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北里柴三郎読本  上・下


●北里柴三郎自身の言葉でたどるその事績と思想

総合的・実践的研究の精髄を読む。―― 世界をリードした学理研究のみならず、衛生行政にも力を尽した北里柴三郎がのこした言葉のなかから、平易な講演記録を主として集成。 研究機関においても政治制度においても、専門化が深まることによる功より罪が大きくなりかねない状況に北里の言葉が響く。

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著者(上巻) 北里柴三郎 宮島幹之助 高野六郎
著者(下巻) 北里柴三郎
書名(上巻) 北里柴三郎読本 上 北里柴三郎伝 北里柴三郎論説選(前篇)
書名(下巻) 北里柴三郎読本 下 北里柴三郎論説選(後篇)
体裁・価格(上巻) A5判上製 320p 本体価格4900円(税別)
体裁・価格(下巻) A5判上製 320p 本体価格5900円(税別)
刊行日 2013年1月30日
ISBN(上巻) 978-4-906917-09-9 C0023
ISBN(下巻) 978-4-906917-10-5 C0023


●著者紹介

北里柴三郎

1853年生、1931年歿。熊本医学校を経て東京医学校(のち東京大学医学部)卒業。内務省衛生局に就職。1886年よりドイツ留学。病原微生物学研究の第一人者コッホに師事し、1889年、破傷風菌の純培養に成功。その毒素に対する免疫抗体を発見して、血清療法を確立し、この功績により一躍世界的名声を博した。1892年帰国。伝染病研究所を創設し、伝染病予防と細菌学研究に尽瘁。1914年、伝染病研究所移管事件(内務省から文部省へ)に際し所長を辞任、北里研究所を設立。慶應義塾大学医学科、日本医師会の創設など、幅広く活躍した。

宮島幹之助、1872年生、1944年歿。高野六郎、1884年生、1960年歿。ともに北里研究所に勤務し北里の指導を受けた。



●本書について

本書は北里柴三郎の伝記と北里自身の論説を集めて北里の事績と言説のあらましを示す「北里柴三郎読本」である。

本書に収めたテキストはいずれも北里研究所により非売品として刊行された『北里柴三郎伝』(1932年)と『北里柴三郎論説集』(1978年)から選び出した。『北里柴三郎論説集』のほうは1700ページほどに及ぶ超大冊で、集めえた限りのもの(単行本を除く)が叙述の形式を問わずことごとく収められている。両書ともに非売品であるためか、東京の区立図書館をはじめほとんどの公共図書館において蔵書されておらず、一般の目に触れる機会が稀である。そこで、北里自身の言葉に接してみたいという求めに応じうる本となることを意図して商品化したのが本書である(新漢字・新仮名遣いにより表記を現代化した)。「読本」を志向した本書では、伝染病医学に通じていない一般読者にも理解できる比較的読みやすいテキストを『論説集』から選んでいる(ただし三つだけやや専門的な論文を例外的に採録した)。そして収録した各テキストを北里の人生の各局面に照らして理解しうるように、最も基礎的な伝記をあわせて収めてある。その簡にして要を得た伝記『北里柴三郎伝』の編纂叙述は、北里の指導を受け北里と共に働いた直弟子の手になるもので、後年の各種北里伝は多くをこれに拠っている。

北里柴三郎は細菌学・伝染病研究を開拓した医学者の一人であるから、北里自身の研究史は細菌学・伝染病研究の発達史を語るものでもある。また、北里は研究室内の学問にとどまらず伝染病予防のための社会的な事業にも力を入れたから、北里自身の研究史は医療社会史としての側面も持っている。北里が活躍した時期の全体にわたるテキストを収める本書を通読することによって、北里の全体的真価が、1.卓越した学理的業績の面と、2.その学理探究の本来の目的である人々の健康を実現するための衛生行政の面、とを兼ね備えた両面性にあることが伝わるであろう。

北里柴三郎の事績は各種の伝記や評論によって世に広く知られているが、本書では北里自身の個別具体的な言葉に触れることで、その認識や判断の実際を感じることができるであろう。「学問は忍耐に忍耐を加えて研究すれば必ず通路のあるものだ」と考えていた北里は、その代表的業績である破傷風菌純粋培養の成功、そしてその毒素説の証明と免疫血清の発見に見られるように個別の研究領域を深く極める点でも群を抜く業績をあげたが、それとともに多様な研究分野を総合することの重要性を強調した。北里研究所の「開所の辞」(1915・大正4年)には次の言葉が見られる。
「諸君の御承知あらせらるる通りに医学と云うものは今日迄に種々なる分科に別れまして、余り分科が別れ過ぎるほど別れまして御座いますが、今日ではそれが又再びそれを綜合しまして、各々分科で研究した所のものを綜合しまして、一大研究を完成すると云う、こう云うことが、今日の吾々の微生物学に対する所の理想で、又是非共実際にこれをやらねばならぬことと考えます。それで現代科学の研究と云うものは各科が別々に、これ迄通りに孤立して、そうして障壁をその間に設けると云うことは今日では許しませぬ。一科の進歩と云うものは他科の発達を促がすものでありまして、相助け合いそれで甫めて人類の福利を増進することが出来るものであります。」
北里研究所は北里が61歳(満年齢)の年に突然設立された。留学からの帰国後20年以上にわたり経営した伝染病研究所が、時の政府(大隈内閣)により内務省の所管から文部省の所管に移されて東京帝国大学医学部の所属とすることが企てられたため、上に引用した考えと一致しがたいこの処置に対する拒否として北里は伝染病研究所所長を辞し、北里研究所を設立したのであった。この、伝染病研究所所長の辞職から北里研究所の設立へといたる経過は北里柴三郎の研究理念と人間性を最もよく示す事件であるから、本書に収めた1914、15年の記事数篇は特別重要な意味を持っている。よって上巻だけを手にされる読者のために、1914年の「伝染病研究所辞職の理由」を上巻巻末に特別附録として収めてある。これは北里柴三郎を論じるうえで欠かせない一文であろう。



●目 次

●上 巻

北里柴三郎伝 …… 宮島幹之助・高野六郎著

例 言
生 立
立 志
修 学
進 路
ドイツ留学
学 勲
皇室の殊遇
伝染病研究所(その一)
伝染病研究所(その二)
北里研究所
慶応義塾大学医学部
学界の指導
公衆衛生事業
日本医師会
終 焉

北里柴三郎論説選(前篇) …… 北里柴三郎著

破傷風病毒菌及びそのデモンスタラチオン……(1889・明治22年)
緒方氏の脚気バチルレン説を読む……(1889・明治22年)
与森林太郎書……(1889・明治22年)
伝染病研究所設立の必要……(1892・明治25年)
演説 赤痢病流行に就いて……(1893・明治26年)
演説 種痘に就いて……(1893・明治26年)
演説 ローベルト・コッホ氏の黴菌学上コレラ診断法の現況……(1893・明治26年)
演説 恙虫病原に就いて……(1893・明治26年)
演説 ペスト病の原因取調べに就いて……(1894・明治27年)
演説 免疫試験結果の報告……(1895・明治28年)
演説 コレラ病血清療法に就いて……(1895・明治28年)
演説 伝染病予防法大意……(1896・明治29年)
発言 牛痘免疫法、天然抗毒素の所在についての質疑……(1896・明治29年)
医学博士中浜東一郎君に答う……(1896・明治29年)
演説 伝染病予防接種法に就いて……(1897・明治3年)
演説 輓今に於ける血清療法の価値……(1899・明治32年)
演説 前年中に於ける海外衛生上の報道……(1899・明治32年)
演説 ペストに就いて……(1899・明治32年)
挨 拶……(1899・明治32年)

(上巻特別附録)談話 伝染病研究所辞職の理由……(1914・大正3年)
北里柴三郎略年譜

●下 巻

北里柴三郎論説選(後篇) …… 北里柴三郎著

演説 ペスト予防接種に就いて……(1900・明治33年)
免疫血清談……(1901・明治34年)
伝染病に就いて……(1902・明治35年)
演説 慢性伝染病予防に就いて……(1902・明治35年)
伝染病の予防に関する二、三の注意……(1903・明治36年)
演説 ペスト予防に就いて……(1903・明治36年)
演説 流行性脳脊髄膜炎に就いて……(1903・明治36年)
演説 二、三の伝染病に対する注意……(1904・明治37年)
演説 結核の蔓延及び予防……(1908・明治41年)
ローベルト・コッホ先生……(1908・明治41年)
ペスト病予防に関するコッホ氏の意見……(1908・明治41年)
演説 日本に於けるペスト蚤説の証明……(1909・明治42年)
欧洲視察談……(1909・明治42年)
演説 伝染病予防に就いて……(1910・明治43年)
演説 腸チフス予防に関する注意……(1910・明治43年)
故恩師ローベルト・コッホ先生を弔う……(1910・明治43年)
医師試験と医科大学……(1911・明治44年)
伝染病研究所の内務省所管ならざるべからざる事……(1911・明治44年)
労働者の保護……(1912・大正1年)
結核病に就いて……(1912・大正1年)
挨 拶……(1912・大正1年)
談話 伝染病研究所辞職の理由……(1914・大正3年)
陳 情 書……(1914・大正3年)
挨拶 伝染病研究所全所員に対する告別……(1914・大正3年)
北里研究所設立趣旨書……(1914・大正3年)
挨拶 北里研究所設立披露……(1914・大正3年)
演説 結核療法の進歩……(1915・大正4年)
演説 結核の蔓延及びその予防……(1915・大正4年)
開所の辞……(1915・大正4年)
演説 学問の神聖と独立……(1915・大正4年)
講演 コレラ研究の回顧……(1916・大正5年)
譚叢 コレラ……(1916・大正5年)
譚叢 ペスト……(1916・大正5年)
開会の辞……(1917・大正6年)
医師奮起の要望……(1917・大正6年)
挨 拶……(1918・大正7年)
コッホ未亡人宛書翰訳文……(1920・大正9年)
式 辞……(1924・大正3年)