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宮崎滔天の〈大アジア主義と国家主義を超える視線〉

下記は渡辺京二著『評伝 宮崎滔天』からの引用です。

彼は堺鉄男(『明治国姓爺』の主人公:引用者注)という人物をかりて、自分の思想的な止揚過程をのべているのである。それはきわめて危険な作業であった。だからこそ彼は作中たびたび韜晦しており、さらに後年になってまで「露国に於ける革命運動の実情を披露し、斯様な獅子身中の虫がある以上、決して恐るベきものでは無いといふことを諷して世の恐露病者の清涼剤にと気取つたのだ」と、作品の意図をごまかさねばならなかった。彼は慎重に、あるいは狡猾にも、鉄男を絵にかいたような忠君愛国の模範少年として設定する。鉄男は十二歳のとき千島樺太交換条約に憤激していつの日か樺太をロシアから奪回しようと決心する。そのため彼はロシア語と武術を修め、十六になるとロシアの密猟船に乗って樺太に入ろうとする。つまりこの時点において鉄男は西欧列強の圧力に対抗しようとするたんなるナショナリストである。だが彼はウラジヴォストークで孫霞亭という中国人に会い、彼から一冊の著書を贈られ、それによって日本の運命は中国の運命さらにはアジア諸国につながっていることをさとり、四海同胞主義に立つ革命という観念に関心を持つようになる。すなわちこの段階で鉄男は、日本一国のナショナリズムから汎アジアのナショナリズムに開眼したわけである。さまざまな冒険ののちに鉄男は上海で孫と再会し、彼が革命党の頭領であることを知る。このときの「我日本の運命も貴国の運命も、繋がる所は同一」で「当の敵は同じく露国」という鉄男の言葉は、彼が内田良平段階の大アジア主義者であることを示す。

孫霞亭の弟子となって蜂起計画に加担するなかで、鉄男は勤皇主義を放棄して共和主義者になる。彼は「貴国は一天万乗金甌無欠の国柄であり乍ら、何故に永年月の間政権を将軍家に帰して万乗の君は押込隠居同然の身とはなりしや。又問ふ、何故に天皇は明治維新の初めに於て五条の誓文を披露し、国民に向つて智識を万邦に求め万機公論に決すと宣言せしや。其理由と其茲(ここ)に至らしめたる事情とを洞察すれば、必らず思ひ半に過ぎるものあるに相違ない」という孫の言葉に深く動かされるのである。この孫の言葉が滔天自身の認識を示すものであることはことわるまでもあるまい。『国体論及び純正社会主義』を読んだことのあるものはすぐ気づくように、これはまさに北一輝の論理そのものである。しかもこの時点において北の大著はまだ世に出ていない。二人が「革命評論」で手を結ぶことを思えば、これは不思議な暗合という感をまぬがれないが、それはともかくとして、別な箇所で「我国に於て勤王論なぞは陳腐の説ぢや、亡国を意味するのぢや。君は新進文明国に生れて居て、独り我が支那の古風を守つて下さるは謝すべきであるが、併し気の毒な次第ぢや。どうも少し頭を大きくせぬと、仮の稼業の水夫に了るぜ」と孫に鉄男を揶揄させていることからも明らかなように、滔天は疑う余地のない天皇制の否定者だったのである。『明治国姓爺』の書き出しには「落花の歌」の一節がはさまれているが、その中には「爆裂弾やピストルで、王侯貴人を暗殺し、現世の組織を壊さんと」という文句がある。これはロシア虚無党のことをうたった文句であり、滔天としてはいつでも言い抜けが可能な言葉であるが、にもかかわらず「季刊とうてん」第一号には石井万吉氏のこの点に関する重大な証言が掲げられている。すなわち、「落花の歌」にはもともと「浮き世がままになるならば」のあとに、この「王侯貴人を暗殺し」という一句があったのだというのである。結論は明らかであろう。滔天は彼の文章のいたるところに天皇制肯定の言葉を書きつけておく用心を忘れなかった人であるが、今日のわれわれはそういう彼の用心によっていささかもごまかされる必要はないわけである。

鉄男の覚醒は、蜂起が破れてロシアに亡命する船中でさらに一歩を進める。この船に乗り合わせたフランス人の医者が次のように説いた言葉が彼の胸にこたえたのである。「世界は君の云ふ通り今弱肉強食の修羅場だ。また君の云ふ通り欧羅巴(ヨーロッパ)が主動者で亜細亜が被動者である。併し君の支那革命が成効して一大強国となつた処でだ、国家的競争が止むであらうか、さうはゆくまい。今の被動者受動者其地を換ゆることがあるとも弱肉強食の現状は依然として旧態を維持するのである。言を換へて云へば、君が得々として肥馬に鞭ち三軍を叱咜する時は、僕等が恨を呑んで涙を垂るゝ時である。……支那の復興をして打撃を欧州に加ヘんとするは所謂る防禦的進撃で、識らず知らず泥棒的根性に魔せられて居るのじや。君が支那革命は可也だが、一つコノ大習慣の中より脱却せぬと、矢張泥棒の提灯持か国家の幇間になるぞ」。

滔天は鉄男の心境を「我が志ざしを立ててより僅かに五年、未(まだ)一年の間に聞かざる議論を聞いて説を変ずること二度」と書いている。鉄男はあきらかに大アジア主義者たる自己をのりこえたのである。

日本が抱えている問題は日本単独で解決することは不可能で、日本・中国・アジア諸国をワンセットとする視点からの解決を必要とすると考えたことにおいて、滔天はいわゆる大アジア主義者と共通な思考の枠組をもっていた。だが、前引の一節が明証するように、彼は大アジア主義という政治思想を、克服しのりこえるべき対象としかみなしていなかったのである。ヨーロッパ帝国主義に対するアジア連合という考えは悪くはないが、それだけにとどまれば「泥棒の提灯持か国家の幇間になる」というフランス人アローの言葉は、もちろん滔天自身の思想である。これはまさに内田一派に対する痛烈な訣別の言葉ではないか。滔天はアローに、利害の対立は国家の観念より生ずる、この観念を除去することが問題の核心なのだ、といわせる。つまり滔天はここで自分の思想的な到達点を語っているのであって、それは泥棒根性すなわち国家的意識の徹底的な否定という一点に集約される。大アジア主義はこの視点を欠いているために必然的に泥棒根性に魅入られる、と彼は断定するのである。彼はこのとき彌蔵の思想的到達点をさえ乗りこえようとしていたということができる。このような滔天をいまだに大アジア主義者のひとりとみなす見解があとをたたないのは、それこそ怪談とでも評すほかはない。