Shoshi Shinsui

書肆心水 総合ページへ移動
ホームページへ





種々の哲学に対する 私の立場

西田幾多郎論文選

哲学史の中の西田哲学、あるいは「絶対矛盾的自己同一」の発見。

まとまった哲学者論の本を書かず、一途に自己の哲学創造に邁進した西田のテクスト群から、「種々の哲学に対し私の立場を明らかにした」諸篇を集成。


デカルト哲学について………「デカルト哲学について」附録………予定調和を手引として宗教哲学へ………私の立場から見たヘーゲルの弁証法………私の絶対無の自覚的限定というもの………左右田博士に答う………高橋(里美)文学士の拙著『善の研究』に対する批評に答う………「理想」編輯者への手紙………私の「人格の世界」について………高山岩男著『西田哲学』序………純粋経験相互の関係及連絡に付いて

   





著者 西田幾多郎
書名 種々の哲学に対する私の立場 西田幾多郎論文選
体裁・価格 A5判上製 288p 本体価格3700円(税別)
刊行日 2008年1月30日
ISBN 978-4-902854-39-8 C0010


著者紹介

西田幾多郎 (にしだ・きたろう)

1870(明治3)年、石川県生まれ。哲学者。第四高等中学校中退、帝国大学文科大学哲学科選科修了。第四高等学校講師を経て教授。この時期より参禅への関心を強め、禅師につく。号の寸心はこのころ雪門老師より受けたもの。その後、学習院教授を経て、1910(明治43)年、京都帝国大学文科大学助教授。1911(明治44)年、『善の研究』を処女出版。1913(大正2)年、京都帝国大学文科大学教授。1917(大正6)年に『自覚に於ける直観と反省』を岩波書店より出版し、以後、『働くものから見るものへ』『一般者の自覚的体系』『無の自覚的限定』『哲学の根本問題』『哲学論文集(第一〜第五)』等、最晩年まで同書店より多数の単行本を出版、これらは後に『西田幾多郎全集』(岩波書店)に収められる。1928(昭和3)年、京都帝国大学を停年退職。1940(昭和15)年、文化勲章受章。1945(昭和20)年6月7日、病のため鎌倉にて死去。



目 次

デカルト哲学について
1945年『哲学論文集第六』所収

「デカルト哲学について」附録
1945年『哲学論文集第六』所収

予定調和を手引として宗教哲学へ
1945年『哲学論文集第六』所収

私の立場から見たヘーゲルの弁証法
1937年『続思索と体験』所収

私の絶対無の自覚的限定というもの
1932年『無の自覚的限定』所収

左右田博士に答う
1927年『働くものから見るものへ』所収

高橋(里美)文学士の拙著『善の研究』に対する批評に答う
1915年『思索と体験』所収

「理想」編輯者への手紙
1936年5月『理想』第64号所収

私の「人格の世界」について
1935年7月『信濃教育』第585号所収

高山岩男著『西田哲学』序
1935年3月『西田哲学』所収

純粋経験相互の関係及連絡に付いて
1910年2月『哲学雑誌』第276号所収

西田幾多郎著書目次一覧
西田幾多郎略年譜
人名索引


西田幾多郎の言葉(本書より)


「予定調和を手引として宗教哲学へ」に於ては、多年念頭にかかり居る宗教哲学の問題に触れて見た。「デカルト哲学について」に於ては、種々なる哲学に対して私の立場を明らかにした。私の哲学に対して、種々の批評もあるが、異なった立場からの批評は、真の批評とはならないと思うのである。



科学では、立場や見方が大体一致したものでしょうが、哲学では、どういう立場から出立して、どういう方向に物を見るかということが、大切なことの様に思われます。立場や見方が違って居ると、同じ様な語でも、異なった立場の見方に映されて解せられるので、互に理解し合うことができない場合がある様に思われるのです。それで私は読者には、言葉のみをとらえて、それによって私の考えを想像せないで、できるだけ私の云わんと欲する所のものを理解して下さる様に願いたいのです。他の座標からでなく、私の座標から言葉を理解してもらいたいと思うのです。






Shoshi Shinsui