Shoshi Shinsui

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波多野精一宗教哲学体系

宗教哲学序論 宗教哲学 時と永遠

他者と時間――波多野精一宗教哲学三部作集成

京都学派生成期に西田幾多郎の同僚として三木清らを育て、禅仏教の色彩濃い京都学派の空気の中で、キリスト教宗教哲学の立場を明示した不朽の三部作を一冊に集成。

哲学と宗教の深い関係を、哲学史および自己の哲学から体系的に呈示。仮面を被った自己である「他者」像を克服し、自己実現の具ではないものとしての「他者」へと向かう道を、人間存在が根源的に抱えている宗教性から探る。

それは、他者(ひと)か、客体(もの)か?――シンボルとリアリティの哲学。


   


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著者 波多野精一
書名 波多野精一宗教哲学体系 宗教哲学序論 宗教哲学 時と永遠
体裁・価格 A5判上製 480p 本体価格6500円(税別)
刊行日 2007年12月30日
ISBN 978-4-902854-38-1 C0010


著者紹介

波多野精一 (はたの・せいいち)

哲学者。1877年、長野県松本町生まれ。1883年、東京高等師範学校附属小学校入学、1889年、同附属尋常中学校進学。1893年、第一高等中学校入学。1896年、東京帝国大学文科大学入学(哲学科)、1899年、同大学院進学(近世哲学史専攻)、ケーベルに師事。1900年、東京専門学校(早稲田大学前身)講師、哲学哲学史担当。1904年、東京帝国大学大学院研究課程修了、卒業論文「スピノザ研究」(独文)、早稲田大学海外研究員としてドイツ留学、ベルリン大学、ハイデルベルク大学で学ぶ。1906年、帰国、倉田やすと結婚。1907年、東京帝国大学文科大学講師、原始キリスト教を講義。1909年、東京帝国大学大学院卒業、文学博士。1917年、学校騒擾により早稲田大学退職、京都帝国大学教授に任ぜられ文科大学宗教学講座担当。1937年、京都帝国大学停年退官、同名誉教授。1939年、妻歿。1947年、玉川学園大学部教授(のち同大学長)。1949年、全集刊行(五巻版・岩波書店)。1950年1月17日歿。

主な出版著訳書。 1901年、『西洋哲学史要』(大日本図書出版会社刊)。 1908年、『基督教の起源』(警醒社刊)。 1908年、カント著『実践理性批判』(宮本和吉共訳、岩波書店刊)。 1910年、『スピノザ研究』(安倍能成訳、警醒社刊)。 1920年、『西洋宗教思想史 希臘の巻第一』(岩波書店刊)。 1920年、『宗教哲学の本質及其根本問題』(講義筆記三木清、岩波書店刊)。 1935年、『宗教哲学』(岩波書店刊)。 1940年、『宗教哲学序論』(岩波書店刊)。 1943年、『時と永遠』(岩波書店刊)、英訳版1963年。 1950年、『原始キリスト教』(死後出版、岩波書店刊)。



目 次

宗教哲学序論


第一章 宗教学と宗教哲学 実証主義
第二章 誤れる宗教哲学 (合理主義 超自然主義 バルトとブルンネル)
第三章 正しき宗教哲学
第四章 歴史的瞥見 (ルッテル カント シュライエルマッヘル ヘーゲル)

宗 教 哲 学


第一章 実在する神
第二章 「力」の 神
第三章 「真」の 神 (イデアリスム 神秘主義)
第四章 「愛」の 神 (人格主義 愛 神聖性 創造と恵み 時と永遠)

時 と 永 遠


第一章 自然的時間性
第二章 文化及び文化的時間性 (文化 活動と観想 文化的時間性)
第三章 客観的時間
第四章 死
第五章 不死性と無終極性
第六章 無時間性
第七章 永遠性と愛 (エロースとアガペー 神聖性・創造・恵み 象徴性・啓示・信仰 永遠と時・有限性と永遠性 罪・救い・死 死後の生と時の終りの世)



三木清による『宗教哲学序論』の書評より

波多野博士の他のすべての著述と同じく、この書も、博士の学風を鮮かに示している。その学風は堂々としてアカデミズムの正道を行くものであり、その著作は品位においてつねに古典的風格を具えている。その良心的で堅実な研究態度と一字一句も忽(ゆるがせ)にせぬ真摯な著作態度とはその作品に完璧性を賦与している。博士の如く自己のスタイルを有する著述家は我が国の哲学界においては稀である。その研究はどこまでもアカデミックであるが、いわゆるアカデミズムの通弊である無用の煩瑣晦渋を脱却して、飽くまでも透徹している。しかも決して乾燥無味ではなく、その透徹した文体のもとには脈々として情熱の通っているのが感ぜられる。

西谷啓治のエッセイ「波多野先生のこと」より

『宗教哲学』が出た時、それを読まれた西田〔幾多郎〕先生は私に、「波多野君の今度の書物は非常にすぐれたものだ」と語られた。そして更に言葉を次いで、しかしもう一歩先へ踏み込んで考えるべきところが残されている、という意味のことを洩らされた。これは学問についての見解の分れる点でもあるから、波多野先生が西田先生の意見にそう簡単に同意されただろうとも思えない。





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