Shoshi Shinsui

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枝 折 り

引用断篇――刊行書などから

刊行書などからの引用です。主たる引用文は黒字「 」括弧で記してあります。(このファイルに書かれたもののうち、“本文(地の文)”はご自由に扱っていただいて結構です)。 本文文責・書肆心水


*イスラーム・中東地域研究
イスラームの構造(黒田壽郎 著)2004.10刊
イラク戦争への百年(黒田壽郎 編)2005.1刊

*西欧文学・批評
ひとつの町のかたち(ジュリアン・グラック 著)2004.11刊
言語と文学(ブランショ/ポーラン 著)2004.12刊
ブランショ小説選(モーリス・ブランショ 著)2005.9刊
至高者(モーリス・ブランショ 著)近刊

*日本近代史再考
北一輝思想集成(北一輝 著)2005.8刊
評伝 宮崎滔天(渡辺京二 著)2006.3刊
俗戦国策(杉山茂丸 著)2006.4刊
百 魔(杉山茂丸 著)2006.8刊

*社会思想・文化論
愛国心をめぐって(内村鑑三 著)2006.12刊
出版巨人創業物語(佐藤義亮・野間清治・岩波茂雄 著)2005.12刊
『モモ』と考える時間とお金の秘密(境毅 著)2005.3刊

ほか続刊予定などより




2004.9.*-

アラベスク模様の思想性(イスラームの構造)

イスラームの場合、個は、本来的に決して他から切り離され、独立した一つの単位たりえない。それはあくまでも存在を共有するものどもの中の一であり、初めから他の諸々の個と共存、共在するところの個としてのあり方から切り離されることがない。

個と他者との関わりは、比喩的な表現を用いるならば、ちょうどアラベスク模様の一つのユニットと、模様全体のそれにたとえられるであろう。個としての一つの単位は、それを中心として隣接する他の諸ユニットと接合され、その接合は四方、八方に限りなく拡大されていく。そのような中心は、模様を形成するユニットの数だけ存在し、一つの個とその余の他の個はこのような具合に、直接、間接に関係し合っているのである。イスラーム世界の多くのマスジド(礼拝所)、その他各種の公共建築の壁面を飾るアラベスク模様は、その様式自体において、この世界に基本的な、部分と全体との関わりようを端的に示しているといえるであろう。

周知のようにモザイク模様を作り上げているのは、同じ形状、サイズをした単純な部分である。部分間の相違はほとんど色彩のみで、同色の背景の中にさまざまな色の部分が布置されて、異なった一つの画像が描き出される。同型の各部分はまさに等位的であるが、それが配置されるときには、一つの図柄を描き出そうとする作者の意図に完全に服すばかりである。作者の創意に完全に従う各部分といったモザイクの場合とは異なり、アラベスクにおいては、それぞれの単位が複数の構成要素から成っており、その単位の形状いかんで他の諸部分との関わり方が異なってくる。しかし全体の図柄の中では一々の部分が互いに自己を主張し、設計者の意図に無条件に従うことはない。一方では一つの図像を生み出すことが最終の目的となっているが、他方では何らかの存在者のイメージを描くことではなく、その背後にある関係性そのものの配置の妙を表現することに関心が注がれているのである。

(黒田壽郎『イスラームの構造』


2004.9.*-

「過去→現在→未来」の図式から離れると

私たちが自分の人生の過去のエピソードをもとのままの枠に入れ直そうとすれば、老いてなす反芻はとげとげしくなる。そんなことをすれば世界が保っている変わらない若々しさのせいで、自分の人生が見舞われ、背負わねばならぬ凋落が耐えがたくなる。しかし私が今再びナントを歩いても、そうはならない。昔の町――昔の生――と新しいそれとは、時間のなかでつながっているというより、私の心のなかで重なりあっている。一方から他方へと、時間とは無関係な循環が生じて、それが思い出をあらゆるメランコリーや重さから解き放つ。継続性から切り離された記憶のよすがに向ける思いが、心を後方に引き戻す代わりに過去の映像を前方に投影し、現在と混ぜ合わせる。ほかのいろいろな気持ちなみには、私にも思い出への自己陶酔がなくもないが、これから書くことのなかにはそれが入らないようにしたい。幸いなことに私の少年期と思春期の何年かはひとつの鉱脈となり、のちの人生がそれを現金化することになった。その資産は現在も運用可能で、いくらふんだんに使っても減った気は全然しない。ではこれからナントの街並みをたどりなおしてみよう。過去と出会って自己陶酔に浸り直すためではなく、私がそれらの街並みを介してなったものと、街並みが私を介してなったものとに出会うために。

(ジュリアン・グラック『ひとつの町のかたち』永井敦子訳)




ミヒャエル・エンデ作『モモ』のなかで、マイスター・ホラがモモに次の謎をかけています。

「三人のきょうだいが、ひとつの家に住んでいる。 / ほんとはまるでちがうきょうだいなのに、 / おまえが三人を見分けようとすると、 / それぞれたがいにうりふたつ。 / 一番うえはいまいない、これからやっとあらわれる。 / 二番目もいないが、こっちはもう家から出かけたあと。 / 三番目のちびさんだけがここにいる、 / それというのも、三番目がここにいないと、 / あとのふたりは、なくなってしまうから。 / でもそのだいじな三番目がいられるのは、 / 一番目が二番目のきょうだいに変身してくれるため。 / おまえが三番目をよくながめようとしても、 / そこに見えるのはいつもほかのきょうだいだけ! / さあ、言ってごらん、 / 三人はほんとはひとりかな? / それともふたり? / それとも――だれもいない? / さあ、それぞれの名前をあてられるかな? / それができれば、三人の偉大な支配者がわかったことになる。 / 彼らはいっしょに、ひとつの国をおさめている―― / しかも彼らこそ、その国そのもの! / その点では彼らはみなおなじ。」(大島かおり訳、岩波書店)

「過去→現在→未来」の図式から離れてみることは、知的な操作の楽しみだけではなくて、ぜんたいとして、とてもいいことだと思いませんか?


2004.11.*-

少年と町との出会いと別れ

私はここにひとつの町の肖像を描こうとは思わない。私が試みようとしているのはただ――こうした回顧にはぎこちなさや誤り、フィクションがつきものだということは承知の上で――、その町がどうやって私をつくったのか、つまりどうやって町は、私が読書を通じてそれに目覚めていった想像の世界のことを、その世界と私のあいだに町が置いた変形をもたらすプリズムごしにのぞくようある点で促し、ある点で強いたのか、さらに幽閉生活のおかげで町の物質的な座標軸からはより自由に距離を置けた私が、どうやって私のなかの夢想が描き出す輪郭にあわせてその町をつくりかえ、客観的な法則よりもむしろ欲望の法則にしたがって、その町に肉と生命を与えたのかを示すこと。だからこの町には、どこにでも携えて行き、ぱらぱらめくり、メモを書き加えたり、手荒に破くこともある、あのポケット・ガイドのように、私に連れ添ってもらいたい。いまだにいつも身近にあって、無意識に参照する台帳。

ではこれからナントの街並みをたどりなおしてみよう。過去と出会って自己陶酔に浸り直すためではなく、私がそれらの街並みを介してなったものと、街並みが私を介してなったものとに出会うために。

* * *

そこで町が担った役割は、私にとっては母性的というより母胎的なものだった。つまり決まり通りの七年の孵化期を経てのち、町は私のことを傷跡の残らない分離、つまり娩出によって、激しい心の苦しみも劇的な出来事もなく、もっと広い地平へと解き放った。

町は通りから通りへと、私に別れの挨拶をした、ほほえみながら。そのときが来ていたのだ。この決別に漂っていたのは、翳りのない軽さの感覚だった。私たちは解き放たれ、本当に屈託のない夜明けの歌を声を合わせて歌っていた。私はそこで幸せだったことはなかったが、バラストを積んだまま港を出ようとしていたわけではなかった。多くのものは、納屋に収めてしまっていた。これから空にして出て行こうとしている鋳型の、ひっそりとした街路やがらんとした懐かしいつづら折りを、私は親愛の情をこめてながめていた。そこにあったのは、ただ私が大きくなっただけの町ではなかった。その町は、それに逆らったり、それに従ったり、しかしいつでもそれとともに私が自分を作っていった、ひとつの町だった。

(ジュリアン・グラック『ひとつの町のかたち』永井敦子訳)


2004.10.*-

言語と文学/法と自由/過去と未来/受動と能動/構造と主体 などなど

私が「お腹がすいた」と言う時、私の言葉が本当に現実を表現しているという保証はない。なぜなら、私が自分の感じていることを間違いなく表現しているのか、また私はそのことを表現したいのかどうかも確かではないからである。しかし、逆にこのことは確かである。「お腹がすいた」というこの数語は、私自身にもまた他人にも、私がその結果を引き受けなければならない何事かを意味している。たとえ私が心中の不安感を取り違えていたとしても、私の言葉が意味する空腹の一般的な定義に同意した以上、食べ物を与えられればそれを受け取らねばならないし、それを拒むなら、前言を翻し、自分の行動を説明しなければならないのである。私が自分の考えを表明したその瞬間に、こうした一連の帰結が全て私の意識にあったわけではないだろう。しかしすでに語った以上、今やそれは私の行動を縛り、未来が証人であるような一種の必然性を獲得してしまっているのであり、たとえ前言を翻したとしても、私が自分について述べたその表現にすぐに応えざるを得ないような一面の真実を有しているのである。ブリス・パランが言語における創造について注目すべき仕方で述べている通り、記号に意味を与えているのはその対象ではなく、記号が我々に意味作用の対象に形を与えることを要請するのである。

(モーリス・ブランショ「言語についての探求」『言語と文学』所収山邑久仁子訳)


文学の意図のひとつは、言語の論理的な特性を宙吊りにすること、あるいは少なくともそこに非論理的特性を付け加えることなのだ。(ポール・ヴァレリーは語っている、「詩は、叫びや涙、愛撫、接吻、吐息などが暗黙の裡に表現しようとしているそれらの物、もしくはその物を、明瞭な言語的手段によって復元しようとする……試みである。」と。)論理的というこの言葉を語源に遡って解釈するなら、文学は、言語に言語的意味作用を付与し、普遍性と理解可能性を標榜することによって言語を言語たらしめているその諸特性を、言語から奪い去ろうとしているのだと言える。しかし文学は、(たとえ成功したにせよ)言語を破壊し、その規則を無視することによってそれを成し遂げるわけではない。それどころか文学は、言葉によって沈黙を伝達し、規則によって自由を表現するという、文学の信じる言語の真の運命に言語を立ち還らせようとしているのであり、それはすなわち、言語を言語たらしめている状況によって破壊されたものとして、(それを通じて)言語自体が立ち現れることであるのだと言えよう。

(モーリス・ブランショ「言語についての探求」『言語と文学』所収山邑久仁子訳)




2004.7.*-

フランス文学の黒幕と武的技法(八方目)

同じように、たとえば普通に見るときには感取されるが凝視すると見えなくなってしまうような微光だとか、何気なしにしかできないような身振りなどというものがあるのである(ある種の星や、腕をすっかり伸ばす動作のように)。ともかく、わたしは何も言わなかったことにしよう。

(ジャン・ポーラン『タルブの花――文学における恐怖政治』本文最終文、野村英夫訳)




ジャン・ポーランという二十世紀フランス文学の黒幕(作家・編集者)がいた。フランス関係の大学的人間はほぼ皆知っていて(よく読んでいるかどうかは分からない)、それ以外の人はまず知らない(お話してみた限りでは)。(『ガストン・ガリマール』には比較的詳しく書かれている)。ポーランの死後、ドミニク・オリーが名乗り出るまで長く『O嬢の物語』の実作者と噂された人物、と言われれば思い当たられるかもしれない(『O嬢の物語』の序文を署名入りで書いた人物でもある)。

『タルブの花』という作品は、“不可能なもの”を語ろうとする文学の意志と、それと矛盾するように見える修辞技法とか紋切り型の関係性について語った作品、と俗に紹介してもよいだろう。こんな紹介の仕方ではチープに見えるかもしれないが、手際は並みのものではない。ブランショがブランショ文芸批評の出発点とした「文学はいかにして可能か」が『タルブの花』論であると紹介しての近道をとっておこう。ともかく、ねじくれて見える作品である。

内田樹氏はこのくだりを、「ぼんやりしていないと見えないものがある」と紹介されている。内田氏は、ポーランの論に対してはどうか分からないが、『タルブ』を論じたブランショの「文学はいかにして可能か」を「暗号で書かれた政治文書」として読み解く仕事をされている。

闘い方が練れていないときには、“ここから弾が来るにちがいない”と自分が(たぶんほとんど自覚しないまま)勝手に思っている部分を凝視しがちなものだろう。

八方目という東洋的(恐らく)武芸の技法があって、それは、(抽象すれば)四つ(以内)の手足のどれが突き蹴りとして飛んでくるかを察知するために、ぼんやりと全体を凝視する仕方である。自動車運転時の感覚運用にも喩えられるようだ。この方法は、考えるということを考えてみることに資するだろう。(考える“主体”をたとえば$(エス・バレ)と見るならば。)



2004.9.*-

ブルジョワ・文学

(1) そこから、なかんずく次のような困った事態が生じてくる、つまり、文学の世界においてブルジョワの青年を導いてやろうとする者は、大胆な創造者たることをすすめ、学校で習ったことなぞ棄ててしまうようにすすめる。だがそれなら農民や労働者にはどうするのか? 彼らには決して学んだことのないことを、忘れろとすすめなければならなくなるだろう。

(ジャン・ポーラン『タルブの花――文学における恐怖政治』野村英夫訳)




『タルブの花』からもう一つ。これはある注であって、つまり目立たないものである。このように文脈から引き剥がすと、本来の役目がなんだか分からなくなる類のものでもあろう。

ざっくばらんなお席で、バタイユとかブランショとか、ああいうのはブルジョワ的でねえ、というお話を伺ったことがある。意味は分かる気がしたし、尊敬する方のお言葉だったので重く受け止めた。ただ、もちろん、一緒になって頷くだけではなくて、“それだけではないと思いますが”と、口にした。実際(よく調べていはいないが)そうなのだろうとは思っている。言われたのは、彼らは要するに“文化資本”というものに関する繊細で、シンパシーある認識に欠けているのだろうという意味でもあろう。

そうしたことを考える、最も倫理的でしっかりした仕事を、今われわれはピエール・ブルデューの名と共に、立派な日本語訳の数々という形で持っている。1980年代末からのことである。

もちろん、思いつきのようなものと、何十年もかけた実証的・認識論的作業の多量のテキストは、性質として比較に値するものではないだろうけれども、上記の引用をみるにつけ、ポーランは“ただのブルジョワ”ではないように思われた。



2004.9.*-

“言葉についてそんな詮索するなんて……、それよりも重要なのは、” ……

 アッシジの修道院に、ひどい訛りの修道士がいたが、それは明らかに出身地カラブリアの訛りだった。仲間がからかった。ところが彼は感じ易い男だったので、事故とか不幸とか、はてはその訛りがうまい具合に気づかれずにすむほど重大な出来事でもなければ決して口を開かないようになった。しかし根が話好きだったので、時には災難をでっち上げたりすることもあった。その上にこの男、誠実な人間だったので、ついには災難をわざわざ惹き起こすところまでいってしまったのである。
 さてわが文学もまた、言葉や文章をつかうが故に文学なのだということをわれわれに忘れさせようとしているのでないならば、これほどまでに苦心を払ってセンセーショナルなものを求めたり、互いにせり上げを競ったり大胆さを誇示したりはしないであろう。つまり言葉は危険なものに、またその訛りは忌まわしいものに思われているのである。
 少なくとも、今やわれわれはその危険の詳細を、その憎悪のもろもろの理由を知っている。

(ジャン・ポーラン『タルブの花――文学における恐怖政治』野村英夫訳)




『タルブの花』のほかのところではこのように言われている。



 一つは、恐怖政治は一般に観念のほうが言葉よりも価値があり、精神のほうが物質よりも価値があると認めるということである。すなわち、両者の間には性質の相異に劣らず品位の相違があるというのである。これがその信仰であり、あるいはむしろ、その偏見なのである。第二の点は、言語は思想にとって本質的に危険なものであり、見張っていないと絶えず思想を抑圧しにかかるものだと規定することである。「テロリスト」について与えうるもっとも簡単な定義は、言葉嫌いだということなのだ。

 贅言なるものは、常に他人の思想のことなのだ。人は(……)自分の認めない思想を言葉という。だがこれは単なる悪口でしかないのであって、そこから言語や世界に関する理論を引きだしてみても無益であろう。わたしにはそれがよくわかるのだが、ベルクソンは「言葉を超え」ているといって賞讃する哲学者が一人ならずいる。だがしかし、その超えたところのものを言葉で扱うことから始めるとすれば、その賞讃からはいったい何が残るというのだろう?




“問題は言葉なんかじゃないんだ、心なんだ”という風な発言がままなされるのには十分な理由があるし、“そうなんだ”と思うこともあるが、それは事の“半面”に過ぎないということや、それが“全面”になったときに何が起こるかを、ポーランはよく教えてくれると思う。

ポーランが『タルブの花』を出版したのは1941年、ナチスドイツ占領下のパリである。「いつ襲われるか分らぬ抵抗運動の秘密会議には欠かさず顔をだし、あるときなぞは自宅においた秘密出版の印刷機を大急ぎでセーヌ川に投げ込んで危うくゲシュタポの家宅捜索の手を遁れたりもした闘士ポーラン」(野村英夫氏解説)、である。



2004.11.*-

転倒した民主主義の移植。壊疽のおそれ

戦いは常に大義を必要とする。テロの抑止という口実を前面に掲げ、戦争に踏み切ったアメリカは、足元の危うい大義の他に、別種の口実を必要とした。それがイラクの民主化という目標である。独裁的で非民主的なフセイン政権を倒し、その地に民主主義を確立する。耳触りの良いこのスローガンに、国際社会の少なからざる人々が賛意を示しているが、ここには一つの大きな落とし穴が存在することに留意しなくてはなるまい。

民主主義とは一つの体制であり、それがそれ自体として望ましいものであることについては、多くの人々にとって異論はあるまい。しかしそれが備えている美点は、すべての人間が他から〈強制〉されることなく、自らの意思によって自分の命運を切り拓くという、大きな可能性を秘めている点にあるであろう。個人ないしは国家の主権、もしくは自主性こそが、民主主義のアルファでありオメガでもある。このようにこの制度の本性について配慮した場合、この制度そのものと同様に、それが実現されるさいの〈過程〉が重要であることが理解されるであろう。民主主義が云々される場合、先ず考慮されねばならないのはそれを受け入れる側の主権、主体性の有り様である。

『イラク戦争への百年』黒田壽郎「序」)


2004.11.*-

「中東」という漢字二文字の意味するところは?

「中東」という地域の呼称は、ヨーロッパから見ての呼称であるから、日本人が西にあるこの地域を、「東」と呼ぶのは変なものである。そう思った人の中に、この地域は、東洋でもなく西洋でもないからといって、「中洋」という言葉を考えた人もある。素直にいえば、西アジア・北アフリカになるが、地域の名前としては、いかにも長すぎる。

この地域は、日本人にとってなじみの少ない地域である。普通の日本人がこの地域のことを学ぶには、どうしても欧米の文献に依存する。欧米の文献を介して、地域のことを学んでいるうちに、「中東」の呼称に違和感がなくなり、日本でも「中東」の呼称が定着した。本稿でも独自の呼称に拘泥せず、慣用に従って、「中東」を使うこととする。

しかしこの呼称が広く使われていることは、われわれ日本人がこの地域を見る場合、われわれ自身の眼ではなく、ヨーロッパ人、あるいは欧米人の眼を借りて、見ていることを示す。しかも多くの場合、そのことに疑問をもたない。この地域の国際政治を考える場合、そうならないよう、厳に自戒しなければなるまい。

『イラク戦争への百年』陶常道「現代中東の国際政治」)



いま日本人が、東アジアのことを「極東」と呼ぶのはかなり特別な場合だろう。『広辞苑』第四版には下記の記述が示されている。(強調・引用者)

きょく‐とう【極東】 (1)東のはて。絶東。(2)(Far East) 日本・中国・朝鮮・タイなど東アジア地域を、欧米から見ていう呼称。

ちゅう‐とう【中東】 (Middle East) アフガニスタン以西の西南アジアと北アフリカ北東部の地域の総称。本来は極東と近東の中間を指した。

きん‐とう【近東】 (Near East) バルカン諸国・トルコ・シリア・エジプトなどヨーロッパに近い東方諸国の総称。

ちゅう‐きん‐とう【中近東】 近東ならびにその東方のイラン・アフガニスタンなどを包含する地域の総称。



2004.11.*-

用語の効果――「パレスティナ問題」か、「イスラエル問題」か

イスラエルをめぐる問題は、「パレスティナ問題」と呼ばれたり、「中東和平問題」と呼ばれたりする。イスラエルが建国されたのはパレスティナ地域であるが、イスラエルの建国により、影響が及んだ地域は、パレスティナよりはるかに広い。だから「パレスティナ問題」の呼称は、問題を矮小化する。

また「中東和平問題」の呼称は、イスラエルとアラブ側が、あたかも和平の対等な当事者であるかの如き印象を与える。そうした印象を与えるために、この言葉はつくり出されたといえる。イスラエルが加害者であり、アラブ側が被害者である事実は、この用語を用いることによって、覆い隠される。

この問題に対するイスラエルの関わり方は、もっと根源的なものである。イスラエルの存在こそが、中東地域における多くの問題の原因である。イスラエルがなければ、問題はなかった。このことを明確に示すために、「イスラエル問題」の呼称を用いることとし、以下この呼称を使う。

『イラク戦争への百年』陶常道「現代中東の国際政治」)


2004.8.*-

“原因”というものの二つの語り方

この地域の状況に対する、欧米の人たちのほとんど絶望的な無理解こそ、9.11のテロのような悲惨な事件が起こった、もっとも根本的な原因なのではないか。

『イラク戦争への百年』収録論考草稿)




深い語りというものが、ゴテゴテと手が込んだものであることはまずない。

“原因”を語るには、詳細な歴史的経緯を綴る必要がある半面、一言で語るべき“原因”というものもあるだろう。諍いが生じると、人間はくどくどとそこに至る必然性を語るものだが、必然性の半面はだいたい一言で済むことが多い。

上の引用文の問いは、否認されるか、無言で納得されるか、あるいはまた、“そのとおり!”との快哉をもって読まれうるかも知れない。無言で納得するのは当事者だろう。“そのとおり!”と快哉を叫ぶのはどのような人だろうか。

知らないふり、というものが中立であることは決してない。



2005.1.*-

人間でないものも言葉を発する。――そこに人間がいるならば

モモが灰色の男の内心のほんとうの声を聞くことができたのは、彼らのうわべの話を信じず、それと闘ったからでした。子どもたちがモモの話に納得したのも、大人が、時間を節約することで子どもに時間を与えなくなっていたからでした。でも、子どものデモ行進とアピールは、なぜ、大人に届かなかったのでしょうか。

そのひとつの理由は、大人たちが灰色の男たちにそそのかされて契約した時間の節約が、自分の自発的な決意と思い込まされていることにある事は言うまでもありません。大人たちの場合、灰色の男の話を信じてしまったので、それがあたかも自身の自発的決意であるかのように思い込んでしまったのですが、それを疑ったモモは、灰色の男の「話す声はきこえるし、ことばは聞こえるのですが、話すひとの心は聞こえてこない」(『モモ』124頁)ことを知ったのです。

モモはここで灰色の男が人間の心をもたず、ふつうの人間ではないことに気づきました。しかしこの人間でないものが声を出し、そしてそのことばの意味が人間にわかってしまいます。資本が、増殖しよう、お金をもうけよう、という声を出し、その意味を理解した人間は、このお金もうけという決意が、自分自身の自発的な意志だと考えざるをえないのです。

人間でないもの、資本や貨幣や商品が、人間にわかることばを発信できるということになりますと、このことばを聞いた人間は、物がことばをもつはずはないと考えて、それを自分のことばだと思ってしまいます。人間以外のものに人間の意志が支配されている、モモはこのことを見抜いたのでした。

この限りでは、灰色の男は、人の時間をぬすむという正体をかくしておく必要はありません。なぜなら、人間には、資本が灰色の男という人間の姿をとったものとしてはとらえられないからです。逆に、人間でないものが人間として現われているということが、ほんとうの意味での資本の正体とは言えないでしょうか。エンデの物語は、資本を灰色の男という人格として登場させ、その男の「話す声は聞こえるし、ことばは聞こえるのですが、話すひとの心は聞こえてこない」(『モモ』124頁)そのような人格として、人間でないものが話をし人間の意志を支配するという「物象化(ぶっしょうか)」の様式の正体を描いたことに、その意義を求めるべきだと思います。

次に、物象化という様式の特徴は、「物神性(ぶっしんせい)」を伴うことで、正体を隠しておくということが、ほんとうに上手なことです。資本は、物象化によって、人間でないものが意志をもったもの、人間的なものとして現われていながら、人間の眼には単なる物にしか見えません。ここから、物に社会的な力が備わっているかのように見える物神性が生まれ、お金自身に購買力があり、人間を支配する力をもっているかのように思わせてしまいます。このお金の物神性が、資本の正体を見えなくしてしまっているのです。だから灰色の男の内心のほんとうの声にある「人間から生きる時間を一時間、一分、一秒とむしりとる」ということも、どのような事態なのかぜんぜんわかりません。

(境毅『『モモ』と考える時間とお金の秘密』




『『モモ』と考える時間とお金の秘密』には、『モモ』論としてのいくつかの特徴がありますが、その一つは上記のような社会科学・哲学の視角を持っていることです。

「物象化論」や「価値形態論」が社会科学のもっとも重要な方法でありながら、世界経済の状況の移り変わりに伴って、いまでは「既に用済み」のもののように位置づけられるか、あるいはそもそも知る必要のないもの、ないしはそのようなものがあることすら知られていないような印象があります。

そのようなものの見方・考え方が、どのような豊かな可能性を秘めているのか?――、『『モモ』と考える時間とお金の秘密』はやさしい語り口でそれを見せてくれるユニークな作品です。

上記の引用の中にもまた、真理への道における、科学とフィクションの方法的関係、それから言語と人間の謎の一側面が垣間見られるように思います。



2005.2.*-

自発的な決意――主体(subject)性のミステリー

上記の話題の続きとして、『『モモ』と考える時間とお金の秘密』からもうひとつ引いてみました。

エンデはフィクションの手法によることで、「灰色の男」という不可視性の純度の高い存在を、読者の目に見えるようにすることができました。物象化をとらえる科学の力と響きあう、フィクションの力というものが感じられます。



時間を節約して時間貯蓄銀行に預けておけば利子がついて返ってくるという殺し文句でフージー氏を納得させた灰色の男は、「契約書は? 署名は?」と問うフージー氏にたいして、次のように回答しました。

「なんでそんなものがいるんです? 時間貯蓄は、ほかのどんな種類の貯蓄とも、まるっきりちがうんですよ。それは完全な信頼の上になりたっています――双方の信頼に わたくしどもは、あなたの同意のことばがあれば、それで充分です。そのことばは、取り消せません。そしてわたくしどもは、あなたがちゃんと倹約するかどうかを気をつけています。でも、どのくらい倹約するかは、あなたにまかせます。強制なぞしませんよ。」(『モモ』90頁)

なぜ、契約書が不必要なのでしょうか。なぜ、時間の倹約を強制しないのでしょうか。契約書をつくったり、倹約を強制したりすれば、人間に気づかれてしまいます。人間に気づかれないように、このような配慮がなされているとすれば、では、灰色の男たちは、どのようにして人間に時間を倹約させることができるのでしょうか。その謎は、次のように述べられています。

「けむりが消えるにつれて、鏡に書かれた数字もぼやけてきました。そして完全に見えなくなったときには、フージー氏の頭の中から灰色の訪問者の記憶もすっかり消えていました。でもわすれたのは灰色の紳士のことだけで、そのときのとりきめのことではありません。そちらのほうは、いまではじぶんひとりできめた決定のように思えました。将来いつかいまとはちがった人生を始められるように、いまから時間をためておこうという決心は、けっして抜けない鈎針(かぎばり)のように彼の心にしっかりくいこんでいました。」(『モモ』90頁)

なるほど、フージー氏にとって、灰色の男との契約は、灰色の男のことを忘れてしまうことで、なんと、自分の自発的な決意と思い込まされてしまっています。これなら契約書も不必要だし、強制もいりません。ところがフージー氏にとって自発的な決意と思わされている時間の倹約は、それを実行すると、フージー氏を不自由にしてしまいます。

(境毅『『モモ』と考える時間とお金の秘密』




「灰色の男」は、「純度の低い灰色の男」としてあらわれることもあるように思います。その場合は、科学の力やフィクションの力をかなりの強度で働かせなくとも、その奇妙な存在感がおぼろげに察知されることでしょう。――「それがキミの仕事じゃないのか?」、「それは自分で決めることでしょう?」、「考えてみて下さいよ」……。

世界資本主義のように巨大なものであっても、ナマの人間同士の、個々の言葉のやりとりの積み重ねがなければ、動き始めることはなかっただろう。



2005.2.*-

『モモ』論と価値形態論の可能性――お金と言語が「ツール」ではなく、*自体であるならば……

下記引用は『『モモ』と考える時間とお金の秘密』の記述のなかでは極端にカタい一節ですが、見逃せない着想が示されているように思います。



エンデは現代の主知主義が主体と客体という二元論からなるマテリアリズムにおかされていると見、そしてこの発想から問題をつきつめていくと、けっきょくは自分につきあたり、「人間の意識とはなにか」という問の前に立たされると述べています。「ぼくたちは『客観的』現実をさがしていたまさにその場所で、ぼくたちじしんの意識を、鏡に映しかえされるようにして手にいれる。」(『オリーブの森で語りあう』全集15巻、115頁)これが現代の主知主義の限界だとエンデはみているのですが、この限界で自分に返ってくることについて、エンデはゲーテの「なにも内側にはなく、なにも外側にはない。内側にあるものは、外側にあるのだ」ということばを引いて、これを「じつに精確に表現している」(同、115頁)と評価しています。

この思考の限界について、わたしは次のように考えています。まずこの限界は人間の思考が言語記号を媒介にしていることとかかわっています。人間は対象を認識しようとするとき、対象と主体の間に両者を関係づける意識を働かせますが、その際、この意識が言語記号によって社会的意識形態として外化させられています。この媒介者である社会的意識形態からすれば、内側である主体のなかにはなにもなく、また外側である対象のなかにもなにもありません。そこには内側にある主体と外側にある対象とが結びつけられた第三者があり、そこには内側にあるものは外側にある、という構造を見出すことができます。

言語記号のこの二重性に気づいた人は、ソシュールでした。ソシュールは言語記号をシニフィアン(意味するもの、音響心象)とシニフィエ(意味されるもの、概念)が紙の裏表のように結びついたものととらえました。この言語記号の二重性が、言語によって構成されている社会的意識形態に内側と外側とを結びつける働きをもたらしており、こうして人びとはこの社会的意識形態を媒介にして、みずからの意識を交流させあうことができるのです。

ではどうしてこのようなことが可能なのでしょうか。それは言語自体のなかにコミュニケーションの機能が含まれていることを解明することによって明らかにされるでしょうが、このようなことはいまだかつて試みられたことはありません。従来の学説では、言語はコミュニケーションの道具とみなされていて、言語自体にコミュニケーションの機能を発見するという研究はなされてはいないのです。ところで、この新たな試みに挑戦しようとするとき、ひじょうに有力な手がかりがあります。それこそは、マルクスが『資本論』で解明した価値形態論に他なりません。

マルクス以前の経済学では貨幣は交換の道具ととらえられていて、貨幣自体に商品交換の機能が含まれているとは考えられていませんでした。もし、貨幣に交換の機能が含まれているととらえるならば、商品自体にその要因を求めなければならなくなります。商品の価値形態とは、商品に含まれている交換の機能の表現であり、マルクスは、貨幣を商品の価値形態の発展の極にある貨幣形態として示すことで、貨幣に商品交換の機能が含まれていることを明らかにしたのでした。

マルクスが商品の価値形態の秘密について解明したにもかかわらず、後に続く経済学者たちは、このマルクスの作業について理解できませんでした。マルクスの価値形態論は経済学者にとってはずっと謎のままでした。というのも、マルクスは価値形態の解明にあたって、科学知の方法を超えた方法(この科学知を批判的に再構成した知を、わたしは文化知と呼びます)を採用していたので、科学知の方法しか知らない今日の経済学者にとっては理解不能だったのです。

ところでエンデは眼に見えないものの実在を主張した人でした。もしエンデがこの眼に見えないものを、眼に見える諸物の関係において、人間の社会性が現象するそのような現象形態ととらえていたらどうなったでしょうか。そうすれば、マルクスの価値形態論はその核心において理解されたことになります。

ふたつの商品の価値関係にあっては、ふたつの商品の使用価値は眼に見えますが、価値の現象形態は眼に見えません。しかし、商品は、価値の現象形態をとることで、交換という機能をもつのですから、この眼に見えない価値の現象形態を解明することなしには、交換の機能を解明することはできません。そして、この現象形態は、自然物に社会的な力を与える形態規定の論理によって認識することができます。

このマルクスの価値形態解明の方法を言語記号の解明に用いるとどうなるでしょうか。ソシュールが発見した言語記号の二重性を出発点に置いてみましょう。言語記号をシニフィアンとシニフィエの二重性ととらえたソシュールの地平からの第一歩は、言語記号による名づけに際して、記号と対象との間に眼に見えない現象形態の実在を想定することです。そうすると、言語記号はこの現象形態によって形態規定されて、単なる音でありながら、社会的なものである概念の化身とされていることが解ります。このことが解れば、人間は発話にあっては、単なる音をやりとりすることで、概念をゆききさせていることが簡単に了解できます。

(境毅『『モモ』と考える時間とお金の秘密』




2005.7.*-

個と共同体。超越的悲劇。



北一輝
『北一輝思想集成』 収録諸篇より
以下は、漢字/仮名表記を少し変更し、読点を少し補って引用してあります




私は根本を見ておりますから、陸軍首脳部の人々にも、派閥的色彩のあるものには一切交わりを避けておりました。

(↑2.26事件調書より)

私は人性自然の自由を要求する根本点に立脚して、私有財産制度の欠くべからざる必要を主張しております。すなわち、共産主義とは全然思想の根本を異にして、私有財産に限度を設け、限度内の私有財産は国家の保護助長するところのものとして法律の保護を受くべきものと考へております。
(……)
ゆえに私の抱懐する改造意見としては日本現在に存する、一、二百万円以上の私有財産を(従つてその生産機関を)国家の所有に移す事だけでありまして、中産者以下には一点の動揺も与へないのを眼目としております。
もしこの点だけが実現できたとすれば、現在の日本の要する歳出に対しては、直ちにこれらの収益だけを以(もっ)て充分以上に足りて余りあると信じます。すなわち今の租税のごときはその徴収の必要を認めなくなります。このことは根本精神において国民の自由と平等が(すなわち当然国民の生活の安定が)国家の力によつて保護助長せらるべきものなりといふ事を表はして居るのであります。従つて維新革命の時にやむを得ざる方便として存在せしめて居る、今の華族制度は封建時代の屍骸として全廃する事のごときは言ふまでもありません。

(↑2.26事件調書より)

 最近相次ぐ動乱が、比較的軍部を中心として起きて来るといふ事はいかなる訳か。
 第一の原因として、日本の警察制度があらゆる方面に完備しておりまして、民衆運動が全然実際問題として一つの効果を挙げる事が出来なくなつたからです。警察を破り得る衆団(ママ)的武器はもちろん、昔年(せきねん)のごとく大挙して官庁に迫り訴へる事も出来なくなりましたので、改造的要求を持つておるものは、有動無動(ママ)ことごとく軍部の関係ある方面に働きかけましたので、軍部内はこの数年間騒然として、なんらか風雲のまき起る源の様になつたのであります。見方に依れば日本の完備せる警察制度が国民大衆の改造的要求を軍部に追ひ込んだとも断ずる事が出来ます。此の点は軍部を攻撃するよりも、貴方々警察当局としては御気の毒に考へてしかるべきものかと存じます。
(……)
その結果として、今の警察制度は現在の資本主義制度の番犬であり、軍人だけはそれを打破して新時代を造る先駆者であると云ふ様な信念が軍隊自身はもちろん、他の改造的要求を持つ人々および団体の間に信念のごとくなつて来た次第であります。
私は今申上げた説明によりまして、軍部自身が自己の立場を理解すると共に、他の治安維持に当る官憲の方々も原因の根本を考察されて対策を考慮して頂きたいと考へております。

(↑2.26事件調書より)

議会があるではないか、何十種かの新聞社があるではないかと申しますが、議会は政権を得るには彼(か)の重臣等の意志に反し機嫌を損つてはとうてい得る見込みがないので、ほとんど重臣に対して奴隷の如くなつております。新聞社は純然たる株式組織で営利会社として存在しておるだけでありますから、営利の目的に反する議論主張は望む方が無理であります。すなわち立憲国における合法的主張を達成する議会も、輿論機関もかようなありさまでは、合法的運動という事は、すなわち重臣ブロックに盲従して行動する以外に合法的のものはありません。

(↑2.26事件調書より)

***

人類は公共的と私利的との欲望を併有す。

(↑『日本改造法案大綱』より)

本然の人情そのものがすべての法律道徳の根源なるを忘るべからず。

(↑『日本改造法案大綱』より)

最少限度の生活基準に立脚せる諸多の社会改造説に対して、最高限度の活動権域を規定したる根本精神を了解すべし。深甚なる理論あり。
前世紀的社会主義に対する一般かつ有理の非難、則ち各人平等の分配のために勤勉の動機を喪失すべしと云ふごとき非難を此の私有財産限度制に移し加ふるを得ず。第一、私有財産権を確認するがゆえに、すこしも平等的共産主義に傾向せず。しかして私有財産に限度ありといえども、いささかも勤勉を傷つけず。一百万円以上の富は国有たるべきが故に、工夫(こうふ)は多くの賃銀を要せず商家は広き買客を欲せずと思考する者なし。

(↑『日本改造法案大綱』より)

都市の土地市有制。都市の土地はすべてこれを市有とす。市はその賠償として三分利付市債を交付す。(……)
註一。都市と限りて町村住宅地を除外せるゆえんは、公有とすべき理由が町村の程度においては完成せざるを以(もっ)てなり。
註二。都市地価の騰貴する理由は農業地のごとく所有者の労力に原因する者にあらずして、大部分都市の発達そのものに依る。都市はその発達より結果せる利益を、単なる占有者に奪はるるあたはず。以(もっ)てこれを市有とするものなり。
註三。都市はその借地料の莫大なる収入を以(もっ)て、市の経済を遺憾なからしむるを得。従(したがっ)て都市の積極的発達はこの財源によりて自由なると共に、その発達より結果する借地料の騰貴はまた循環的に市の財源を豊かにす。
註四。家屋は衣服と等しく各人の趣味必要に基く者なり。三坪の邸宅に甘ずる者あるべく、数十万円の高楼を建つるものあるべし。ある時代の社会主義者の、市立の家屋を考へしごときは市民の全部に居常(きょじょう・引用注:普段)かつ終生劃一(かくいつ)なる兵隊服を着用せしむべしといふと一般、愚論なり。
註五。既に都市の私有地を許さざるがゆえに、設定せられたる地上権より利得を計ることを得ず。則ち借家を以(もっ)て利得をなす者は、家屋そのものよりの利得にして、地上権に伴う利益を計上するを得ず。此のために市は五年目毎に借地料の評価をなす。

(↑『日本改造法案大綱』より)

限度を設けて私人生産業を認むるゆえんは、前掲の諸註より推して明(あきらか)なるごとく幾多の理由あり。人の経済的活動の動機の一が私欲にありといふもその一。新たなる試が公共的認識を待つあたはずして、常に個人の創造的活動に依ると云ふもその二。いかに発達するも、公共的生産が国民生活の全部を蔽ふあたはずして、現実的将来は依然として小資本による私人経済が大部分を占むる者なりと云ふもその三。国民自由の人権は生産的活動の自由において表はれたる者につきて、特に保護助長すべき者なりと云ふもその四。数ふるに尽きざるこれらの理由は、社会主義がその建設的理論にて未だ全く世の首肯を得ざる欠陥を示す者なり。「マルクス」と「クロポトキン」とは未開なる前世紀時代の先哲として尊重すれば可。

(↑『日本改造法案大綱』より)

乃木将軍が軍事眼より見て許すべからざる大錯誤をなして、彼(か)の大犠牲を来たせしに係らず、彼が旅順包囲軍より寛過(ママ:寛仮)されし理由のひとつは、己れ自ら兵卒と同じき弁当を食ひし平等の義務を履行せしが故なり。士卒を殺して士卒に赦(ゆる)さるる将軍は、日本の最も近き将来において千百人といえども足れりとせざる必要あり。まさかに兵卒と同じき飲食にては戦争に堪へずと云ふ者あるまじ。

(↑『日本改造法案大綱』より)

書中に存する○○は公刊に際し官憲の削除したるものなり。もとより削除せられたる一行一句といえども日本の法律に違反せる文字にあらざるは論なし。恐くは単なる行政上の目的に出でしと信ず。(注:『北一輝思想集成』では伏字は復元)

(↑『日本改造法案大綱』より)

***

天則に誤謬と無用なし。

(↑『国体論及び純正社会主義』より)

社会主義は天才主義なり。しかも全社会の天才主義なり。(ゆえに吾人(ごじん)は今の社会主義者のある者が『凡人社』と名づくるを代えて、天才社となさんことを望む。先覚者は決して凡人にあらず)。天才とは衆愚の圧迫に打ち勝ちて個性の変異を発揮しえたる権威ある個人なり。

(↑『国体論及び純正社会主義』より)

否! 今日のごとく世界の大我を忘却し、国家の小我を中心としてすべての行動を執りつつあること帝国主義者の讃美しつつあるごとくなるは、実に倫理的制度たるを無視せる国家の犯罪なり。個人の自由が他の大なる我のために意義あるごとく、国家の独立は世界の大我のために厳粛なる意義を有して存す。
ゆえに、偏局的個人主義のごとく個人の利益のために国家を手段として取扱ふことは、国家の大我よりして不道徳なるごとく、偏局的社会主義のごとく小我の国家を終局目的として世界のすべての国家と民族との分化的発展を無視することは、世界の大我よりして許容すべからざる不道徳なり。個人の自由が害用せられて罪悪たるごとく、害用せられたる国家の独立は戦慄すべき無数の罪悪をあえてす。――社会主義の世界主義たるゆえんはここにあり。個人の自由を認識するごとく国家の独立を尊重す、しかもその個人の自由のために国家の大我を忘却し、その国家の独立のためにさらに世界のより大なる大我を忘却することを排斥するなり。

(↑『国体論及び純正社会主義』より)

依之観之(これによってこれをみるに)、社会主義の革命主義なりと云ふを以(もっ)て国体に抵触すとの非難は、理由なし。その革命主義と名乗るゆえんの者は、経済的方面における家長君主国を根底より打破して、国家生命の源泉たる経済的資料を国家の生存進化の目的のために、国家の権利において、国家に帰属すべき利益となさんとする者なり。実在の人格は個人といえども之を剥奪して奴隷とすることは今日においては不能なる復古にあらずや、国家と云ふ実在の大人格が長き進化の後において得たる法律上の人格を無視して君主の利益のために存する物格と考ふるごときは、所謂(いわゆる)国体論といふ復古的革命主義にして、吾人社会主義者は却(かえっ)て今日及び今後に亘りて国体の擁護者たらざるべからず。
何ぞ国体を革命すと云はんや。しかしながら政体は統治権運用の機関なるを以(もっ)て、国家はその目的と利益とに応じて進化せしむべし。しかもそのいかに進化すべきかにつきては、あるいは今日の民主的政体のままに進むか、あるいは一人のみの特権者を以(もっ)てする君主政体に進むか、あるいは純然たる共和政体に進むか、又あるいは社会の驚くべき進化して一切の政体の無用になりて地上に天国を築くか、かかることは国体論とは係りなき問題なり。
吾人は『国体論とは主権論なり』と云へる穂積博士に従ひて主権の所在を決定すれば足る。しかして又吾人は、穂積博士が現今の国家主権の国体を覆へして国土及び人民を天皇の私有地および奴隷となし、国家を天皇の所有権の客体たる物格とし、現今の民主的政体を破りて絶対無限の家長政治となさんと企図しつつあるがために、政体の変更を計る著書を出版する者は軽禁錮二ケ年に処すと規定せる出版法を恐れて大学講義の出版をあえてせざる謹慎を諒する者なり。

(↑『国体論及び純正社会主義』より)

維新革命以後の日本は、日本民族が社会的存在なることを発見したる国家主義たる点において、国家主権の国体なり。全国民が国家の部分にして、すべての部分がその代表者を出し、特権ある一部分(即ち天皇)と共に最高機関を組織すといふ国民主義たる点において民主々義なり。
しかして維新革命より二十三年(引用注:帝国憲法施行)に至るまでにおいては、国家は国家主権の国体にして、政体は最高機関を一人の特権者にて組織したる君主政体なりき。文字の形態発音において君主政体といふを以(もっ)て之を家長として全国家を所有すといふ意味の、家長国体のそれと同一視すべからず。すなわち、維新後の『君主』といひ『天皇』といふは、国家の全部の利益のために国家の一部が、家長国時代のごとく個人的利己心によりてにあらず、高貴なる社会的利己心を以(もっ)て、個人としてにあらず社会の一部として、社会の意志を発表しつつありし一国民なりしなり。
かくのごとき君主政体は、誠に純然たる政治道徳のものなりき。ゆえに唯一最高機関たる君主の人格いかんによりて、君主の個人的利己心のために国家の全部の目的と利益とを無視し、自己以外の国家の部分を国家の部分にあらずと考ふるか、あるいは自己が国家の外の者にして国家は自己の財産なりと考ふるかに至りて事実上の家長国と化し去ることあり。
維新革命のヒーローは、社会単位の生存競争の激甚なりしがために、国家の目的と利益とにその頭脳の全部を奪はれ、劣等なる利己心のごときは痕跡もなく去れり。――即ち維新革命以後二十三年に至るまで日本天皇の意志は、法理上明らかに大日本帝国の意志なりしなり。(このゆえを以(もっ)て天皇と国家とを同一なりと云ふべからざる注意は繰り返へされざるべからず、かかる君主政体において、天皇といふ国家の部分が国家全部の利益と目的とのために意志すといふことを以(もっ)て、部分と全部とを同一なりといふあたはざるは、あたかも共和政体の国において議会といふ国家の部分が同時に共和国の全部ならざるがごとし)。

(↑『国体論及び純正社会主義』より)

ああ国家のために! 自由の像が、綿羊の狼に奉ぜられたる時、驚くべき圧虐が常に自由の名においてなされたるごとく、維新革命によりて得たる国家が第二の経済的貴族等の占拠する所となりて、すべての愛国者は却(かえっ)て国家の名において迫害せられつつあり。(吾人は愛国者といふ、個人主義の革命家の常に嗤(わら)ふ所なり)、社会主義は、近代に入りてようやく忠君より覚醒せる愛国心をさらに他の国家に拡充せしめて、他の国家の自由独立を尊重する所の愛国心なり。自ら『最高の所有権』を有する所の国家なる者、何の理由を以(もっ)て土地と資本とを国家の所有たらしめんとする社会民主々義を秩序紊乱(びんらん)といひ、安寧幸福を傷害すと名づけて迫害するや。否! 決して国家の迫害にあらず、国家なる手袋を脱ぎ去らしめよ、資本家の筋張れる鉄拳は明らかに見らるべし。
昔はマダム・ローランド(引用注:ロラン)、断頭台に昇り自由の像を指して、おお自由よ! いかに多くの罪悪がなんじの名にてなされつつあるよ!と。経済的君主の家老たる大臣も国家のためといひつつあり、黄金貴族の武士たる議員も国家のためと弁じつつあり、村長も巡査も国家のためと説きつつあり、芸妓のカッポレにも国家のためにの文句を以(もっ)てし、売淫的令夫人の夜会遊興にも国家のためにの冒頭を以(もっ)て開会の辞は述べられつつあり。
――しかして社会党の迫害にも、実に国家のためにと名づけられて国家の断頭台が用ひられつつあるなり。自由の名に酔ふとき、専制は現はれて真実の自由を絞殺し、国家主義の声に狂へるとき、君主々義はその陰に潜みて最も理想的なる愛国者を打撃しつつあり。
吾人は、国家を解せずして国家主義を呼号する現代の日本国民を排すると共に、等しく国家を解せずして等しく国家を解せざる国民より迫害せられつつある日本現代の社会党を讃するものにあらず。しかしながら、その至る所の迫害に敢然として抗し天下を浪々する様の何ぞ颯爽(さっそう)として維新革命党の彼等に似たるや。(志士幸ひに健闘せよといふ)。

(↑『国体論及び純正社会主義』より)

パン屑! 是れを讃美して慈善といふ。ああ慈善なる名のいかに人類の権威を侮辱しつつあるぞ。吾人は饑餓(きが)のために昏倒(こんとう)せんとする者に向つて、恵まるる手を払ひのけよ、と云ふほどに迂愚(うぐ)なるものにあらず。しかしながら多くの慈善家と名づけられたる蝮蛇の類は、その最も善きものも自己の道徳的快楽のために貧困者を犠牲として取扱ひ、下等なる輩に至つては、夜会舞踏の余興より以上には考へず。吾人はたとへ短銃をとりて咽喉(いんこう)に当つるとも、掠奪者の裏門より投ぜらるる残飯を嚥下(えんか)し得るや。このゆえに面目をおもんずるものの貧困に陥るや、救貧院に入るに堪へずして自殺し、その肉体の救はるる者も精神の殺されたる後なり。慈善家なる者の人生観は全くキリストを逆倒して、人はパンのみによりて生くと考へつつあるなり。慈善家の最も悲憤慷慨(こうがい)的なるものはあるいはいふべし、労働者は清貧の尊ぶべきものにして、富豪等は席上の乞食なり、労働者の労働に衣食するものなりと。しかしながら事実は決してしからずして、彼らは乞食にあらず堂々たる掠奪者なり。吾人をして不徳を暴露して曰(い)はしめよ、もし貧困に生るるならば、吾人は地上の乞食たると席上の乞食たるとを問はず、他の愛に縋(すが)らんよりもむしろ盗賊となりて掠奪せんと。社会民主々義者は君子と名づくるミミズ的道徳家とは別物なり。乞食は卑しめられ掠奪者は崇めらる。
(……)
しかるに蒸気と電気とによる社会労働のすべてを上層の少数部分にて掠奪し、その掠奪のために不幸に繋がれたる社会の大部分を『慈善制度』の牢獄に押し込みて、鉄柵の間よりパン屑を投じつつありとは何たる残酷ぞ、――悪魔にも優さる。野犬と講壇社会主義者とは慈善に欺かれ得べし。人類は犬のごとく食を得て足れりとするものにあらず、社会民主々義に覚醒して貴族のごとき個人の権威を得たる労働者階級は、講壇社会主義者のごとく路傍馬糞の傍に土下坐して黄金大名を礼拝するほどに無恥なる良心を持たず。慈善を言ふ者の前に慈善なる名を以(もっ)て金銭を投じ見よ、烈火のごとく怒らざるか。社会のすべてが慈善を受くるを恥ぢとするに至れるは、奴隷の卑屈より脱して貴族の良心に心臓を染めたる者なり。すべては強力関係なり。力によりて掠奪したる時代は力によりて掠奪し、今の法律によりて掠奪しつつある者は新たなる法律によりて掠奪すべし。
(……)
パン屑の問題にあらず、パンそのものの問題なり。餓へたるものにパン屑を投与せよと云ふ道徳論にあらず、パンに対する権利のために餓ゆる事をかえりみざる森厳(しんげん)なる権利問題なり。武士は喰はねど高揚子、全社会にしてこの貴族的権威なくして何の社会民主々義ぞ。

(↑『国体論及び純正社会主義』より)

しかるに何たる事ぞ、国家単位の世界主義を唱ふる社会民主々義者が今日翻(ひるがえっ)て国家を否定し、仏国革命の個人主義に擁せられたるナポレオンの世界主義を取り、却(かえっ)て個人主義を執る所の資本家地主の階級が国家の権威を主張せる所の帝国主義を掲げて立つとは! ああ思想界の大混戦のめに敵と味方とはその旗幟(きし)を取り違へて立てつつあり。個人主義なくして全個人の権威の上に立てる社会主義なり、帝国主義なくして全国家権威上に築かるる世界聯邦(れんぽう)の世界主義なく(ママ・なり?)。故にすべての個人が貴族君主の下に奴隷的服従を事とせし個人の権威なき『平民』に社会民主々義の夢想なるごとく、強力に仕(つか)ふることを事として、自国の国家的権威を解せざる国家の集合にては、ローマ帝国はあり得べきも世界聯邦(れんぽう)なし。
(……)
自由は自己の自由を尊重すると共に他の自由を承認するの自由ならざるべからず。吾人は日本国の貴族的蛮風の自由がさらに進化して、文明の民主的自由となりて支那朝鮮の自由を蹂躙しつつあるを断々(だんだん)として止めしめざるべからず。社会民主々義の非戦論は実に今後の努力に存するなり。
ゆえに、外国の圧迫のために国家の自由なくしては、社会主義の実現さるべからざるごとく、『国体論』の脅迫の下に、国家の権威なき東洋の土人部落は南洋のそれらと等しく世界聯邦(れんぽう)に加盟を要求すべき権利無しといふ。 国体論及び純正社会主義 終

(↑『国体論及び純正社会主義』結語より)

***

野人礼を知らず直言虎威を犯す。――泣訴百拝頓首々々。

(↑『対外国策に関する建白書』結語より)

***

獄裏読誦ス妙法蓮華経、或ハ加護ヲ拝謝シ或ハ血涙ニ泣ク、迷界ノ凡夫古人亦斯クノ如キ乎

(↑遺書)



2004.8.*-

深い語りというものが、大河のような体をなすことがある

「いったい、あなたはどういう方なの?」

彼女は彼の答えが聞けると期待してはいなかったけれども、そしてまた、答えてくれまいと確信してさえいたから、実際には質問をしたわけではなかったけれども、彼のほうで返答を与えることができるはずだと仮定する彼女の仮定の仕方のなかには、そういう行きすぎがあったし(もちろん、彼は答えなかったし、彼女のほうも答えることを要求したわけではなかったが、彼女が個人的に、そして彼の人物について問いかけた質問によって、彼女は、彼の沈黙をたまたまそうなった偶発的な返答の拒否として、つまりいつかは変るかもしれない態度として解釈できそうだという様子をしてみせることになった)、それは不可能なことに取りくむたいへん粗雑な取りくみかたであったから、アンヌは自分が眼隠しされたまま飛びこんでいった怖ろしい状況についての啓示を突如として受け、一瞬のうちに、眠りから覚めて、自分の行為のすべての結果と、自分の行動の錯乱ぶりとに気づいた。

(モーリス・ブランショ『謎の男トマ』菅野昭正訳)




上記引用の地の文は、ご覧のようにひとつの文からなっている。一見してまわりくどいという印象も受けるだろう。しかし実に素直な流れだと思う。

このような語りは疎まれるかも知れない。部下のこのような語りを受け止めうる上司は今の日本では少ないだろう。しかし言語というものは、必然的にこのような事態を(招かざる客よろしく)もたらすものだろう。自己の言語を他者として扱えなければ、他者を他者と扱うこともできないだろう。“鎖国”自体が(自体というものの存在がありうるとして)不幸かどうかの判断は、鎖国小説『潮騒』などを勘案するにつけ、難しいのだが、現に今わが国は鎖国を公言していないし、ほとんどの人がそれを望んでもいないだろう。

もし、仮に、このような語りが不快であったとしても(意識の言葉で言えば“馴染まない”とか“よく分からない”というところかもしれない)、その不快には、(一呼吸入れてそれを耐え)考えてみる価値があると思うが如何だろうか。

一般に不快に対する耐性が高いほど成熟した社会であると言うことができる。

(十川幸司『精神分析』岩波書店)




ここには一つ山を越えたよろこびがあると思う。



2005.12.*-

賭ける緊張感――危ない橋を渡るところにある味

下記は『出版巨人創業物語』の岩波茂雄の文章からの引用です。岩波茂雄の独立開業は古書店岩波書店でしたが、開店当初の思い出ばなしの一つが下記のものです。

開業の始めは品不足のため、こっそり友人から借りた本や自分の本を成るべく売れぬよう一番高い棚に並べ、お客がそれを手に取る度びに冷や冷やしたことなどもあった。

(佐藤義亮・野間清治・岩波茂雄『出版巨人創業物語』
*こちらの別ページにも引用文紹介してあります。



2006.2.*-

宮崎滔天の〈大アジア主義と国家主義を超える視線〉

下記は渡辺京二著『評伝 宮崎滔天』からの引用です。

彼は堺鉄男(『明治国姓爺』の主人公:引用者注)という人物をかりて、自分の思想的な止揚過程をのべているのである。それはきわめて危険な作業であった。だからこそ彼は作中たびたび韜晦しており、さらに後年になってまで「露国に於ける革命運動の実情を披露し、斯様な獅子身中の虫がある以上、決して恐るベきものでは無いといふことを諷して世の恐露病者の清涼剤にと気取つたのだ」と、作品の意図をごまかさねばならなかった。彼は慎重に、あるいは狡猾にも、鉄男を絵にかいたような忠君愛国の模範少年として設定する。鉄男は十二歳のとき千島樺太交換条約に憤激していつの日か樺太をロシアから奪回しようと決心する。そのため彼はロシア語と武術を修め、十六になるとロシアの密猟船に乗って樺太に入ろうとする。つまりこの時点において鉄男は西欧列強の圧力に対抗しようとするたんなるナショナリストである。だが彼はウラジヴォストークで孫霞亭という中国人に会い、彼から一冊の著書を贈られ、それによって日本の運命は中国の運命さらにはアジア諸国につながっていることをさとり、四海同胞主義に立つ革命という観念に関心を持つようになる。すなわちこの段階で鉄男は、日本一国のナショナリズムから汎アジアのナショナリズムに開眼したわけである。さまざまな冒険ののちに鉄男は上海で孫と再会し、彼が革命党の頭領であることを知る。このときの「我日本の運命も貴国の運命も、繋がる所は同一」で「当の敵は同じく露国」という鉄男の言葉は、彼が内田良平段階の大アジア主義者であることを示す。

孫霞亭の弟子となって蜂起計画に加担するなかで、鉄男は勤皇主義を放棄して共和主義者になる。彼は「貴国は一天万乗金甌無欠の国柄であり乍ら、何故に永年月の間政権を将軍家に帰して万乗の君は押込隠居同然の身とはなりしや。又問ふ、何故に天皇は明治維新の初めに於て五条の誓文を披露し、国民に向つて智識を万邦に求め万機公論に決すと宣言せしや。其理由と其茲(ここ)に至らしめたる事情とを洞察すれば、必らず思ひ半に過ぎるものあるに相違ない」という孫の言葉に深く動かされるのである。この孫の言葉が滔天自身の認識を示すものであることはことわるまでもあるまい。『国体論及び純正社会主義』を読んだことのあるものはすぐ気づくように、これはまさに北一輝の論理そのものである。しかもこの時点において北の大著はまだ世に出ていない。二人が「革命評論」で手を結ぶことを思えば、これは不思議な暗合という感をまぬがれないが、それはともかくとして、別な箇所で「我国に於て勤王論なぞは陳腐の説ぢや、亡国を意味するのぢや。君は新進文明国に生れて居て、独り我が支那の古風を守つて下さるは謝すべきであるが、併し気の毒な次第ぢや。どうも少し頭を大きくせぬと、仮の稼業の水夫に了るぜ」と孫に鉄男を揶揄させていることからも明らかなように、滔天は疑う余地のない天皇制の否定者だったのである。『明治国姓爺』の書き出しには「落花の歌」の一節がはさまれているが、その中には「爆裂弾やピストルで、王侯貴人を暗殺し、現世の組織を壊さんと」という文句がある。これはロシア虚無党のことをうたった文句であり、滔天としてはいつでも言い抜けが可能な言葉であるが、にもかかわらず「季刊とうてん」第一号には石井万吉氏のこの点に関する重大な証言が掲げられている。すなわち、「落花の歌」にはもともと「浮き世がままになるならば」のあとに、この「王侯貴人を暗殺し」という一句があったのだというのである。結論は明らかであろう。滔天は彼の文章のいたるところに天皇制肯定の言葉を書きつけておく用心を忘れなかった人であるが、今日のわれわれはそういう彼の用心によっていささかもごまかされる必要はないわけである。

鉄男の覚醒は、蜂起が破れてロシアに亡命する船中でさらに一歩を進める。この船に乗り合わせたフランス人の医者が次のように説いた言葉が彼の胸にこたえたのである。「世界は君の云ふ通り今弱肉強食の修羅場だ。また君の云ふ通り欧羅巴(ヨーロッパ)が主動者で亜細亜が被動者である。併し君の支那革命が成効して一大強国となつた処でだ、国家的競争が止むであらうか、さうはゆくまい。今の被動者受動者其地を換ゆることがあるとも弱肉強食の現状は依然として旧態を維持するのである。言を換へて云へば、君が得々として肥馬に鞭ち三軍を叱曹キる時は、僕等が恨を呑んで涙を垂るゝ時である。……支那の復興をして打撃を欧州に加ヘんとするは所謂る防禦的進撃で、識らず知らず泥棒的根性に魔せられて居るのじや。君が支那革命は可也だが、一つコノ大習慣の中より脱却せぬと、矢張泥棒の提灯持か国家の幇間になるぞ」。

滔天は鉄男の心境を「我が志ざしを立ててより僅かに五年、未(まだ)一年の間に聞かざる議論を聞いて説を変ずること二度」と書いている。鉄男はあきらかに大アジア主義者たる自己をのりこえたのである。

日本が抱えている問題は日本単独で解決することは不可能で、日本・中国・アジア諸国をワンセットとする視点からの解決を必要とすると考えたことにおいて、滔天はいわゆる大アジア主義者と共通な思考の枠組をもっていた。だが、前引の一節が明証するように、彼は大アジア主義という政治思想を、克服しのりこえるべき対象としかみなしていなかったのである。ヨーロッパ帝国主義に対するアジア連合という考えは悪くはないが、それだけにとどまれば「泥棒の提灯持か国家の幇間になる」というフランス人アローの言葉は、もちろん滔天自身の思想である。これはまさに内田一派に対する痛烈な訣別の言葉ではないか。滔天はアローに、利害の対立は国家の観念より生ずる、この観念を除去することが問題の核心なのだ、といわせる。つまり滔天はここで自分の思想的な到達点を語っているのであって、それは泥棒根性すなわち国家的意識の徹底的な否定という一点に集約される。大アジア主義はこの視点を欠いているために必然的に泥棒根性に魅入られる、と彼は断定するのである。彼はこのとき彌蔵の思想的到達点をさえ乗りこえようとしていたということができる。このような滔天をいまだに大アジア主義者のひとりとみなす見解があとをたたないのは、それこそ怪談とでも評すほかはない。

(渡辺京二『評伝 宮崎滔天』




2006.5.*-

人道について

下記は杉山茂丸著『俗戦国策』からの引用です。原典は昭和四年の出版物で、古いタイプの主張のようにも見えますが、現在でもそのまま通用する考えかたではないでしょうか。科学的理論というものは普遍的なもの、つまり誰にとっても共通の真理であって、誰もが使うことのできるものですが、一方で人格というものはその人だけに属するものであって、その人格次第で科学的理論はいかようにも使用され、往々にしてとんでもない使われ方もされるものです。このような考えかたによれば、科学的理論の発展と同時に人格の陶冶、「人道」という感覚が欠かせないはずですが、現代の様子はどうでしょうか。

ここにおいて庵主は、青年達に向かって云う。「能率なき学問に中毒して、能率なき行為をなしてはならぬ。学問は前途に進歩発展を見越している全くの未製品である。正に以て人間が使用すべき物の一つが学問である。それに人間が使われてたまるものでない」と。人道と云うものは、簡単明瞭なものである。

「智者は愚者を導き、強者は弱者を助け、富者は貧者を賑わす」、わずかにこの三つで足りるのである。しかるに現世界における学問中毒の大勢は、総てこれが反対である。

「智者は愚者を欺(あざむ)き、強者は弱者を凌(しの)ぎ、富者は貧者を虐(しいた)げる」。

(*ここではルビ使用を避けたので、漢字/仮名の表記は読みやすいように適宜変更してあります)

(杉山茂丸『俗戦国策』




2007.1.*-

愛国心の欠乏

下記は『内村鑑三小選集 愛国心をめぐって』所収の一篇の引用です。

今の日本人に愛国心の欠乏するは著しき事実である。今や日本人は日本国が他国にはずかしめられたればとて怒らない。彼らにとり最大問題は、自分の生活問題または恋愛問題であって、国家の存立または栄辱に関しては、彼らは多く彼らの心を悩まさない。対米問題が起こりて、世界における日本の地位がはなはだ低くせられしといえども、愛国心の本源たる帝国大学においてすら、その教授よりも、また学生よりも、憤慨の声は揚がらなかった。もし、かかる事が欧米いずれの国に起こったとするも、第一に騒ぎ出すは大学である。されども日本においては、学者は国家問題について奮起するにはあまりに、りこうである。彼らは学位の影に隠れて、謹んで沈黙を守る。いずれの問題にも意見を有する彼らも、世界の公義または国家の栄辱問題に関しては、大胆にその所信を発表するの勇気を持たない。その点において、欧米の学者は日本の学者とは大いに異なる。近ごろ来朝せる、病理学の泰斗アショフ氏のごとき、大の日本人びいきなりしにかかわらず、日本が信義にそむいて、ドイツに対して宣戦せしや、全然日本人との関係を絶ち、その怒りは、再び日本の誠意を認むるまで解けざりしという。そうして氏がドイツ学者中まれに見る熱信のクリスチャンであることに、われらは注意すべきである。強く愛する者は強く憎む。不実なる人に限って怒らない。この際、米国に向かって怒らざる日本人は、日本ならびに米国を愛せざる人である。
(一九二四年十一月『聖書之研究』)

(内村鑑三『内村鑑三小選集 愛国心をめぐって』




2005.2.*-

ある男の熱狂的で理性的な言語観と、その話を聞く女とのあいだに生じるズレ

下記はブランショ著・天沢退二郎訳『至高者』からの引用です。

主人公はある日の夕方、身体の具合が悪いまま、壁の向こう側のレコードの音や足音、叫び声や笑い声に何時間か耳をすませていましたが、夜になると台所で一杯の水をのみ、自分の部屋を出て、音の聞こえてきた部屋をノックします。

部屋のあるじの女に会うことを求めると、男がまず現れます。主人公がその男に向けて隣人の立場から、疲れている身体に及ぼす音の影響について話し始めると、すぐにあるじの女が現れます。「音がうるさすぎますの?」と女は訊きますが、同室の男は「日曜日だよ、まだ九時にもならない。音楽をやる権利ぐらいあるはずだよ」と口を挟み、それに対して主人公は「九時ですって? どうも失礼しました」と応じます。

主人公の体調を気遣う言葉を述べる女に対し、主人公は理性的な弁明で、グループの騒ぎだと思っていたのだが二人の男女の物音だったのだから自分の訪問はまずかったと詫びるものの、それが却ってちぐはぐな空気を生んでしまいます。賢明な女は、自分たちはちょうど出かけるところだから、このあとはきっと静かに休むことができるだろうと対応し、この件は一段落となります。

以下は、そんなことがあったあとの、ある朝の話です。



ぼくは朝早く起きた。疲れて、神経が立っていた。夜中ずっと風が吹いていた。一種の秋風だった。窓ガラスの震動がぼくを眠らせなかった。

階段のところをまだ風が吹き抜けていて、窓がガタガタふるえていた。ぼくは隣りの娘に追いついた。彼女も降りていくところだった。

――すこしのあいだご一緒させて下さい。ひと言申し上げたいことがあるんです。

外では、風がとても強くて、ときどき立ちどまったり、後向きに歩いたりしなければならなかった。女は髪毛のまわりにスカーフを巻いていた。

――何がおっしゃりたいんですの?

――こないだの晩、ぼくは無作法なふるまいをしました。あの日の午後ずっと、音楽で耳がおかしくなってたもので。ぼくは陽気なパーティだな、と思い、そのこと自体はぼくにとってむしろ気持がよかったのです。足音とか、はじけるような笑いとか、何もかもほんの二、三メートルのところ、壁のすぐ向う側で鳴りひびいてたわけですよ。ところが不意に、ぼくの神経が限界に来たのです。

――もうその話はおやめになって。あのことは全然たいしたことじゃありませんわ。

――そう、たいしたことじゃない。

ぼくらは、今は並木に護られて、並んで歩いていた。通りのはずれに地下鉄の駅が見えた。

――お勤めは市役所広場でしょう?  たぶんご存知かと思いますが、ぼくもあの地区(カルチエ)で働いてるんです。お店にいらっしゃるのをよくお見かけしますよ。

彼女は答えなかった。ぼくらのまわりを、人々は急ぎ足に歩いていた。ぼくらも急いでいた。

――それにしてもぼくはあなたにお礼を言いたいのです。あなたはぼくをもっとすげなくあしらうこともできた。隣りの住人がお宅はうるさすぎると言いに来たとき、ふつうは相手の言うことを好意をもって聴いてやる気にはならないものですよ。

――でもわたくしたち、あなたにそんなに愛想よく致しましたかしら?

――そうですとも。少くともあなたは、ぼくの感じではね。その証拠に、自分の部屋へもどりながら、ぼくはうっとりしていました。人間同士の関係があんなに易しくて、あんなに完璧だということは、驚くべきことに思えたのです。考えてもごらんなさい、ほとんど常軌を逸したことですよ。ぼくがお宅のドアをノックしに行く、あなたはぼくをご存知ない。ぼくの存在さえご存知なかったのだ。それなのに、あなたはぼくのやってきた理由を完全に理解し、それを受け入れ、お聞き届けになる――たとえそれがあなたにとってどんなに不愉快なことであれ、ですよ。

――お隣り同士ですもの、あたりまえですわ。

――いいですか、ぼくに親切にふるまって下さったのは、あなたが以前からぼくに注目していたからとか、あるいは即座にぼくに好感をおもちになったとか、そういう理由によるのではないということは、よくわかっています。あなたにとって、ぼくはありきたりの人間、単なる隣人でしかない。けれど、まさしく、ぼくを感動させるのは、ぼくにはあなたに働きかけるのに何ら特別なものを頼りにする必要がなかったということなのですよ。ぼくにはあなたの関心をひくことは何もなかった、それでもあなたはぼくを迎え入れた。ぼくらがああしてお互いに理解しあえたということは、驚くべきことだとお思いになりませんか? ぼくが話す、あなたが答える。たぶんぼくはあなたを不愉快にさせるが、しかし会話は成立する、まるで何ものも二人を引離していないかのように。まるでぼくらが核心のところを共有しているかのように。きっと、ぼくの考えははっきりおわかりでしょう?

――あなたは……ずいぶん情熱的な方ね。それに、あのときの会話にどんな意味があるのか、よくわかりませんの。

――ところが逆に、とぼくは彼女を見つめながら言った、あのときあなたはぼくの正体をあばいたのだとぼくは思うのですよ。

ぼくらは駅に着き、乗客たちの列のあとに続かなければならなかった。ひとりの男がぼくら二人の間に入ってきた。そしてまた別の男が。赤いスカーフが雑沓の向うに浮かんで見えた。ホームで、もういちど、小扉(ポルテイヨン)[訳註 地下鉄の駅の通路からホームヘの入口にある鉄製の自動小扉で、電車が入っているあいだ閉っている]の近くにいる彼女を見つけた。電車に乗っているあいだ、彼女のすぐ近くに立っていたので、顔かたちをよくおぼえこもうとした。こんなふうで、ここはこうだ、と。しかし、ほんとうのところ、白い輝くような肌しか見てとれなかった。たぶんそんなに若くはないらしかったが、顔だち、とくに頬骨のところは、健康でたくましい体質をあらわしていた。

――急がなきゃなりませんの、と彼女は地下鉄を出るとき言った。

――まだお話しすることがあるんです。ほんとです、とても重要なことなんです。

――お願いですから、行かせて頂戴。

(モーリス・ブランショ著『至高者』天沢退二郎訳)




この二人は、似たもの同士としての奇妙な破局/融合を迎えることになる。



2004.11.*-

人が人であるための、

したがって「現実の」日本や日本人に対して、私は何の価値判断もしていない。人間的に圧倒的な、すばらしい人間はもちろん日本にも無数にいる。だが、そのすばらしさは、日本人ということとは関係がないのだ。たとえばこの間、私はテレビで内田吐夢監督の『宮本武蔵』第四部「一乗寺の決闘」を観て感動した。

この映画の終り近く、宮本武蔵は何百人といる吉岡門下と最後の決闘をする。吉岡勢はいたいけな子供を総大将として本陣におき、それをめぐって門下達をいたるところに配している。決闘が始まると、宮本武蔵はまず裏山から本陣に斬り込み、子供を斬り殺し、それから他の門下との戦いを始める。吉岡勢を全員殺した武蔵は比叡山で休息し、観音像を彫って心を鎮めようとする。その時、薙刀で武装した比叡山の僧侶の一団が来て、武蔵にすぐに出てゆけと言う。武蔵はその理由を尋ねる。すると僧侶達はこう言う、「お前が吉岡の門下達を全員殺したのは許されるし、むしろ誉められるべきことだ。だがお前は卑怯なことをした。お前は子供を斬り殺した。子供は何も知らずに総大将にされているだけなのだから、お前は子供を殺すべきではなかった。何の罪もない子供を殺したお前は外道だ、人間ではない。すぐにここを出て行け」。

武蔵は懊悩し、考え込む。しかし考えれば考えるほど、あの時まず子供を殺しておかなければあの戦いに勝ち目はなかったのではないかと思えてくる。たとえどれほど稚く、何も知らなくても、総大将が死んだからこそ、吉岡勢は混乱し、その混乱に乗じて、自分はおよそ勝つ見こみのない戦いに勝つことができたのだ、と彼は思う。子供を総大将に据えたのは吉岡の戦略にすぎないのだ。こうして僧侶達の悪罵に耐えながら、彼は最後に言う。「我ことにおいて後悔せず」。

このように、権力の中心としての非―力に、現実に、本当に、触れることなしには、天皇制の支配構造は決して揺らぐことはないだろうと思われる。

(若森栄樹『「日本」精神分析』、初出、岩波講座・現代の社会学16『権力と支配の社会学』岩波書店)




2004.8.*-

実のところ今(ある種の人々は)ほとんどこのような局面にいたっているのではないか

神話と私たちの生活、神話と文明の関係は、次のような観点から考えてみることもできる。中央権力、つまり行政や警察などの機構がないか、あるいは、あっても弱く、自律的な小集団が拮抗しつつ、自己の内外の自然と直接的な相互作用を営んでいるような社会では、人間が人間であり続け、社会が社会であり続けることは、はるかに不安定で脆弱なものと感じられるはずだ。秩序ははるかに脆弱に、混沌ははるかにリアルに感じられ、その分、日々の生活行為は、たとえば、結婚式や成人式や葬儀や挨拶や喧嘩の収拾の仕方にいたるまで、人間を人間たらしめ、社会を社会たらしめる行為として、私たちの場合よりも、はるかに力(世界形成力)を帯びた切実なものと感じられるのではないだろうか。そのような状況こそ神話を生み出した土壌なのだ。これに対して、文明という複雑巨大な人工環境に支えられて生きる私たちは、人間が人間であり、人間社会が人間社会であるために欠くことができない基底的な条件は何かといういうようなことはほとんど気にしない。想像力がそこまで届かないのだ。文明というシステムを動かす専門家たちも、その点は所与の前提とし、ものを考えている。

(阿部年晴『アフリカ神話、この世のはじまりへ』草稿)




筆力と洞察力ある文章だという感じがしたが、諸賢にとって如何だろうか。「秩序ははるかに脆弱に、混沌ははるかにリアルに感じられ」るような状態は、こんにち日本ではむしろ“不幸な境涯”と見られているだろう。(果たして本当のところそうだろうかという気がするが)。

ところで、××の言葉を預かってしまう人間というものが現に歴史上存在した。そういう人の中には、言葉を預かってしまった時に人生上の苦難に直面していた人もいたようだ。日中、強烈すぎる体験をした場合、まして連日それが続いた場合、尋常でない夢を見ることは常識と科学にかなっている。

××の言葉を預かってしまうということも、尋常でない夢をみるようなものではないだろうか。もちろん預かった言葉は、“鍋(やかん)のロジック”のような表象とは質がズレていて、ある種の整合性を持った言語表現のかたちをとっているのだから(ないしは覚醒時にそのように整形されたのだから)、モノの流れは夢とは似て非なるところがあるだろう。この言葉を預けた主体を××と考えることもできるだろうが、自己ならぬ自己と考えることもできるのではないだろうか。(これは××を信じていないと信じる立場の考え方である)。







Shoshi Shinsui