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アジアのめざめ――ラス・ビハリ・ボース伝

●ボース自身が書きのこした言葉、ボースに親近した二人の言葉

中村屋のボースとして知られるインド独立革命の闘士ボース。日本に亡命し、日本の戦争とインド独立闘争の連携をはかったその困難な一生を今に伝える記録。ボースに親近した義弟と義母によって歿後八年に編まれた伝記文集。

ここのリンク先で本書のなかをご覧いただけます(PDFファイル)


著者 R・B・ボース
著者 相馬安雄
著者 相馬黒光
書名 アジアのめざめ  ラス・ビハリ・ボース伝
体裁・価格 四六判上製 288p 定価3960円(本体3600円+税10%)
刊行日 2011年12月30日
ISBN 978-4-902854-95-4 C0023

●著者紹介

ラス・ビハリ・ボース (Rash Behari Bose)
1886年生、1945年歿。相馬愛蔵と相馬黒光の娘俊子と結婚。著書に 『革命の印度』(書肆心水復刊 『革命のインド』)、『印度神話ラーマーヤナ』(書肆心水復刊 『中村屋のボースが語る インド神話ラーマーヤナ』)ほか多数。

相馬安雄 (そうま・やすお)
1900年生、1957年歿。相馬愛蔵と相馬黒光の長男。中村屋2代目社長。ボースの義弟。

相馬黒光 (そうま・こっこう)
1876年生、1955年歿。相馬愛蔵と中村屋を創業。本業の傍ら画家・文人らに交流の場を提供、中村屋サロンと呼ばれた。著書に 『黙移』(自伝) ほか。ボースの義母。



●目 次

(第1部) 相馬安雄著

インドにおけるボースの革命運動

 革命児の生い立ち
 青年革命家
 ボース出生前後の叛乱事件
 インド総督の暗殺未遂事件
 ラホール叛乱の失敗
 日本へ

日本亡命の初期 ―― 帰化まで

 日本政府からの退去命令
 相馬愛蔵の一言
 外務省の妥協
 住居転々
 相馬俊子との結婚
 日本帰化と妻俊子の死

日本における悲境時代

 全アジア民族会議開催
 インド独立日について
 「亜細亜郷」
 インド交友会
 講演、著述による運動
 悲 境

太平洋戦争時代(上)

 支那事変の勃発
 支那事変の拡大
 支那事変とインド
 インド本国の動向
 タゴール翁の招請ならず
 インド総督の白書
 チャンドラ・ボース氏の逮捕
 チャンドラ・ボース氏のインド脱出
 太平洋戦争に突入
 日本軍部との提携
 両ボースの絶叫
 南方工作の藤原機関
 バンコック潜入後の藤原少佐
 インド国民軍の創設
 シンガポール陥落
 大本営の対印工作是正
 プリタム・シン氏等の悲運
 東亜代表者会議の開催

太平洋戦争時代(下)

 インド独立連盟バンコック大会
 英国の対印交渉
 ワルダ決議とボンベイ会議
 インド独立連盟の改革
 チャンドラ・ボース氏の日本潜行
 チャンドラ・ボース氏の総裁就任
 ビハリ・ボースの憂慮
 ボース病を得て帰還
 孫文の手紙とボースの遺言
 臨 終

インド独立運動の終結

 チャンドラ・ボース氏の最期
 インド国民軍の栄光
 インドの独立


(第2部) R・B・ボース著

往 時 追 憶

 1912年のデリー陰謀事件
 その日の私
 インド革命運動の発生
 同志の家宅捜索から発覚
 警戒網をくぐって郷里へ
 隠れ家に待機
 各地呼応して反乱をはかる
 ラホール事件
 危く虎口を脱す

インド脱出の記

 ラホールよりカルカッタヘ
 カルカッタよりシンガポールヘ
 ペナンをさして
 ペナンの港
 シンガポールより香港へ
 香 港


(第3部) 相馬黒光著

義母となって親しく見たラス・ビハリ・ボース

 最初の親近感
 日本語独習
 琴と胡弓
 清 き 愛
 尾 行 者
 玉のような子
 食事の好み
 青年同胞の世話
 墓 参
 子等はみな可愛い
 正しい日課
 宗教に対して
 号「天 来」
 敏捷と沈着
 足 袋
 電車の中で
 ――寂 寥――
 子等への言葉