Shoshi Shinsui

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ムハンマド・アッ=タバータバーイー著
黒田壽郎訳・解説


現代イスラーム哲学  ヒクマ存在論とは何か

「花ガ存在スル」から「存在ガ花スル」へ……
イスラーム存在論の最高峰「ヒクマ」とは何か


イスラームの価値観の根元をなす存在論。
我々は、そして万物は、すべてが差異的であり、すべてが等位にあり、すべてが関係的である。

モッラー・サドラー(『存在認識の道』井筒俊彦訳)が説いた「存在の優先性」論の継承と現代的展開。イスラーム文明を総体として最深部から探究し続ける黒田壽郎による、詳細な解説篇と註釈。アラビア語原典からの翻訳。
   


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* 黒田壽郎氏の研究歴を紹介するインタビュー記事を掲載してあります。 こちらのページへどうぞ。





著者 ムハンマド・アッ=タバータバーイー Sayyid Muhammad Husayn at=Tabataba`i
訳者 黒田壽郎(訳・解説)
書名 現代イスラーム哲学 ヒクマ存在論とは何か
原書 Bidayat=l=Hikmah, 1970 (アラビア語版原典)
体裁・価格 A5判上製 272p 本体価格5500円(税別)
刊行日 2010年1月30日
ISBN 978-4-902854-68-8 C0010

*イラン・イスラーム共和国第19回イラン年間最優秀図書賞(イスラーム研究部門)受賞(2012年2月) ●報道記事(クリック)


●著者紹介

ムハンマド・アッ=タバータバーイー

1892年生まれ、1981年歿。シーア派の哲学・宗教・神学者。シーア派教学の総本山、イランのゴムの神学校にて研究と教育活動に従事した。主著は厖大なクルアーン解釈書『秤の書』。

●訳者紹介

黒田壽郎 (くろだ・としお)

1933年生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒、同大学院文学研究科博士課程東洋史専攻修了。カイロ大学客員教授、イラン王立哲学アカデミー教授、国際大学中東研究所初代所長を歴任。主著『イスラームの心』(中公新書)『イスラームの構造』(書肆心水)。その他訳書・編著、コルバン『イスラーム哲学史』(共訳・岩波書店)イブン・ハズム『鳩の頸飾り』(訳・岩波書店)『イスラーム辞典』(編著・東京堂出版)ガザーリー『哲学者の意図』(訳・岩波書店)バーキルッ = サドル『イスラーム経済論』『イスラーム哲学』(訳・未知谷)『イラク戦争への百年――中東民主化の条件とは何か』(書肆心水)ほか多数。

●目 次

 訳者序論

叡智の学(ヒクマ)基礎論 (原典章題の抽象化目次)

 序  ヒクマの定義、主題、目的
 1 存在を主題とするあらゆる問題
 2 外的存在と知的存在
 3 関係的存在と独立した存在
 4 必然的なもの、可能的なもの、禁じられたもの
 5 本質とその諸規定
 6 十の範疇
 7 原因と結果
 8 一なる存在者と多なる存在者
 9 先行、付着、古さ、新しさ
 10 能力と現実
 11 知、知の主体、知の対象
 12 至高なる必然的存在


 訳者解説 イスラームと《存在の優先性》論


●訳者解説より断片引用

◎本書の論議の基本となっているのは、モッラー・サドラーが提唱した《存在の優先性》論である。その後彼の唱えた存在の優先性に関する主張は、シーア派イランにおいて主流を占め現在に至っているが、彼の主著である浩瀚な『四つの旅』を校訂し、注釈を付して公刊したのが本書の著者タバータバーイー師である。著者は元来膨大なクルアーン解釈書、『秤の書』で有名な宗教学者であるが、同時に神学的思想にも深い造詣があり、モッラー・サドラーの主著を校訂しているという事実は、著者がいかにこの種の論議に精通していたかを明かす有力な証拠であろう。

◎存在の優先性の理論は、本書の内容からも明らかなように存在が先か、本質が先かといった問題から、両者の関連性、それぞれの諸規定に始まって原因と結果、あるいは可能態と現実態の関係等、それまでの思想的な営みが取り上げてきた殆どすべての問題と関わりを持っている。

◎この書はヒクマ(叡智の学)を学ぶための基礎的構造を習得するためのものであり、とりわけその目的が《存在者である限りの存在者》の諸状態(*註)の検討、という主題に限定されている点が重要であろう。例えばモッラー・サドラーの『存在認識の道』や、それに付されているコルバン、井筒教授の解説、説明は、大文字の存在、つまり唯一の絶対者を主とする観点からのものであった。確かに存在が先か本質が先かといった問題が議論の中心となる場合、これは当然のことである。またその種の関心は、アリストテレス、イブン・シーナー、モッラー・サドラーといった思想家たちの位置関係、西欧とイスラーム世界の基本的相違を焙り出すために格好の材料を提供してくれるものでもある。しかしここでタバータバーイーの著作が注目されるのは、ヒクマの学も登場後三世紀の余を経て問いの視点が、絶対者、創造者の観点からでなく、被造物の観点から、《私》を含めてこの世に存在するものは、誰か、なにかというかたちで、卑小ではあるが紛れもない厳然たる実在のリアリティーの担い手である、個別的な存在者の側からのそれに切り替えられている点である。存在者の鎖は構造的には最終的に必然的存在である絶対者に繋がっていくが、それについて述べられているのは最後の十二章のみであり、それ以前の各章では専ら存在者に関わる問題が分析されているのである。これはまさに本質重視から存在重視への転換がもたらしたものの、発展的継承とでも評価されるべき事柄であるといいうるであろう。

*註 : 「存在者である限りの存在者の諸状態」とは、厳密に正しい存在者としての存在者のさまざまな状態を指す。実際に存在しない幽霊を存在者としたり、物質性をもたずに存在する霊魂を存在者から除外することなく、正しく存在者を存在者として取り扱うことが、本書の中心的な主題である。




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