義の定着は現代社会に多大な恩恵をもたらしていますが、その一方で、科学をはみ出す問題は私的な領域に押し込められる嫌いがないでしょうか。教育・研究の世界では宗教学等の専門領域をはみださない範囲に、また世間では教団や知人友人の枠内にとどまって、研究・出版としても、俗に言えば「やや怪しい」領域と見なされがちなようです。難しい事情はあれ、この種の問題はひろく論じられてよいものだと思います。

『死生観』の著者加藤咄堂(かとう・とつどう/1870〜1949)は、仏教・儒学等の東洋思想を土台とした修養思想の啓蒙家として活躍した人です。出版書籍は200点以上にのぼり、最盛期には年間200回以上の講演を行なって、難解な思想や古典を平易に説き人気を博しました。武士道論者としても修養論者としても新渡戸稲造に先立つ人物でしたが、新渡戸がキリスト教徒で、東大の教授にもなり、近代的市民であることを目指しながら控えめに日本の伝統に合致した修養を唱えた人であったのに比して、加藤は東洋大等の教職にもあったものの基本的に在野の論者であった故か、あるいはその思想が「古い」東洋思想に根ざすが故か、戦後は殆ど省みられなくなった人物です。200点以上の著作の中には、『碧巌録大講座』(15巻)『修養大講座』(14巻)といった大仕事もあります。今回の『死生観』は、自身の思想呈示の意味も強いためか、「森厳」なスタイルの著作ですが、著書の多くは平易な語り口の中に素養の厚みを感じさせるもので、東洋思想再評価の上で注目に値する著述家です。小社では引き続き加藤咄堂の著作をいくつか刊行の予定です。

現代の死生観問題は、医師・病院との関係、技術との関係、近親者との関係、現代的生命観との関係などなど、往時の日本人のそれとはだいぶ違ってきています。加藤咄堂の『死生観』は古典ですから、その意義と思想史的位置を客観化することも必要ですので、宗教学の第一人者、現代死生学研究共同プロジェクトのリーダー島薗進氏(東京大学大学院人文社会系研究科教授)の解説を付して、読解の一助といたしました。なお、新漢字・新仮名づかい等でなるたけ読みやすいように編集してあります。

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。





2006年8月は『百魔(正続完本)』(杉山茂丸著)を刊行いたします。





『百魔(正続完本)』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、『ドグラ・マグラ』夢野久作の問題の父、玄洋社のシンボル頭山満の無二の盟友、其日庵杉山茂丸の幻の主著『百魔』完全版を刊行いたします。

本人言うところの「国事道楽」人生で家庭をかえりみなかった杉山茂丸(1864-1935)は、長男の夢野久作(1889-1936)にとって実に問題のある父親だったようですが、その愛憎あい半ばする親子関係は、夢野久作文学のネガ的起源とも言えるものでしょう。戦後、夢野久作を発掘し、その紹介に甚大な功績を遺された鶴見俊輔氏は、杉山茂丸の『百魔』とその親子関係について次のように評しておられます。

「その主体のもっている図式がペタッとハンコのように何の上でも押されていくわけですよね。(……)その手形を押すことのできる人間だけに彼(夢野久作:引用者注記)は興味をもった。その興味のもち方というのは、実は杉山茂丸譲りなんだ。杉山茂丸著の『百魔』というのはそういうものなんですよ。魔人とは何かというと、何やってもその仕事にバーンと自分の手形を押す人間のことなんですよ。だから成功も失敗もない。明治以降の最も成功した人間を百人書こうなんて、そんな考え全然ないわけだ。ある人間は気狂い同様で死ぬ。ある人間は木賃宿で死ぬ。そんなことはどうでもいいことなんだ。しかし彼が魔人であったかどうかだけが杉山茂丸の興味の対象で、有名も無名もないし、上昇も下降もないんだ。自分のこの生きてきた明治以降の暮らしの中で魔人をどんどん、どんどん書いていったわけだ。それが『百魔』でしょう。その観点は夢野久作に継がれていますね。」
(三一書房版『夢野久作全集3』解説対談より引用)


小社既刊の杉山茂丸著『俗戦国策』 は茂丸の回顧録エッセーでしたが、この『百魔』はユニークな文学作品というべきもので、夢野久作ファンには見逃せない意味をもった本と言えるでしょう。また、明治〜大正〜昭和にかけて活躍した「政財界の影武者」杉山茂丸から見えてくる日本近代史の姿、昨今あまり直視されることのない歴史の側面が感じられる貴重な史料とも言えるでしょう。

うまい言い方ができませんが、現在の日本人は、制度や理論や科学の連鎖を伸ばし巡らすことで概ね安定した世の中を生きているのに対して、杉山茂丸らが生きた時代は、個人の力量が大きな意味を持つ不安定な時代であったと思います。杉山茂丸が位置した状況に詳しい葦津珍彦氏は次のような談話を遺しています。

「しかし、明治人は政争のロジックの優劣よりも、政治を思想する主体としての人物の正否、優劣そのものを重視して進退しています。これは、中江兆民のような理論家でも、政治の実践に関しては「人間」に重点をおいています。とくに明治人のなかでも、頭山(頭山満:引用者注記)は、人間を重く見ています。ロジックが整理されていてもその精神に誠意なく、実力なきものは無視する。ロジックは多少怪しくても、乱雑でも、その精神が忠実にして力ある者は、友とするに足るとの判別で進退しました。文章のロジックのみを見て、人間の実質を見ることの乏しい現代知識人に、しばしば理解しがたいのは、そのあたりにも理由があるかと存じます。」
(葦書房刊『頭山満翁正伝(未定稿)』解説より引用)


時間的にも空間的にも近い歴史を、時代錯誤なく対象化し、学ぶべきところを学び、生かしうるところを生かす上で、杉山茂丸という奇人の持つ意味は大きいのではないかと考え、人間の底力という《魔》を謳う異色文芸『百魔』を刊行いたします。

なお、『百魔』は80年代に文庫版(上下二巻本)が一度出ましたが、それは「正篇」だけでしたので、「続篇」を加えた完本の復刻は今回が初めてとなります。

ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。


*ご案内* 杉山茂丸を紹介する識者のウェブサイト
其日庵資料館(夢野久作をめぐる人々) http://www1.kcn.ne.jp/~orio/
谷底ライオン http://homepage2.nifty.com/tanizoko/index.html





2006年8月は『さなぎとイマーゴ』(岩切正一郎著)を刊行いたします。





『さなぎとイマーゴ』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、新しいボードレール論『さなぎとイマーゴ』を刊行いたします。

ボードレールとともに人間の歌は変質したと言われます。期待されたハーモニックな空間のなかに調子外れな音を呼び入れるボードレールの詩。そこには隠されていた真実の語りが書き込まれ、その詩が我々を我々自身へと送り返してくれる、と。

「ボードレールが創造するのは、近代的自我にくいこんでいる傷の痛みを持ったまま、幸福でありえる、そのような場所である」。これが本書『さなぎとイマーゴ』における著者岩切氏の基本的な視点です。古い幸福のかたちがリアリティを持ちえなくなっている時代の幸福のありようを、言語と人間の関係から考察する力作です。

岩切氏は自身詩人でもありますが、若い頃からボードレール研究を積み重ね、その成果を『さなぎとイマーゴ』にまとめました。本書の「序」は次のように書き起こされており、岩切氏のモチーフがよく感じられるように思います。

「ママ、ことばって、何」と小さな男の子が母親に質問する。「ことば……人がそのなかに住む家よ」と母親は答える。口をついて出てきたその答えに、自分もまた内側から照らされているような表情が、その面(おもて)をよぎってゆく。ゴダールの映画『彼女について私が知っている二、三の事柄』の一シーンだ。

「家」という語に、小市民的な、あるいは宗教的な臭いを嗅ぎつけることができるかもしれない。けれども私は、この定義を、子どもに言われたものとして、単純な真実として、受け取りたい。次のように言い換えることの可能な定義として。「人がそこに住むことのできないことば(langage・言語行為)は、たとえおもてむきにはことばの姿をしていても、本当の意味でのことばではない」と。

詩のことばこそは、なによりも人がそこに住むことのできることばである。住むという語は、もちろん、ただ安らぎの場にいることを意味するものではない。詩的にそこに住まうということは、そこで深く宇宙と結びつくよろこびであると同時に、そこで深く傷をひらくことでもある。


ご興味をお持ち戴ければ幸いに存じます。





2006年6月は『滔天文選』(宮崎滔天著・渡辺京二解説)を刊行いたします。





『滔天文選』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、滔天思想の真価を文人としての姿にみる『滔天文選』を刊行いたします。

小社既刊の渡辺京二著『評伝 宮崎滔天(新版)』 は、本読みの達人鹿島茂氏が『週刊文春』書評エッセイで「宮崎滔天を描き切って間然するところのない傑作評伝」と仰るように、滔天という人物をもっともよく理解し、また滔天という人物が抱え込んだ近代日本の問題を大変よく対象化した作品ですが、この作品は、滔天の思想の真価を、滔天の一風変った戯文のなかにみることができるということを教えてくれるものでもありました。

『滔天文選』は、この渡辺京二著『評伝 宮崎滔天』の示唆によって生れた作品選です。

《滔天宮崎寅蔵はふつう孫文と親交のある中国革命援助者として知られる。しかし彼には並々ならぬ文才があって、彼が書き遺した戯文は、明治・大正期のわが国の文学において、ひとつの椅子を要求してしかるべきものだと私はずっと信じて来た。》

《滔天に文章の才があったことは明白である。達意にして奇想に富み、歯切れよくしかも賑やかである。たのしんで読むに足る文章であるが、戯文はときに真摯な思考の道具ともなりうる。たのしみつつ、ときには考えを凝らして読んでいただくならば、文章家滔天は泉下にほほえむであろう。》

上記の引用文は、渡辺氏から『滔天文選』に寄せていただいた解説エッセイの冒頭と末尾ですが、そこに語られている魅力がもっともよく伝わってくる作品を厳選いたしました。『文選』に収録した滔天の文章が、そして滔天の何だかうまくいかない志士としての生涯が抱え込んでいた問題のありどころを、「近代日本の狂と夢」と表現して、副書名として添えてみました。

お手に取っていただければ幸いです。





2006年4月は『俗戦国策』(杉山茂丸著)を刊行いたします。





『俗戦国策』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、明治〜大正〜昭和にかけて活躍した「政財界の影武者」、杉山茂丸の大作主著『俗戦国策』を刊行いたします。

知る人ぞ知る奇人という感じの杉山茂丸ですが、一般には杉山自身の事績よりも、『ドグラ・マグラ』の小説家・夢野久作の父親としてその名のみが知られていると思います。著作は多数あるのですが、本書のほかに今現在一般向けの新本で売られているのは、岩波文庫の『浄瑠璃素人講釈』だけです。

杉山茂丸は、1864(元治1)年生まれの1935(昭和10)年歿。自称の号は其日庵(そのひあん)、在野の《国士》です。(今の言い方では《無職》ということになりましょうか……)。一人一党の無官無位で通し、明治・大正・昭和政財界の舞台裏で、経済・内治・外交・軍事を不可分とする経綸を生涯の仕事とした人物です。日本国内・台湾・朝鮮における鉄道・港湾開発事業や銀行の創設、満鉄株式会社の創設、外債導入などの実業面から、日清日露の開戦および終戦・講和などの軍事・外交面、さらに内閣や政党の組織工作まで、元老・要人を説き伏せ動かし、重大国事の影武者として活躍。その無私の提言が、伊藤博文、山県有朋を初めとする元老や内外の大資本家を動かしました。

杉山茂丸は、玄洋社の頭山満と根本思想を同じくする無二の親友でしたが、頭山が官僚的なものには距離をとったのに対して、杉山はむしろ政界・官界・財界の本丸に乗り込んで、要人を説き付け操るというタイプのやり方を極めた人物で、「静の頭山」「動の杉山」という評言もあったようです。交渉相手は日本の大物にとどまらず、単身アメリカに乗り込んで、大資本家J・P・モルガンからの巨額借款交渉も成立させた腕前でした。

元老政治家ら大物を動かすとはいっても、なにしろ17歳の頃からの一人一党主義。伊藤博文から警視総監就任を要請されてもこれを固辞して、生涯無官無位を貫いた杉山でしたから、カネや政党勢力を持っているわけでなし、人を動かす道具は「国家経営の道」を説くその言葉と我が身一つの行動力だけでした。大胆卓抜な発想、機転、逆理、能弁によって、私心なく要人を操るその手腕は人形遣いにもたとえられ、たわむれに「ホラ丸」とも呼ばれた人物です。豪快な人間であるいっぽう、いたずら心あふれる人物で、その「奮闘記」である『俗戦国策』には笑えるいたずら話も多く記されています。

また、「正史」には全くあらわれない舞台裏の貴重な史実証言としても極めて面白いもので、日本近代史の理解に厚みをもたせる上で重要な一書と思います。この種の人物や歴史的側面は、はっきりしない部分が多いことと、戦後学術界の政治的な価値観からは受け入れにくいことがあって、アカデミックな考察・議論ではこれまで全くといっていいほど取り上げられてきていませんが、日本近代史の貴重な証言者であることは否めないでしょう。貴重な証言者であることは、例えば、『歴代総理大臣伝記叢書・全32巻』(東京大学教授御厨貴氏監修・ゆまに書房刊)の山県有朋と桂太郎の巻に杉山茂丸の著作が採用されていることにも示されているように思われます。

お手に取っていただければ幸いです。


*杉山論法の一例を杉山茂丸著『百魔』(小社近刊)からご紹介いたします。

日本工業化のための日米資本融通交渉を志して渡米し、当局の紹介状一本もなしに大資本家J・P・モルガンから一億三千万ドルの借款話をとりつけて、時の大蔵大臣井上馨に議を移したときの話です。杉山の献策を相手にしようとしない井上ですが……。

「《……貴下(あなた)は、貴様のような小僧といわるるが、貴下が明治八年、大蔵卿をした時は四十歳です、僕は今三十七歳です。貴下はたった三ツの違いで、僕を小僧と罵って、財政を論ずる資格がないと、どなりますか。もちろん、人間は年に関係なく賢愚はありますが、貴下は怜悧で、僕は馬鹿という。どんなメートルを持っておれば僕に対して小僧呼ばわりをしますか。また、貴下が国家に尽くすのは月給を取って賃銭片手にした国政ですよ。僕は一文も賃銭を取らず、国民が不憫じゃから自費で世話をするのですよ。貴下は勲等官爵という、国家の名誉権力を以て国政をするのですよ。僕は無位無官で国家に奉公するのですぜ。貴下は困ればしばしば辞表を出して、責任を回避しますが、僕は十六歳より今日まで、一度も国事に辞表を差し出しませぬぞ。サァ、貴下の明答を聴くまでは、敬語を以て物をいいますが、いたずらに非理を以て国家忠勤の士を罵った以上は、答えが出来ねば、僕も受けただけの恥辱は、きっと倍加して報いますぞ》と詰め寄せた。ところがこの大蔵大臣は実に人格のいい人で、非を悟ったらいかなる人にでも直ちに豁然として謝る人ゆえ、《イヤ、これは僕が悪かった。気にさえてくれたまうな。ゆっくり話も聞き、書類をも拝見しよう》といわれたので、庵主は直立して今の無礼を謝し、諄々と説いたら、非常に氷解せられて……」(漢字仮名表記等変更してあります)






2006年3月は『宮崎滔天 アジア革命奇譚集』(宮崎滔天著)と『評伝 宮崎滔天』(渡辺京二著)を刊行いたします。


           


『宮崎滔天 アジア革命奇譚集』『評伝 宮崎滔天』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、明治・大正時代に活躍した「元祖実践的アジア共同論者」とでも言うべき宮崎滔天の『宮崎滔天 アジア革命奇譚集』と、『逝きし世の面影』の渡辺京二氏による『評伝 宮崎滔天(新版)』を刊行いたします。

現代中国の出発点となった1911年辛亥革命に結実する革命運動のリーダーであった孫文が、最も信頼した同志の一人は日本人の宮崎滔天でした。中国革命は当時の清朝腐敗政権を倒そうという運動でしたから、孫文は中国国内にいられずに、世界を説き回りつつ革命運動の拠点を日本においていましたが、その右腕となって働いたのが滔天でした。滔天と孫文が生きた時代は、日本がすっかり軍国主義化してしまう前の時代で、迫りくる西欧植民地主義の嵐に対してアジアが課題を共有しえた時代でした。この時代まで遡って近代における「アジアの共同」の意味を考える必要がありはしないかと考えてこの二冊を刊行いたします。

『宮崎滔天 アジア革命奇譚集』には、「《新浪花節/慨世危譚》 明治国姓爺」と「狂人譚 《ナポ鉄+釈迦安+道理満》」を収録してあります。アジア革命への中国革命に挺身した滔天が、その思想をフィクションに昇華させた“隠れた名篇”です。大アジア主義と国家主義を超える可能性をはらんだ滔天の思想については、渡辺京二氏の『評伝 宮崎滔天』のなかに明快な一節があります。こちらに引用しておきましたのでご参照戴ければ幸いです。

渡辺京二氏の評伝は、「情の人、豪傑」と見られがちな宮崎滔天を、デリケートな「知の人」として論じる不朽の名著で、渡辺氏のロングセラー『北一輝』と双璧をなす氏の代表作です。この機に小社から新版で復刊させていただくことになりました。今回、新版に際して寄せていただいた「あとがき」には次のように記されています。

――「評論集『小さきものの死』、『北一輝』、それにこの本の三冊で、私は日本近代に関する自分の基本的構図をほぼ描き了えている。しかし、私も三十年前の私ではない。基本のアイデアは保持しているつもりだが、今ではもっと広い見かたができるはずだ。昔の主題をもう一度展開し直す時間はまだ残っているだろう。」



対中関係、アジア共同体論の模索において「歴史を鑑に」することは欠かせません。その「歴史」の範囲をもう一歩遡った時代まで拡げる試みに、今回刊行の二冊が役立てばと念じております。お手に取っていただければ幸いです。





2006年1月は『頭山満言志録』(頭山満著)を刊行いたします。





『頭山満言志録』刊行にあたって(書肆心水)


小社では昨年刊の『北一輝思想集成 を手始めに、日本近代史を考察する上で重要ながら、マイナスのイメージが大きいせいか出版が手薄なものを掘り起こして参りたいと考えておりますが、今月はそのうちの一つ、筑前玄洋社のシンボルとして著名な頭山満の言葉を編集した、『頭山満言志録』を刊行いたします。(この流れの近刊としては宮崎滔天・杉山茂丸の著作刊行準備を進めております)

明治〜大正〜昭和と、国政NGOとして活躍した頭山満ですが、戦後はGHQによる「侵略戦争推進団体玄洋社」の定義に従い、言わば闇へと葬られ、マイナスイメージが大きくなって現在に至っているようです。戦後急速に転換した価値観を歴史に遡って客観化するのに相応しい時代を迎えている今、例えばこの頭山満の位置は、その存在が極めて大きかっただけに、確認する意義があると小社は考えております。

「アジア諸国といかにつながるか? しかも歴史をふまえた上で」――これが国家外交としても、民間交流としても日本の大きな課題となってきている今、近現代日本の出発点において「アジア復興のための連帯」を課題とした民間勢力の代表者である頭山満の思想の勘所は、おさえておく価値のあるものと思います。それに加えて、日本に亡命してきた朝鮮独立党の首領・金玉均や、中国民族解放革命家・孫文らを援助し、また昨今『中村屋のボース』で話題となっているインド独立運動の亡命志士ボース保護の立役者となった頭山の事績も、その思想との関係においておさえておく意味のあるものと思います。

「右翼の大物」と言って済まされがちなこの頭山については、その事績が詳細に記されている代表的出版物に『頭山満翁正伝(未定稿)』(1981年葦書房刊)があります。同書は1942年の頭山満米寿を記念して発足した「頭山満翁正伝編纂委員会」による原稿を本にしたものですが、当時出版がならなかったのは、同書「跋」に記されているところを引けば、委員の責任者が「目を通し、筆を加えて、原稿を岩波書店に渡されたのだが、岩波の神田の工場が戦禍にかかって、その原稿が焼失してしまったとか」の事情によるものです。後年控えの原稿が見つかり葦書房版として日の目を見ました。進歩的な岩波書店と頭山満に接点があったのは、今の目から見れば意外なことと感じられるかもしれません。これは一つの例でしょうが、歴史の現実は、遡って過ぎた時代のなかでその意味をつかみなおす必要があることを思わせられます。

なお本書には、若い方々にも関心をもっていただけるきっかけとなればと思い、夢野久作による面白く優れた頭山論をあわせて収録致しました。

お手にしていただけることを祈念しております。




葦書房刊『頭山満翁正伝』より引用。同書写真キャプション「本書を出版するはずであった岩波茂雄と」





2005年12月は『出版巨人創業物語』(佐藤義亮・野間清治・岩波茂雄著)を刊行いたします。





『出版巨人創業物語』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、百年の歴史を経て今なお堂々たる大版元の業界三大個性、「文の雄・新潮社」「談の雄・講談社」「学の雄・岩波書店」の創業者による、創業期の自伝文集、『出版巨人創業物語』を刊行いたします。(著者名配列は創業順といたしました)。

佐藤義亮氏(新潮社)が、文芸雑誌『新声』をもって新声社の旗をあげたのは、1896(明治29)年のこと、文学への熱い思いを抱いて秋田から上京し、秀英舎(大日本印刷前身)校正係を務めながらの、満18歳の年でした。

野間清治氏(講談社)が、世に弁論熱高まるころ、その活字メディアの実現を志し、雑誌『雄弁』をもって大日本雄弁会の旗をあげたのは、1909(明治42)年、満31歳の年でした。

岩波茂雄氏(岩波書店)が、女学校教師を勤めるなかで「人の子を賊(そこな)う如きことよりほか出来ない教育界」に身を置く事に煩悶し、心安らかにいられる市民の生活、たまたま縁あったところの古書新刊小売の商売で「腰掛けの生活」を始めたのは、満32歳の年でした。(翌年、漱石著『こゝろ』をもって出版業に移行)。

三氏が出版の仕事を始めた時代は、日露戦争という近代日本史の大きな転換点の前後であり、維新日本が知的にも大いに丈を伸ばさんとして、階層・分野を問わす摂取すべきものに餓えていた時代であったといってよいでしょう。転じて現在。下手な譬えですが、言ってみれば知的な飽食・栄養過多と運動不足というところでしょうか。この時代における出版状況は、その世情に応じたものとなっており、三巨人が仕事を始めた時代とはだいぶん様子が違っています。

とはいうものの、この三人の「創業話」は、時代をつらぬく出版業の根元の話であるように感じました。システムが熟し自律化の度合いを高めるにしたがって、生身の人間が事を起こしにくくなるのは歴史の必然でしょうから、若い人が無謀に挑戦するのが大変困難な時代となっているわけです。しかし、そのような段階もいよいよ煮詰まった感のある現在、どの業界においても、若い人たちの小手先ではない冒険を励ましたいものです。

本書は、自社・業界関係者向けの非売品等から、企画の趣旨にかなう文章を取り集めて構成いたしました。これらの自伝文を拝読しておりますと、大物こそスタートは無謀なものだ、若さと断固たるやる気が根本であって、下手な経験や知識があっては大物にはならないのだろう、なるほどなるほど実に面白いなぁ、と感じましたので、業界外の読書人一般にも是非読んでいただきたく、また、深い活気に欠けている今の出版業界を原点からふりかえるよすがとなればと念じ、一冊の本にいたしました。

お手にしていただけることを祈念しております。





2005年11月は狩野亨吉(かのう・こうきち)著『安藤昌益』を刊行いたします。




『安藤昌益』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、安藤昌益の発掘者、狩野亨吉の小選集を刊行いたします。

江戸期の独創的な社会思想家である安藤昌益は、わりとよく知られた人物かと思いますが、狩野亨吉となると、聞いたことないなぁ、とお感じの方も多いと思います。じっさい、狩野亨吉は、生涯一冊の著書も出版していません(考えあってのことだったようですが)。

それなのに著名人の部類であるのは、まずは狩野が安藤昌益の発掘者だからです。江戸時代にその過激思想をひそかに綴った安藤昌益は、明治の終わりになって狩野によって「発見」されるまで無名の存在でした。狩野は若い頃から日本思想史の探究を志し、並々ならぬ古書収集を続け、そのなかで安藤を「発見」します。狩野はたまたま手に入れた『自然真営道』原稿本百巻を読み、最初は気狂いではないかと思ったそうですが、精読するうちにその独創性に驚きます。

狩野は後に、その貴重な百巻を東大図書館に売ってしまうのですが、売却したその年のうちに、関東大震災のためそのほとんどが焼失し、いま「安藤昌益全集」に収録されているのは焼失をまぬかれたごく一部分です。狩野はその百巻を精読した、後世の人が代わりえない証人となりました。その狩野が書いたのが不朽の名論文「安藤昌益」です。今なお「昌益に関心をもったら先ずこれを」という基本文献と言われながら、手に入れにくかった「安藤昌益」をこのたび小選集に収めて刊行いたします。

漱石の親友として紹介されることも多い狩野ですが、漱石と親しいから偉いということはないわけで、その偉さは他所にあります。著書もないのに多くの知識人から称賛され続けるのは、安藤の発掘者だからというだけでなく、狩野が百科全書的な比類なき思想家であること、その倫理生活が並でなかったことによっています。

官製大学勤めと学問は両立しないと考えて、一高校長〜京大学長という超一流コースと43歳できっぱり決別。退官後、一時かかわった企業が破産し、その巨額の借金をひとり背負って、後半生は書画鑑定業を営みながら、書見と思索に耽った奇人です。徹底した物理学的実証精神によって、争いを用いることなく不正を抑えるコツとは何か?と考え続けた人間でした。なお、春画収集も一流、生涯独身、その意外(?)な性生活も人々の関心を引いてきました。公表論文は片手で足りる数ですが、その珠玉の数篇を小選集の形にして、読者諸賢と「狩野思想との出会い」の機会とすることができればと考えました。

書籍紹介ページに、著者略年表・読書案内などを記しました。

お手にとってご覧いただけることを祈念しております。





2005年10月は『イラン・イスラーム体制とは何か』を刊行いたします。




『イラン・イスラーム体制とは何か』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、本邦初の本格的現代イラン政治・国家論を刊行いたします。

アメリカ覇権主義の次なる最大ターゲットはイランであると陰に陽に語られています。対するイランでは、この六月の大統領選挙でおおかたが予想できなかった結果となり、対米最強硬派・庶民派の大統領(アフマディーネジャード)が誕生しました。新大統領はさっそく国連の場などで、妥協なき抵抗の姿勢を示しています。アメリカ覇権主義勢力は、国内事情や相変わらず不安定なイラク情勢等の課題もあって直接的な働きかけはなかなかできないでしょうが、長期的に最大の戦略的懸案としていることは明白です。

今回の大統領選までの8年にわたるハータミー政府時代には、その開放的な方向性に先進世界の期待が寄せられ、日本でも肯定的な報道・出版が目につきました。しかしイラン国内の状況としては、サッダーム・フセインが采配を振るイラクとの長い戦争で大打撃を受けた国家経済と庶民の暮らしの建て直しに依然明るい兆しはなく、イラク戦争を経た今現在、アフマディーネジャード新政権が誕生したというなりゆきです。

日本の4倍半の国土に6,800万人が暮らすイラン(イラン・イスラーム共和国 Islamic Republic of Iran)は多くの日本人の日常生活にとっては縁遠い国と感じられ、むしろペルシアの時代の彼の地のほうに親近感を覚えることもあるでしょう。日本人の中堅世代以上にとっては、79年のホメイニー(イスラーム)革命の国として、若年層の日本人にとっては首都圏の「周辺」に群がる「イラン人」としての印象くらいしかないかもしれません。79年革命当時のニュース映像に表現された最高指導者ホメイニーのイメージは今のビン・ラーディンのそれに類似したものとして目に映ったこともあるでしょうし、稼ぎのために日本にやってきたイラン人と見られる人たちを目にして身構える思いをした方もおられるかもしれません。

第二次世界大戦が終わり、帝国主義・植民地主義は徐々に克服され、大筋においてそれは過去のこととされているかもしれません。しかし、「アメリカ覇権主義に徹底して抗うイラン」という国の現在は、それが終った問題どころか、呼称や論じ方がグローバリゼーションとかユニラテラリズムとかに変更されるにせよ、また様相・度合いとしては100年前、50年前のありかたとは違ってきているにせよ、世界史上の意味としてはうねりながらも一繋がりのものであることを訴えている数少ない主権国家の存在様態であると思われます。そしてその抵抗にはイスラームという宗教・社会生活思想が基礎イデオロギーとして位置づいていることは確かです。

上記の見解は『イラン・イスラーム体制とは何か』の著者のものではなく、小社の見解なのですが、このような視角からの関心に限らず、「現代イラン」を歴史的に、客観的に、正確に、詳しく知るための貴重な一書が『イラン・イスラーム体制とは何か』であると愚考いたします。

お手にとってご覧いただけることを祈念しております。





2005年9月は『ブランショ小説選(謎の男トマ/死の宣告/永遠の繰言)』を刊行いたします。




『ブランショ小説選』刊行にあたって(書肆心水)


今月は、モーリス・ブランショの中短篇代表作のセレクションを刊行いたします。

『言語と文学』『私についてこなかった男』に続き、小社より三点目のブランショ作品の出版です。圧倒的な才能と磨き上げられた思索をもって鳴るモーリス・ブランショの邦訳書が、現在あまり店頭で売られていないことを残念に思っておりましたので、後発の出版社にできる範囲で公刊販売の任をつとめたく、このような小説選を刊行いたしました。値段はあまり安くできませんでしたことをお詫びいたします。

小説でなく評論のほうからブランショの世界に入られた方も多いかと存じます。ブランショの小説と評論の関係については、読者それぞれお感じになるところが違うと思いますが、このたび『ブランショ小説選』の刊行に際して、ジョルジュ・バタイユの見解をご紹介いたします。ブランショの評論がお好きな方がブランショの小説にも触れてみる縁になればと思います。(この話題は当サイトにて「批評家ブランショの小説について」と題した記事として既載ですが(こちら)、この機にここでも紹介させていただきます。)

下記バタイユの引用文が最初に掲載された出版物は、フランス(語)の雑誌 Gramma(1976)3/4です。引用文は清水徹氏のご翻訳になるものを引かせていただきます(『現代詩手帖』1978.1.20)。この文章は1954年ころに書かれたらしいと推測されています。1954年ころと言えば、ブランショの、それなりのページ数をもつ小説の大部分が出版されたあとであり、いっぽう評論集のほうはと言えば、まだ第三評論集『文学空間』(1955)がまとめられるまえの時期ということになります。

後期ブランショの出版物は評論集の比率が圧倒的に高いのですが、それらの殆どはまだ単行本としては邦訳出版されていませんので、洋書をよく読んでいる方々を除いて、まだ批評家ブランショの全貌は広く親しいものとなりえていないのが現状と思われます。この現状は、以下に引く評言を書いたバタイユの立場に比較的近いといってよいでしょう。

バタイユはそのテクストを、次のように書き起こしています。

「モーリス・ブランショを、もっとも読まれているフランス作家のひとりに数えることはできない。彼の名声について語られるべきことといえば、文学の現況に通じている多くの人びとが、彼のうちに、現に活動中の批評家のうちでもっとも注目すべき存在を認めている、という以上を出ない。批評活動のほうは認められているとしても、彼の小説は読者の反感を買ったし、とくに、批評の側面と小説の側面とからなる彼の文学活動の全体的意味は、これまであらゆる人びとから理解されなかったとまで言える。」(バタイユ)

そして、ひとくさり話を進めた句切りとして、次のように書いています。

「彼の書く批評は、ときに唖然として言葉も出ぬほどの深まりを示す分析ぶりにどのような関心が注がれようと、彼の作品活動の二次的な、より接近しやすい側面にすぎない。」(バタイユ)





2005年8月は『北一輝思想集成』を刊行いたします。





『北一輝思想集成』刊行にあたって(書肆心水)



今月は、北一輝の姿をつかむ基本選集を刊行いたします。(内容ご案内ページ)

初の新漢字・ひらがな表記、補助ルビ使用などにより、読みやすさを志向した、現代版・全文収録版です。

2.26事件の軍法裁判判決による銃殺刑で広く知られる北一輝(1883-1937)については、あらためてのご紹介は必要ないかもしれません。その人生を紹介し論じた記事・作品は、出版物に限らずかなりの数にのぼるようです。また、北一輝の著作がはらんでいる思想的意義については、古くは久野収氏の優れた論考数篇、渡辺京二氏の歴史に残る名評伝一冊、それからいまや「北論者と言えばこの人」の感ある松本健一氏が連ねた大きな仕事があり、ほかにも敬重すべき仕事が多々なされています。

恐らくその人生の最期のあり方が然らしめたことでしょう、北一輝といえば「右翼の危険人物」というイメージが当時から強かったようです。そもそも「右/左」という見かたは、「右あっての左、左あっての右」という、もっとも典型的に相対的なとらえかたであるわけですが、北一輝の場合は、右からは左と見られ、左からは右と見られてきたように、「右/左」という二項対立の政争的分類はしにくい種類の人物といえるでしょう。「右/左」という規定には、北一輝本人が若い頃からかなり意識的であったことがその著作から読み取れます。同時にまた、「右/左」という規定に全く意義を見出していなかったことも読み取れます。

ドラマ的な人生の諸相にも関心はつきない北一輝ですが、その「著作」はどれほど読まれているのだろうか、という思いから、『北一輝思想集成』という一書を作成いたしました。時代が移り変わり、当然のことながら古いタイプの漢字や文体・語彙・教養はもはや受け付けない世代が増え、また本を「買う」ということが暮らしのなかでもつ意味もだいぶ変わってきたこの頃、そのことを意識して、編集と価格設定に及ばずながら努めました。

ところで北一輝をモチーフとした創作活動の一つに、手塚治虫氏の漫画『一輝まんだら』があります。『一輝まんだら』は長篇連載として構想された企画だったようですが、その企図は中途挫折しました。単行本としては二巻で出版されており(出版状況はこちらをご参照下さい)、主人公であるべき北一輝が登場してほどなく作品は中絶しています。単行本の『一輝まんだら』の作者あとがきには、『一輝まんだら』が長篇として構想されたものであること、連載を掲載している雑誌の方向性が変わってきて連載が続けられなくなったこと、そして、その続きをやらせてくれる媒体を求めていること、が記されています。けっきょく手塚氏に対して「申し出」はなかったのでしょうか、『一輝まんだら』は永久に途絶しています。北一輝はここでもまた、「場所なき場」を生きることになったような気がします。

そうしたわけで、手塚治虫氏の『一輝まんだら』では、北一輝はごく後の方であらわれるだけですが、この『一輝まんだら』という作品は、西欧植民地主義の暗雲がいよいよ厚く垂れ込めてきた時代の、清朝腐敗政権のもとで生きる中国のようす、そしてそれを克服しようとする民族解放革命運動の息吹を今に伝えるもので、東アジア現代史原点の歴史紹介に与って大いに力ある佳作です。その歴史の流れのなかに北一輝を史実どおり位置づけたところに、手塚氏の歴史認識が察せられます。手塚氏の慧眼は北一輝の「場所なき場」を感じ取り、その「場所なき場」をたいへん巧みにイメージ化しています。下手な紹介はさておき、百聞は一見にしかず、その一シーンを以下に謹んで引用させていただきたいと思います。北一輝23歳の時、とどのつまりは自分が発行者になっての自費出版しか道がなく、また、恐れていたこととはいえ発禁になってしまった千ページの大冊『国体論及び純正社会主義』の公刊を模索する北一輝の姿を描いたシーンです。

(C) 手塚治虫(引用出典『一輝まんだら』)


愚考するに、北一輝の「場」というものは、青年期からその死に至るまで、およそこのようなものだったのだろうという気がします。

同時にしかし、処刑の朝、看守兵に与えたとされている北一輝の絶筆は次のようなものでした。

「獄裏読誦ス妙法蓮華経、或ハ加護ヲ拝謝シ或ハ血涙ニ泣ク、迷界ノ凡夫古人亦(また)斯クノ如キ乎
 八月十九日 北一輝」

個と共同体、超越的悲劇、ということを重く考えさせる数少ない人間の一人、北一輝が書きのこしたものを、皆様にもご一読いただけることを祈念しております。




2005年7月は『イスラーム概説』を刊行いたします。



『イスラーム概説』刊行にあたって(書肆心水)



今月は、イスラームを知るための世界的定番を刊行いたします。

10年前には予想しにくかったことですが、近年イスラーム関係の啓蒙書が多数出版されています。しかし、『イスラームの構造』(小社刊)の書評で立花隆氏が「最近、さまざまのイスラーム論、イスラーム社会論が出ているが、イスラームの教えの核心部分に対する理解を欠いたものが多く、枝葉の説明に終始して、イスラームへの無理解がかえってはびこるばかりという黒田の指摘は、その通りだと思う」と仰るように、一種の情報過多で、むしろ良質の情報選択が難しいという状況を招いているとも言えるでしょう。

今回刊行する『イスラーム概説』は、イスラーム諸学に精通した著者が、パリ・イスラーム文化センターの求めに応じ一般向けの文明紹介として書き下ろしたもので、十数言語に翻訳されている、世界で最も定評ある正確な入門書です。

1908年にインドに生まれた著者ムハンマド・ハミードッ=ラーは、インドのイスラーム学の中心、オスマーニーヤ大学で基礎的諸学を修めたのち、ドイツのボン大学で博士号を取得(イスラーム国際法研究)、インド帰国は政治的混乱のため果たせずに、1948年以来パリの高等研究機関に所属して旺盛な研究・教育活動を続けました。1996年にアメリカに移住し、2002年に他界するまでの間に、英・独・仏語、アラビア語、ウルドゥ語等で40冊の著作、約700の論文を残し、教育面では長らく客員教授を務めたトルコで多くの優れた弟子を育成しています。

著者の業績は多岐にわたりますが、とりわけ評価が高いのが、この『イスラーム概説』とクルァーン(コーラン)の仏訳です。アラビア語の原典を深く渉猟してえられたイスラームに関する一級の知識と、長い西欧世界の滞在により体得された「他者の視線」とが織りなされて結実した『イスラーム概説』は、稀代の著者による得がたい著作といえるでしょう。

『イスラーム概説』には、聖典クルァーンの深い知識に基づいて、随所に適切なクルァーンの引用がちりばめられています。細部に拘泥して全体の構造を見失うことのない、部分と全体の関わりをおさえた内在的で包括的なこの概説書を、イスラームのアウトラインを正確につかんでみたいとお考えの皆様に謹んでおすすめ申し上げる次第です。




2005年4月は『私についてこなかった男』を刊行いたします。



『私についてこなかった男』刊行にあたって(書肆心水)



今月は、モーリス・ブランショの「最後の初訳小説」を刊行いたします。

『文学空間』(現代思潮新社)『明かしえぬ共同体』(朝日出版社・ちくま学芸文庫)『ミシェル・フーコー』(哲学書房)などの評論作品でおなじみのモーリス・ブランショは、おととし95歳の長い人生を終えました。

レヴィナス、バタイユ、フーコー、デリダらと相互に深い影響を与え合った「20世紀思想・文学の極北」ブランショは、作者と作品の関係についての独特な思想から、私生活や写真を公にしないことで有名でした。死後の今、伝記の出版もあり、また秘められてきた諸相のヴェールも徐々にはずされ、ブランショ再評価の機運が熟してきました。

批評家ブランショの価値は広く認められてきたようですが、小説家ブランショの価値はあまり充分に認められてこなかったのではないでしょうか。しかし、デリダが『海域』『滞留』などの作品で示したように、ブランショのフィクションは、その評論作品同様、ブランショ・ワールドの核心を表現しています。(批評家ブランショの小説についての話題はこちらもご覧下さい。

今回刊行する『私についてこなかった男』は、数あるブランショの小説作品の中で、言語の謎を探究するブランショの個性がもっとも研ぎ澄まされたかたちをとった「哲学小説」といえるでしょう。訳者は、ブランショの『望みのときに』(未来社)を翻訳された谷口博史氏です。ブランショの読み手として魅力的な仕事を書き連ねてきた谷口氏ならではの澄明な翻訳になっていると思います。

谷口氏には「漱石・ブランショ・リルケ・類似」をめぐる長篇解説を寄せていただきました。《「死」の思想家》として長く語られてきたブランショですが、谷口氏のこの長篇解説は、表立ったキーワードとしての「死」という文言が地の文にはあらわれない、画期的なブランショ論だと思います。

小社では本書を皮切りに、ブランショの小説作品をいくつか刊行する予定です。ブランショの小説はすらすら読める種類のものではありませんから、活字は大きめに、行間は広めにして、できるだけゆったりした気分で読めるような体裁を選んでみました。







2005年3月は『『モモ』と考える時間とお金の秘密』を刊行いたします。



『『モモ』と考える時間とお金の秘密』刊行にあたって(書肆心水)



今年は、『モモ』や『はてしない物語』などの人気作をとおして現代文明へのユニークな問題提起をしてきた作家、ミヒャエル・エンデが亡くなって10年の節目を迎えます。

昨年末には、エンデ日本語版の出版元・岩波書店から新しいエンデ論『エンデを旅する』(田村都志夫氏著)が刊行され、全集の第三次刊行もこの4月から始まるようです。命日の8月にむけてさまざまな動きが期待されます。

小社でもこの期に境毅著『『モモ』と考える時間とお金の秘密』を出版いたします。『モモ』からの引用、エンデ全集からのエンデの言葉の引用をまじえたやさしい記述で、『モモ』未読の人も「なるほど」と読めるように工夫しました。

いっぽう、マルクスの価値形態論・物象化論を理論的な軸にすえ、人文社会科学書としての読み応えという点も重視いたしました。数ある『モモ』論のなかでも個性ある一冊になったかと思います。著者の境氏は、生協活動や引きこもりサポートのNPOなどに従事し、『モモ』が提起している問題を日々具体的に考え続けてきた人で、それらの経験が、机上の理論ではないリアリティある語りにつながっていると思います。

エンデは『モモ』のなかで、「なぜなら時間とはいのちだからです。そしていのちは心に住まうのです」という言葉を記しています。本書はこのエンデの視点から出発して、身近でも世界でも、世の中がイライラ、カリカリしていることの深いわけを、「経済・社会・文化の問題」=「時間の問題」として考える試みです。

いま、「仕事への引きこもり」と「自室への引きこもり」へと世間が二極分化し、そのはざまでフリーター、うつ病が増加しつづけています。エンデの『モモ』と一緒に、時間、いのち、お金について考えてみませんか?





2005年1月は『イラク戦争への百年』を刊行いたします。



『イラク戦争への百年』刊行にあたって(書肆心水)



今月はイラク国民議会選挙前夜に、『イラク戦争への百年』(黒田壽郎編)を刊行いたします。

今アメリカ政府が推し進めようとしている単独主義的な「大中東構想による《民主化》」では、アメリカが望むような民主化どころか、全中東パレスティナ化の泥沼を招きかねないと懸念されます。世界の安定のために中東民主化はどうしても必要ですが、問題なのはその手続きでしょう。押しつけの民主主義は語義矛盾のそしりを免れません。

現状をめぐるジャーナリスティックな議論は百出しておりますが、事柄がひと言では片付けられない複雑な経緯と見えにくい背景を持っている以上、未来を探る上で必要なのは歴史を知り、それに学ぶことだと思われます。本書は「イラク戦争と歴史」という視点で問題に迫る仕事です。

中東およびイスラーム圏の組織的な過激派のみならず彼の地の民衆までによる絶望的な抵抗が、言葉を失う忌まわしい出来事を引き起こし続けているなか、この現実の意味するところを短い言葉で語ってしまうことは、語ろうとするその大切な意図に釣り合わない行ないだと小社は考えます。短く見ても百年の時間と、その時間そこに生きた個々の人間すべての生がそこに織り込まれていることに鑑みるならばです。ここには、起きている出来事を、「言い換えればこういうことではないか」というように語ること、あるいは現況の印象だけに拠って表現することを慎まざるを得ない厳しさがある以上、歴史を振り返るところから試みを始める以外にすべはないように思われます。

一冊の小さな書物で「百年」の意味を語りつくすことはもちろんできませんが、本書ではそのための糸口を示すことに努めました。読者の皆様とこの問題を考える縁となることを願いこの機に出版いたします。

上に述べたことと矛盾してしまいますが、値何億円のアパッチヘリコプターによる上空から砲撃に比して、地上からの小銃砲撃、あるいは身に着けた弾薬、場合によっては手で投げる石といった、比較することすら無意味と思われる行為を選ぶ人々のなかに折り畳まれたものへの想像力、なぜそういうことをせざるを得ないのか、その人は何を胸に抱いているのかに思いをいたす想像力こそが、他意なく歴史を振り返る意志となるのではないかという思いもまた否めません。





2004年12月は『言語と文学』を刊行いたします。



『言語と文学』刊行にあたって(書肆心水)



今月は、『言語と文学』と題した小社オリジナル編集の作品選を刊行いたします。著者は、モーリス・ブランショ、ジャン・ポーラン、内田樹ほかです。

独特な評論・小説で著名なモーリス・ブランショが、文芸批評家としての記念すべき第一歩を記した小さな本『文学はいかにして可能か』は、『O嬢の物語』の作者と長く噂された「文学界の黒幕」ジャン・ポーランの、言語と文学表現をめぐる名作『タルブの花――文学における恐怖政治(テロリスム)』を論じたものですが、そこには研ぎ澄まされた「言語=文学」への省察、言語と人間をめぐる謎が示されています。本書には、『文学はいかにして可能か』と問題を共有する、「言語についての探求」、「文学における神秘」の二篇をあわせ、三篇を収録いたしました。

小社では今後、力の及ぶ範囲でモーリス・ブランショの作品を出版したいと考えておりますが、上記のブランショ初期の評論が、ブランショ・ワールドの始原的な場へと読者をいざない、ブランショ(再)入門の機縁となることを念じております。ブランショの作品がほとんど新刊市場に見られない今、本書が、ことに若い世代とブランショとの出会いの場の一つとなることを祈る気持ちです。ジャック・デリダが最も敬愛し、課題を共有した文学者モーリス・ブランショの世界にぜひ触れてみて下さい。

本書収録のポーラン著『タルブの花』(野村英夫氏訳)は、かつて一度、単行本として1968年に晶文社より出版されました。著者ポーランの日本での知名度や、謎めいたその作風、またその書名の故でしょうか、長く新刊市場でこれを求めることはできなくなっていました。ある研究者からは、80年代には既に古書の入手も難しく、図書館の本をコピーして綴じたものです、との話も聞きました。作品への高い評価の一方で、国内商品としては難しい事情を抱えていたようです。ブランショの、タイトルからしてその代表作の一篇とするに相応しい「文学はいかにして可能か」が『タルブの花』論であるにもかかわらず、残念ながら売れ続けることが難しかったこの名作に今一度日の目を見させたいという思いが、この企画のそもそもの始まりにありました。

言語と文学をめぐる独自な深い思索が綴られたブランショの上記三篇は、前提となる『タルブの花』との併読によって互いに増幅しあってゆくものです。

内田樹氏には「面従腹背のテロリズム」のご寄稿をお願いしました。これは、今やレヴィナス論者・訳者として、また数々の自著にて既に名をなしておられる内田氏がブランショ研究者であったころの仕事ですが、《「文学はいかにして可能か」のもう一つの読解可能性》を探るこのユニークな論考は不朽の価値をもつものと思われます。「もう一つの読解」の迫力もさることながら、30年代に「極右」の論説を書き連ねていたブランショの、同時代思想史検証も、内田氏ならではのしっかりした知識に基づく読み応えのあるものです。ブランショが政治評論から文芸評論にシフトすることの意味を探る上での必読作と思われます。

ブランショの三篇は、単行本収録のヴァージョンについては優れた先行訳のあるものもありましたが、それも新刊市場から姿を消して久しく、また、本書では諸版対照(初出紙誌版/単行本版/評論集版)の翻訳を試みるためと、訳文の統一感を重んじるために、ブランショ研究者・山邑久仁子氏にあえて新訳を依頼しました。「諸版対照」にはやや煩雑な印象の向きもあるかと思いますが、興味深い書き換えもみられます。

拙い編集ですが、古典の力が言語と人間の謎に向き合う読者の思索をあらためて促すことを信じて、本書を出版いたします。







2004年11月は『ひとつの町のかたち』を刊行いたします。



『ひとつの町のかたち』刊行にあたって(書肆心水)



今月は20世紀フランス文学の巨匠、ジュリアン・グラック氏の後期主著を、初訳で刊行いたします。

1910年生まれのグラック氏は、90歳をこえる今もお元気で、読書と執筆と散策の生活をお過ごしと伺っています。氏の著作は、すでに多くの邦訳書が出版されているのですが、今ではその多くが新刊書店では買えなくなっています。

青年期にアンドレ・ブルトンをはじめとするシュルレアリストと親交を結んで作家としての歩みを始めたグラック氏ですが、氏が一躍有名になったのは、1951年に出版された小説『シルトの岸辺』(ちくま文庫)と、その年のゴンクール賞拒否騒動によってでした。ゴンクール賞は、今では百年の歴史をもつ賞で、「フランス最高の文学賞」として広く認められています。

氏は騒動の前年に『胃袋の文学』という題名の「パンフレット(攻撃文書)」を発表し、すでにそのなかで、文学賞が招く新人作家の堕落が象徴する文壇の商業主義を批判していました。 この拒否表明については、宣伝効果を狙ったのではないかと批判する声もあったとのことですが、 氏が報道陣のフラッシュを浴びながら声明文を読み上げたのはこれが最初で最後で、結局辞退者に与えられた賞が他の作家に回されることはなく、この事件はゴンクール賞百年の歴史のなかでも特筆すべき出来事として、現在も人々の記憶に残っているようです。

このエピソードからしても反骨精神旺盛なグラック氏のようですが、『ひとつの町のかたち』の書きぶりは、むしろ穏やかなもので、エキセントリックでも相対主義的でもない独特な力強さとやわらかさを持っています。

小説というジャンルがもっとも息づきやすかった近代という時代、スタンダールやバルザックの小説の主人公が社会の階段をはい上がったり転げ落ちたりするさまに読者が夢中になれた時代が終わって久しい時代、また、近代的な小説を成り立たせていた社会や人々の意識そのものの崩壊を印象づけるヌーヴォー・ロマン的な作品にすら新鮮味を感じなくなった時代に、文壇や社会から距離をとった孤高の作家と見られてきたシュルレアリスム世代のベテラン作家としてグラック氏が80年代前半に書き綴った本書は、今後の文学の可能性を探る読者にとって意味のあるものと思います。

ジュリアン・グラック未読の方もお手にとってご覧下さればと存じます。








2004年10月刊『イスラームの構造』より出版活動が始まりました。



第一作『イスラームの構造』刊行にあたって(書肆心水)



小社の第一作はイスラーム論です。イラク、パレスチナの状況をはじめ、「グローバリゼーション」と呼ばれるものの負の側面、現在の世界の問題が中東情勢に集中的にあらわれていると思い、本書を旗揚げの企画に選びました。

著者は、イスラーム論の押しも押されぬ第一人者・井筒俊彦氏に導かれアラブ・イスラーム研究の世界に入り、その道を歩むこと五十年の黒田氏です。井筒氏がイスラーム哲学論等において金字塔をうちたてたのに対し、後輩の黒田氏は、哲学研究を経て、経済活動をはじめとするイスラームの社会運営全体を、その根本理念から日々の具体的な営みにいたるまでをフォローしたうえで、イスラーム文明の「構造」を、タウヒード、シャリーア、ウンマという三極構造として誰にも分かるように描き出しています。構想十年、ようやくこのたびこの企画が本になりました。

ご記憶の方も少なくないと思いますが、少し前にNHKの『イスラム潮流』という魅力的な番組と出版がありました[]。「イスラムが復興している――イスラムの何が人々を惹きつけているのか」という視点によるものでしたが、本書はこの問いに、本格的な回答を与えるものと存じます。

余談ながら、小社はイスラームを信仰する者ではありませんが、現在の米欧中心の世界を、本当の意味で「人びと」のものにするための社会運営の見直しに、イスラームの考え方が大いにヒントになるとも考えています。例えば、イスラームにおける利子の戒めや権威の否定と個人の平等という考え方は、道徳論的な「あるべき論」としてよりは、存在論的な客観的「現実」として考えられていることなどが本書には説かれています。また、アラブの人々がなにゆえあれほどの抵抗を示すのかの理由も分かるように書かれています。

「四人妻」などを初め、イスラームの社会というものは「遅れた不自由な社会」とされることが多かったと思いますが、それらをめぐる深い真実を、本書を通して皆様とともに考えることができればと思っております。


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▽「訳知れる者と知らざる者が同じということがあろうか」

(クルァーン[コーラン]の章句の図案化――書家ユースフ・ズヌーン・アル=マウスィリー作)









Shoshi Shinsui