はじめに――実存における自発的思考の契機を論理化する「思想史」をめざして


 わたしたちは、17世紀の僧侶であり古典学者であった契沖を思想史的に定位しようとしています。契沖は、国学の大成者として知られている本居宣長が学問に志すきっかけとなった学者ですが、宣長の師である賀茂真淵ほどにはその名を知られていないかもしれません。しかし、もしわたしたちが「思想史」という物差しで測りなおしてみるならば、契沖がもたらした価値は思ったよりも大きなものであることが分かるでしょう。

 そもそも、今日『万葉集』がまがりなりにも読めるようになっているのは、この契沖の仕事のおかげです。今でも多くの注釈書や研究論文が契沖の『代匠記』を参照し、考察の土台として利用しています。それどころか、この状況は『代匠記』が著わされた17世紀後半から今日に至るまで一貫してつづいているのです。

 このことの意味は重要です。もし契沖が『代匠記』を著していなかったら、古代日本語で書かれた最古のテキストである『万葉集』がいまだに読解されないままだった可能性もあるからです。実際、『万葉集』は最も古い和文の資料であり、和歌文学のテキストであり、また、歴史の史料でもあります。折口信夫にとっては民俗学的な研究の資料でありました。要するに、『万葉集』は8世紀以前の列島の人びとがどう生き、何を思い、いかに表現したかを窺い知るための貴重な資料なのですが、もしこのテキストが正確に読めなかったとしたら、どうでしょうか。わたしたちは「日本」ということに関して手にしうる価値の大きな一部分を喪失してしまっていたのではないでしょうか。

 なるほど、わたしたちは『万葉集』など意識しなくても十分に豊かな日常を享受することができます。しかし、1200年以上前にこの作品集が成立していたことは、この列島の人びとの言語生活に少なからぬ影響を与えたといえるでしょう。そして、それは特に「日本」という国の文化的な水準にかかわる部分において特に強い力を発揮したといえるでしょう。たとえば、今日、アジアでも欧米でも少なからぬ研究者が『万葉集』を読み、研究しています。このこと自体、わたしたちにとっては見えない価値だと言えるでしょう。

 こういう重要な意義をもつ古典が17世紀に至るまで十分に読めなかったということ自体驚くべきことです。同時に、その時点から『万葉集』についての研究が急速に開かれていったのはなぜなのか。いずれも歴史的大問題だと言えるでしょう。

 すなわち、わたしたちがここで考えようとしているのは、なぜ、どのようにして『万葉集』は読み得るテキストになったのかという問題です。そして、わたしたちはこれを思想史的な問題として捉えようとしています。

 従来の契沖研究は、佐佐木信綱による「和歌史」からの研究、久松潜一による「文献学」からの研究が築いた基礎の上に建てられているということができます。他にも丸山真男とその学統からの思想史研究や小島憲之とその学統からの漢籍出典研究もあり、それぞれに固有の学問的意義と価値を有していますが、しかし、それらは契沖の書いたテキストを読むということに関しては補助学的な役割しか果たしていません。

 わたしたちが考える「思想史」とは、丸山真男が提示したようなものとは異なっていますし、丸山の描いた図式にのっとった従来のあらゆる研究とは異なったものとなるでしょう。なぜなら、8世紀に書かれたテキストである『万葉集』が千年近く読解不可能なままにとどまり、かつ、それが忽然として元禄年間に現在化する(actualize)という事態は、「テキスト」とこれを読む実存との年代記を超えた対話についての思考を要するからです。それは弁証法的な思考では捉えきれないものであり、実存における自発的思考の契機を論理化するような「思想史」を必要とする問題なのです。



 さて、この文章の冒頭で契沖を「17世紀の僧侶であり古典学者であった契沖」と規定しましたが、この人は真言宗の僧侶であり、真摯な求道者として生きかつ死んでいます。「古典学者」は「契沖」という人物の一面を言ったものにすぎないのです。契沖には国学についての弟子もいれば、真言仏教についての弟子もいます。

 これは江戸期の学者や思想家全般に通じることですが、契沖においてもその学問の全体は彼個人の生き方と緊密に結びついて形成されていて、「国学者」とか「古典学者」とかというような抽象化を容易に許さないところがあります。一般化や抽象化を許さないところに実存の実存性があるわけですが、ある新しい思想が創造されるところでは必ず生きてあることの意味への根源的な問い返しが伏在していると言えるでしょう。言い換えれば、思考の自発性とは自己存在についての問い直しと自覚のうえにはじめて可能になるものなのでしょう。

 わたしたちは契沖における『万葉集』の読解という問題を、こうした強烈な、根本的な問い返しにおける自覚的立場と、そこから産み出されるところの自発的思考の自発性において見ようとしています。



 歴史はつねに鏡としての意味をもっていますが、契沖のたどった知識探究への道のりを再検証することは、科学技術の進歩を謳歌しているかに見えるわたしたちの自立的思考力喪失の現状を照らし出してくれるのではないかと思います。そして、わたしたちが契沖を「文献学」という狭い枠から見ることをやめて、彼の注釈に〈読むことが考えることであるような実践〉を読みとっていくことができるならば、それはわたしたちに少なからぬ僥倖をもたらすことになるでしょう。

 ともあれ、わたしたちは3年にわたってこの基礎的な作業を学術振興会の助成事業として展開することになっています。わたしたちは、まずこの研究の諸前提と理論的枠組みについて徐々に公表する算段でおります。そして、研究の進展につれて、その諸前提と理論的枠組みから導かれる考察結果について発表していくことになるでしょう。

 わたしたちは理論と考察について広く江湖に公開し、情報の共有をはかりながら、一歩一歩研究を進捗させて行くつもりです。したがって、このサイトにおける情報の発信は、週1回程度のペースで行っていくことにいたします。インターネットを通じた情報発信が本当の意味での開かれた研究の地平の構築に資するものとなるよう願ってやみません。

2017年2月17日 研究代表者 西澤 一光