Shoshi Shinsui

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中村屋のボースが語る
インド神話ラーマーヤナ

インド人が語る恰好のラーマーヤナ入門

インドとの交流が進む今、インドの代表的古典をとおして知っておきたいインド的精神の古層。

インド国内にとどまらず東南アジア一帯にも広く浸透し、バリ島観光名物の舞踏劇ケチャの題材ともなっているラーマーヤナ。

今なお日本語全訳のない浩瀚な大叙事詩のあらすじを、ボースの思想も交えながら語る、ラーマーヤナの概説書。

評伝『中村屋のボース』(中島岳志著)で一躍著名となったボースが、日印文化交流の基本として、インド的精神・思想の基層を紹介。

   

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著者 ラス・ビハリ・ボース+高田雄種
書名 中村屋のボースが語る インド神話ラーマーヤナ
体裁・価格 四六判上製 256p 本体価格2800円(税別)
刊行日 2008年9月30日
ISBN 978-4-902854-50-3 C0098


著者について

ラス・ビハリ・ボース(Bose, Rash Behari)は1886年、インド・ベンガル地方生まれ。亡命地の日本で東京新宿中村屋の創業経営者相馬夫妻の保護を受け、相馬夫妻の娘俊子と結婚、日本に帰化。中村屋の名物「インドカリー」の作り方はボースによって伝えられた。1945年、日本にて歿。
執筆協力者の高田雄種は『ガンヂー全集』(全5篇、1927-30年、春秋社刊)の翻訳者で、その他の著書に『聖雄ガンヂー』『黎明期に於ける印度十五傑』などがある。


主要目次

解 説
1 生い立ちの巻
2 アヨゥディヤーの巻
3 森 の 巻
4 キシキンダーの巻
5 美 の 巻
6 戦 の 巻
7 結 の 巻

*底本 ボース・ラスビハリ、高田雄種共著『印度神話ラーマーヤナ』昭和17年、畝傍書房刊


緒 言

ラス・ビハリ・ボース

若い時、私は革命家であった。そのことは、私の生国が英国人によって奴隷にされて、英国の利益のために搾取されるのを見せつけられた私として、むしろ当然であった。私は若かったが武器を執って英国に反抗し、そしてインドを自由にしようと決意した。1908年から1915年まで、私は幾多の革命的企図を敢行したが、成功もし失敗もした。とまれ、インドはこれらの行動によって目覚まされ、新しい息吹きをもって前進した。英国政府は私の逮捕状を発して、私の逮捕に導く報告に対して10万ルーピーの謝金――私の国外におることがわかってから1万2千ルーピーに減額――を発表し、私の家宅を捜索し、私の所有金を没収し、私の部下を逮捕して死刑または終身禁錮を宣告した。そして私は当時のインド太守ハーディング卿その他の英人およびインド人官吏の爆殺、英国王に対する叛乱および叛乱企図の廉で告訴を提起された。その後1915年2月19日(前欧洲大戦の2年目)私はパンジャブ州の首都ラホールを私の本拠としてインド兵と共謀し、英国統治に対する北インド一円の叛乱を企てた。不幸にしてその企てが失敗したので、私はインドを脱出し、そして武器弾薬等に対して某外国の援助を確保しようと決意した。私は日本に来て上海に行き、兵器を海上よりインドに送ろうと試みたがまた失敗して、船は英国の拿捕するところとなった。それから私は生国のために努力を続ける目的を抱いて日本に来た。しかし、日本の皆さまのご承知のとおりに、私は英国政府の要請に基き大隈内閣によって、日本国外に追放を命じられた。そのとき奇蹟が惹起された。頭山満氏、故犬養毅氏その他の日本の重立つ方々が私にお味方してくださったので、私はほとんど7年間も東京に隠れておることが出来た。それから私は自由の身となって、ここに私の仕事を続けておるのである。

私は新聞を発行し、インドその他の虐げられるアジア諸国の自由のために協会を設け、そして8種の書物を刊行した――1『革命亜細亜の展望』(325頁)、2『印度頓智百物語』(340頁)、3『革命の印度』(428頁)、4『桎梏の印度』(334頁)、5『印度民話集』(272頁)、6『青年亜細亜の勝利』(245頁)、7『印度の叫び』(345頁)、8『印度神歌』(163頁)。

故ラビンドラナート・タゴール博士が日本に来られたとき、博士は私の宅をお尋ねくださって、インドの運命に関するさまざまの問題に関してお話したことがある。そのとき博士は私に、インド文化の紹介について注意された。私が上記のインド民話およびインド神話を出版したのは、それがためであった。いま私はインドおよびマハトマ・ガンディーの大愛好者なる友人高田雄種氏の協力の下に、本書を日本の皆さま方に提供する。

インドにおいてラーマーヤナほど国中で広く読まれる書物はない。そしてまたそれほどインド家庭でいつも変らずによく歌われる書物もない。子供らは家庭において彼等のお祖母さまからその物語を教えられ、そして成人した男や女はまた部落の指導者(婆羅門)からこれを学ばされる。その物語は、あらゆる時代にあらゆる階級に親しまれる。それはインド人民の数限りもない世代の生活を象徴したものである。ラーマおよびシーターの生活における枝話は数限りなく詩や劇に題目を提供する。一言にていえば、もしインドを知りたいと思われる方は、まず第一にラーマーヤナとその他の二、三の古典をお学びになるのがよい。ラーマーヤナとギーターとはインドの魂を表示するものである。

ラーマーヤナにおいて、我々は英雄的単純性の空気を呼吸する。人物ははっきりと描かれている――追随すべきものと、回避すべきものとに。善は善、悪は悪である。この世に妻として、ラーマの妻のシーターほどに麗しく愛らしい手本があるであろうか。この世に王子としてラーマチャンドラほどに王さまらしく行動するものがあるであろうか。この世に兄弟友だちとしてラクシマナほどに兄弟愛の貴い手本があるであろうか。本書によって我々は、古インドにおいて、いかに国民的社会的および家族的生活が行われたかを知り、そして生活の仕方や、吉凶事の扱い方や、さては子供の教育、人民の思想をも窺うことが出来る。我々はラーマーヤナから知った純真さからインドを考えると、あたかも生動する絵画の代りに汚された画布を見るような感じがする。

終りに私は高田雄種氏に氏の多大の協力を感謝する。もし本書が日本の皆さま方にいささかにても貢献し得るならば、私は倖せである。

1942年 東京市渋谷区穏田3丁目79 インド独立日本聯盟にて





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