Shoshi Shinsui

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『私についてこなかった男』 もうひとつの著者紹介


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Maurice BLANCHOT (モーリス・ブランショ)

だれと交際していたかわかれば、その人が何者であるかわかるというのを信じるならば、1907年に生まれて2003年に没したこのフランスの作家の生涯をたどるとき、おそらく何よりもまず二つの、類いまれな出会いについて言及しなければならない。20年代、ストラスブールで、当時学生であったブランショは、同じく学生であったエマニュエル・レヴィナスと出会う。そして第二次大戦中には、パリで、もう一人の重要な友人となるジョルジュ・バタイユと出会っている。この「聖潔」の哲学者と「聖性」の思想家とともに、彼らの生涯とだけではなく、その思考の営みと深くかかわりながら、ブランショは20世紀という時代を生きた作家であると言うことができる。

ブランショは「書く」という一見ごく単純な行為を、一個の驚異に変えてしまった。その残された作品はどれも自分自身の目の奥をのぞきこもうとするような逆説的な表現に満ち溢れている。文学という、言葉の経験こそ、可能なことがらと不可能なことがらが交差するような場所であるとブランショは考えたのであり、その場所を見つめつづけた探求の成果がブランショの残していった書物である。それらを簡単に分類して主なものだけ挙げるなら、評論集として『踏みはずし』(1943)、『火の領分』(1949)、『文学空間』(1955)、『来るべき書物』(1959)、『終わりなき対話』(1969)、『友愛』(1971)、小説としては『謎の男トマ』(1941)、『アミナダブ』(1942)、『至高者』(1948)の三つの長編と、『死の宣告』(1948)、『謎の男トマ(改版)』(1950)、『望みのときに』(1951)、『私についてこなかった男』(1953)、『最後の人』(1957)といった分量からして中編と呼ぶのがふさわしいような作品群がある。そして1962年に刊行された『期待 忘却』を先駆けとするかのように、70年代以降のブランショは、中心とは無縁な断片という形式に強く惹かれるようになり、その鮮やかな達成が『彼方への歩み』(1973)、『災厄のエクリチュール』(1980)という2冊の断章集にまとめられている。

(谷口博史 記)