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北一輝思想集成 北一輝の姿をつかむ基本選集。 『国体論及び純正社会主義』発刊=発禁から百年。日本近代権力の頂点に抗い続け、終には命をとられた民間人。状況批判のみならず代替案を示し行動した稀代の実践知性。百年の距離をおいて再考に価する、日本近代史上に類なき問題の遺産。 初の新漢字・ひらがな表記補助ルビ使用等で読みやすい現代版。 ・ 国体論及び純正社会主義(全文) ・ 日本改造法案大綱(全文) ・ ヴェルサイユ会議に対する最高判決(全文) ・ 『支那革命外史』序(全文) ・ ヨッフェ君に訓ふる公開状(全文) ・ 対外国策に関する建白書(全文) ・ 日米合同対支財団の提議(全文) ・ 二・二六事件調書(抄) ・ 遺書・絶筆 |
著者 北一輝 (北輝次郎)
書名 北一輝思想集成 (国体論及び純正社会主義 日本改造法案大綱 対外論策篇 2.26事件調書・抄)
発行形態 四六判上製(糸かがり製本) 864p 本体価格4800円 (消費税込定価5040円)
刊行 2005年8月10日
ISBN 4-902854-07-4 C0021
全国書誌番号(NBN:National Bibliography Numbers) 20842771
* 本文の断片を少しご紹介してあります。 こちらのページへ![]()
企画紹介 凡例ほか(こちらの別ページへ)![]()
刊行にあたって 発行所からのご挨拶![]()
著者紹介 北一輝 (きた・いっき 1883-1937)
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「もうひとつの著者紹介」として略年譜を別ページに掲載してあります![]()
1883(明治16)年、北輝次として佐渡に生まれる。1903(明治36)年、輝次郎と改名。
1906(明治39)年、23歳の時に『國體論及び純正社會主義』を千頁の大冊にて自費出版し、明治天皇制による国家アカデミズムの支配的言論を「所謂国体論の復古的革命主義」として激烈に批判、また社会主義陣営における明治国体論との根本的対決回避をも、独自の「個人と社会の関係論」から批判。同書は発行間もなく発禁。同書刊行により社会主義陣営からの誘い数多あるなか、同年暮れ、宮崎滔天らの紹介にて中国民族解放運動団体に加盟。
1911(明治44)年、辛亥革命となる武昌蜂起の報を受け中国に渡る。中華民国成立後の混乱状況のなか、1913(大正2)年、3年間の中国退去命令を受け帰国。1915(大正4)年、大隈首相・石井外相への中国革命の事情紹介を求められ、のちに『支那革命外史』として市販(1921年)される『支那革命党及革命之支那』を執筆。
1916(大正5)年、一輝と号し法華経信仰に入る。同年、中国退去命令期限切れにて再び中国に渡る。1919(大正8)年、第一次世界大戦戦後処理のヴェルサイユ条約をふまえ、『ヴェルサイユ会議に対する最高判決』を満川亀太郎宛書簡として執筆。同年、上海にて『国家改造案原理大綱』(のち改題『日本改造法案大綱』)執筆中に大川周明の訪問を受け、帰国を促す大川に同意し、年末帰国。翌年頭、前年8月に大川・満川創設の猶存社(ゆうぞんしゃ)に入る。
1920(大正9)年、大川らによる『国家改造案原理大綱』謄写秘密配布が禁止処分となる。1923(大正12)年、日ソ国交回復下交渉のため後藤新平(在東京市長職)が招いたボリシェヴィキ政府極東全権代表ヨッフェの来日に際し『ヨツフエ君に訓ふる公開状』を執筆、三万部を全国的に配布、同じ月に部分削除版『日本改造法案大綱』を出版し市販。1926(大正15)年、西田税を発行者として伏字をほぼなくした『日本改造法案大綱』を出版。1932(昭和7)年、『対外国策ニ関スル建白書』を秘密謄写し当局者に送付。1935(昭和10)年、『日米合同対支財団ノ提議』(建白書)を秘密謄写し当局者に送付。
1936(昭和11)年、『日米合同対支財団ノ提議』を踏まえての3月の中国渡航計画を前にして、2.26事件勃発により検挙。1937(昭和12)年、東京陸軍軍法会議判決により(一審・上告なし・非公開・弁護人なし)、『日本改造法案大綱』をはじめとする同事件への影響を咎とされ(罪名・首魁)銃殺刑。
目 次
第III部『日本改造法案大綱』の内容目次は別ページに掲載してあります![]()
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